第十四節 お金の普及、災いの連鎖の始まり

たいらの清盛きよもり


藤原道長ふじわらのみちなが[大河ドラマの光る君へでは柄本佑さんが演じている]の子孫を筆頭とした公家くげ[貴族のこと]から政治権力を奪い取って日本初の武家ぶけ政権を確立させた日本史上有名な人物であるが……

清盛きよもりにそんな下剋上げこくじょうを可能にさせたのは、武力ではなく『お金』であった。


彼は一途にこう思っていた。

物々交換ぶつぶつこうかんよりも、貨幣かへい[お金]を使って売り買いする方がはるかに便利ではないか。

貨幣[お金]が普及すれば、飲食、交通、観光、芸能や風俗などのモノをかいさない商売[サービス業のこと]も盛んになるだろう。

人々は思い思いの場所で飲食し、船などに乗って旅行し、豪華な宿や趣きのある宿に宿泊し、地域の芸能を観て、様々な音楽を聴くことができるようになる!

!」


一刻も早く貨幣かへい[お金]を普及させようと考えた清盛きよもりは、そう[当時の中国の王朝]の国で使われている宋銭そうせんというお金に目を付ける。

「日ノ本で貨幣を作るよりも、宋から宋銭を買った方が手っ取り早く貨幣を普及させることができるのではないか?

ただし。

宋から大量の宋銭を買うには、大きな船が必要であり、それを泊める巨大な港も作らねばならん。

摂津国せっつのくに福原ふくはら[現在の神戸市中央区]は巨大な港を作るのに最良の立地ではあるが……

作るために必要な人夫、資材は莫大なものになるだろう。

平氏一族が代々蓄えてきた富を『すべて』ぎ込むしかあるまい」


刹那せつな一抹いちまつの不安が清盛を襲う。

「もしも。

人々が貨幣かへい[お金]を必要とせず、物々交換のままで良いと考えれば……

全てが無駄になってしまう。

『巨大な、無駄なモノを建てるために一族の富を食い潰した愚か者』として、人々の笑い物になるだろう。

その可能性があるとしても!

わしは……

世のため、人のために生きたい!

貨幣の普及におのれのすべてを賭けようではないか」


英雄と呼ばれるに相応ふさわしい、この『決断』が……


 ◇


賭けは見事に当たった。


清盛きよもりの予想を超え、貨幣かへい[お金]は恐るべき早さで普及していく。

福原ふくはらの港はお金を欲しがる人々でごった返し、ありとあらゆる富が平氏一族に転がり込んで来た。

どれだけの金銀財宝、豪華な屋敷、豪勢な飲食、美男美女を買い漁っても、お金が尽きない。


平氏は元々、同じ『武家』である源氏よりも格下の地位にいた。

それが今や……

地位は完全に逆転している。


ただし。

他の武家を圧倒したところで、本来なら決して手の届かない、雲の上の存在が……

京の都に君臨していた。


藤原道長ふじわらのみちながの子孫を筆頭とした『公家くげ[貴族のこと]』である。


 ◇


高貴な公家にとって、武家は『犬』も同然であったらしい。


山賊や海賊討伐で血だらけの武家を見るたび、こうつぶやいていた。

「あれは人ではない。

汚らわしい犬畜生ちくしょうべたをう虫けらよ」

と。


それでも。

お金は、この天と地ほどの差を一瞬で埋めてしまうほどの凄まじい力を見せる。

平氏が官位かんいの『買収』を始めたことで、公家が権力の象徴を奪い取られる事態に発展したからだ。


最早、公家など……

高貴なだけで何の力もない、ただの人に過ぎない。


こうして。

数百年もの栄華えいがを誇っていた公家政権は脆くも崩壊し、平氏一族による武家政権が誕生したのである。


清盛は、平氏一族に永遠の繁栄をもたらしたかのように見えたが……

お金は、お金を普及させた清盛自身も、その恩恵によくした平氏一族をも幸せにすることはなかった。


むしろ『災いの連鎖』の始まりであった。


 ◇


歴史の歯車は……

ここから、あらぬ方向へと回り出す。


平氏一族の成功は、ひとえに清盛一人の『実力』である。

一族の他の者たちに実力などないに等しい。

清盛から指示されたことを、その通りやったに過ぎないのだから。

その程度の働きにも関わらず……

異常に高い報酬を受け取り、異常に高い地位を得ていた。


それを見ていた他の者たちはどう思うか?

特に、かつて平氏より高い地位にいた者たちは?

平氏一族は……

もっと周りをよく見るべきであった。


「清盛と、その長男の重盛しげもりには一目置いている。

しかし!

他の奴らは何だ!

実力もなく、何の実績も上げない者が……

ただ平氏というだけで!

