第16話、怪盗1

◆◇◆

 許せない、許せない許せない許せない。

 私は、ずっと、ずっとずっと娘の拳墜のために正義を執行してきたのに。どうして、どうして薄汚い糞鼠にそんな感情を向けるの!? 

 理解できない、正義じゃない。正義は高潔で、素晴らしいもののはずなのに!!

 どうして――――


 ――――私、立花日和が正義に興味を持ったのは7歳の頃。栃木出身だった。

 私はその頃、どこにでもいる平凡な女の子だった。平日は学校で友達と過ごして、日曜日の朝はテレビをつけて大好きな『あいきゅあ』を見ていた。

『正義の力が、負けるはずないんだから!』

「せい……ぎ……?」

 正義とは何だろう。言葉は知っていた、けれどそれはなんとなく曖昧なイメージで正義というものを捉えていただけだった。

 ――――私は正義とを知りたいと思った。色んな少年向けのアニメでも『正義』『正義が』『正義は』と皆で正義正義と言っていた。

「分からない……正義、って、なに……? 愛? 絆? 分からない、分からない――知りたい、知らなきゃ、ダメな気がする」

『愛する人のために、お前を倒す!!』

「愛する、人……?」

 顔を上げると、ヒーローはそんなことを言っていた。

「おかーさん、おとーさん。ばいばい」

 ――――なので私もそれに倣ってみた。みんなが寝静まった夜、私は一人起きて包丁で両親の喉を三枚おろしにした。

「……っ」

 指が震える。血塗れの包丁が私から熱を奪っていく。

 背筋が凍っていく、震える、肩が震える。足がガクガクになり、立てなくなる。

「(ああ……ああ、私、は、なんてことを……!)」

 私は自分の肩を抱いた。それでも震えは止まない。

「ああ……そう、か。そう、なんだ……」

 私は理解した。私が今、してしまったの本質を。その恐ろしい真実を。

「これが――――正義に震えるという感覚なのね!!」

 知っている、知っている、知ってるわ! 正義の味方は言っていた!

 大切な人が死んだ時、殺された時、肩を震わしていた!! これがそうなんだ!

 なんてステキな感覚なんだろう! 私は今――――正義だ!

「ありがとう、ありがとうっ! おかあさん、おとうさん! 生まれて初めて心の底から感謝します!! 二人から貰った、もので、一番大切なものだと確信した! 正義の心!! 正義の魂ッ!! ――――私は今、正義になったッ!!」

 それから私は順当に正義の道を歩んでいく。

 正義のためなら努力は辞さず、ひたすら己を鍛え、学び、警察学校を首席合格。

 嬉しかった、楽しかった――――だから私は娘にも正義を教えたいと思った。

 手ごろな男を捕まえて結婚し、娘を産んだ。私は娘に正義を教えたい、正義に震えるとは何たるかを体験させたい。

 私は近所に住む手ごろな女の子正義の生贄を見付けて拳墜と仲良くさせた。思惑通り、彼女と拳墜は親友にまで発展した。

 となれば後は簡単。拳墜の親友を殺して・・・拳墜にそれを発見させればいい。悪らしい、悪を憎めるような殺し方は中々楽しかった。

「…………」

「拳墜、ここに果物を置いておくわね」

 拳墜は精神が壊れてしまった。けど大丈夫! 私が正義の心を教えてあげるからね……。

「せい……ぎ……?」

「そう! 正義……メイちゃんをあんな風にされて許せないと思うこと」

「メイ、ちゃん……ぅ、ぅぁっ……ぁ、ぁっ」

 拳墜はメイちゃんの死にざまを許せないと思っているのか正義に涙を流している!! 素晴らしい、素晴らし過ぎる!! 正義に目覚めてくれたのね!!

 ああ、嬉しい。心が壊れた分、正義の心がすんなり浸透してくれた。心が壊れたのは僥倖だった。

「正義……メイちゃん、正義、怒る、こと……正義、せい、ぎ……」

「そう、そう! よく出来たね。じゃあ今日はもう寝ましょう」

「…………」(コクリ)

 私の正義教育は順調だった。拳墜はポロポロと正義の涙を零して頷く。

 なのに、なのにそれを邪魔する糞がいた。

「拳墜が……怪我をした……?」

『はい。街にいる不良に(突っかかったせいで)目をつけられ、結果怪我をしたそうです。今、拳墜さんは私の方で預かっ』

「一人で帰ってくるように伝えてください、それでは」

 ガチャリ、と受話器を叩き割る勢いで堕とす。許せない、ああ、許せない――――拳墜はどうして雑魚なんだ。

「正義が、負けるわけがない……何故だ、何故、拳墜が負けた……? 何故、不良という悪を殺さなかった……? 意味が解らん、どういうことだ……まさか、まさかまさか」

 誤算だった。拳墜を正義に目覚めさせたのがいいけれど身体の方が雑魚だった。おまけにメンタルもカスだった。帰ってきたそのまま二日間、拳墜は眠り続けていた。

「――――お前、正義じゃないのか……?」

◆◇◆4月22日 午後8時。

 東京都、摩天楼とも見紛うビルに囲まれた道路の一角で一人の〝少女〟がいた。公園入口の車止めポールに腰を持たれさせ、パックのリンゴジュースをチューッと吸い上げる。

「ねえ、あの人モデルさんかな……?」

「そうじゃないかな、凄い綺麗な子だね……なんていうか、クール?」

 〝彼女〟は必然的に周囲の視線を集めていた、集めるほどの美貌を持っているのだ。

 赤と黒のチェックシャツに深緑の短パンと黒サイハイソックス。上には深緑のファーフード付きジャケット。ジャケットはメンズサイズだが、それが返ってオシャレになっている。

「おーい、黒ちゃーん。おまたせーい」

「あ、マリンちゃん。話はもういいの?」

 〝彼女〟――――黒妖精フェアリーの傍にマリンが駆け寄る。

「え……!? アレ、マリンちゃんじゃない? 名探偵の」

「ほんとだ……! テレビで見るより可愛い!!」

 探偵、という単語を周囲の人々は口にする。それはマリンのもう一つの顔副業の一つである。

「黒ちゃん、およふく可愛いね! イケてるぜ!」

 マリンは黒妖精フェアリーを黒、と呼ぶ。今夜はその偽名で繋げる手筈となっていた。

「ありがとっ。マリンちゃんも可愛いよ」

「キャー好き! うちの助手兼婿はかわええのぅ!」

 そんな会話をしていると目先に高層ビルが見えてくる。ビルの周りにはその会社の所有地とみられる駐車場や切り揃えられた草木が広がる。

 ヒューっ、と寒々しい風が頬を伝い、現在の時刻を真に教える。しかし周囲に人が多いのは何故だろうか? フェアリーは手元の資料に目を堕とす。

「ここ? 怪盗、とやらが挑戦状を投げた会社は」

「そっ! ではワトソン君、貴君の活躍を期待するっ!」

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