贅沢三昧の生活を送り、分不相応ぶんふそうおうな地位まで得て我らをあごで使っている!

一方。

我ら源氏には……

いくら実力を磨いても、いくら実績を上げても、何の機会もやって来ない!」


源氏は、数代前の八幡太郎はちまんたろう義家よしいえ棟梁とうりょうであった時代が絶頂期であった。

その義家が死ぬとみにくい身内争いを起こして弱体化し、見るも無残むざんに衰退してしまっていたのだ。


源氏が自らの有様を嘆くほど、平氏への嫉妬と憎悪は激しさを増していく。


 ◇


分不相応な地位を得ている平氏一族の中でも、優れた人物が一人いた。

清盛きよもりの長男・重盛しげもりである。


「平氏でなければ人ではない、だと?

おごり高ぶるのも大概たいがいにしろ!

我らは実力ではなく、優れた棟梁とうりょう[一族の代表のこと]の元にいたに過ぎないことを、いまだに理解できないとは……

一族には無能な役立たずしかいない!

嗚呼ああ


日々募る苛立ちと比例し、重盛の身体は病魔にむしばまれていく。

結果として父の清盛よりも先に死んだ。


一方。

平氏への嫉妬と憎悪をひたすらつのらせた源氏は、重盛の死を契機に爆発する。

源平げんぺいの争い』である治承じしょう寿永じゅえいの乱が勃発した。



 ◇


源氏には、3人もの『英雄』がいた。


関東の武士たちの人望を集めた源頼朝みなもとのよりとも

倶利伽羅峠くりからとうげの戦いで平氏の大軍に勝利した源義仲みなもとのよしなか

その義仲よしなかを超える戦争の天才・源義経みなもとのよしつね

義経は一ノ谷いちのたにの戦い、屋島やしまの戦い、最後は壇ノ浦だんのうらの戦いで勝利し、平氏を滅亡へと追い込む。


結局のところ。

お金は、お金を普及させた平清盛自身も、その恩恵によくした平氏一族をも幸せにすることはなかった。

むしろ、とんでもない災いを招いたことになる。


一族をことごと根絶ねだやしにされてしまったのだから。


 ◇


1192年。

平氏を滅ぼした源頼朝は、鎌倉幕府を開く。


平氏に代わって幕府がそうとの貿易を独占したが、巨万の富を得ることはできなかったらしい。

既に宋銭そうせんが普及していたからだろう。


それでも。

あの徳川家康も尊敬し、真似したと言われるほど……

鎌倉幕府は見事な『組織』であった。


問題が生じても、自分たちで勝手に裁いて報復ほうふくすることを決して許さない。

幕府に全ての裁きをあおがせた。

これでは内戦が起こりようもなく、およそ100年続く平和を達成する。


「ついに……

平和で安全な世が実現したのだ!」

人々は皆、明るく希望に満ちた未来を予想した。


これで、災いの連鎖は断ち切れたのだろうか?


 ◇


「凛よ。

宋銭そうせんの普及は……

飲食、交通、観光、芸能や風俗などのモノをかいさない商売[サービス業のこと]を盛んにした。

これに、鎌倉幕府が達成した平和が拍車はくしゃを掛けた」


「平和が拍車を?」

「うむ。

ありとあらゆる場所にいち[商店街のこと]ができ、モノを売買する店に加えて飲食、宿、芸能や風俗を提供する店も次々と出現した。

これらの場所で働くために大勢の民が農地を離れ始めた。

日ノ本ひのもとの人々は、まさに『一変』したのだ」


ちなみに。

日本の伝統芸能のほとんどは、この鎌倉時代に誕生している。

宋銭の普及あってのことだ。


そして。

お金は、人間の心の中へと入り込む。

心に根を張り巡らせ、やがては心をむしばみ、人間そのものを『腐敗』させてゆく。


「平和だ!

安全だ!

これからは、もっと良い時代になる。

だって。

お金が、我々にありとあらゆる楽しみを与えてくれるのだから。

さらに、もっとお金があれば……

生活はもっと豊かになり、もっと楽しくなる。

もっと、もっと多くのお金を得よう。

お金こそがわたしたちを幸せにしてくれる、わたしたちの神だ!

より多くのお金を得ることこそ、人の生きる『目的』ではないか!」


目的と手段をき違えた愚かな人間がお金の『奴隷どれい』と化したことで……

災いの連鎖は断ち切れるどころか、より大いなる災いをもたらそうとしている。


秩序がもろくも崩壊する日。

その日は、刻々と迫っていた。



【次節予告 第十五節 お金は目的か、それとも手段か】

凛は強い違和感を覚えます。

宋との貿易では、金や銀、木材、刀などを売って宋銭を買っていました。

ただし、宋銭はお金であって、お金そのものには何の価値もないのです。

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