第167話 信頼。4/4


彼らを断崖へと追い込むように彼らの背後にて篝火かがりびのような怨讐の炎は尚も揺らぎ、幾つもの足音が迫る。


「この戦……そもそも貴様らがを呼んだ側面がある。にも拘らず、土壇場で臆し、今さら何処へ行こうというのか」


「……」


待ち受けたは問うた——自らの意志によって許されざる行いを犯しながら、何故に赦しを得ようと試みるのかと。


見下ろしてくる骸骨騎士の鈍く光る赤の双眸は、生者の答えを静かに品定めるようで、そして骸骨騎士の片腕に抱えられた女の生首は我儘な子畜生に呆れ果てるが如く瞼の帳を降ろして鼻息を僅かに鳴らす。


応えない。答えられない。


「ア、アーティー……」


「情けない声で喋らない……もうやるしかないのよ。私は良いからラフィスのアレを人形に持たせて」


彼女らから逃げるつもりであるのに、行先など問われても答える筈も無く——液状化した下半身に迫り来る追っ手の雑踏を感じつつ、更には仲間たちの覚悟を決める息遣いの震えを感じながらにアーティー・ブランドは己らの現状の窮地を脱する為の方策を幾つもと思考しているようだった。


敵の様子、仲間からの視線や気配、周囲の環境。

如何なる策が最善で、如何なる行為が最良か。


様々な事柄を騒がしく落ち着かぬ様相で思慮しながら滲むのは、無意識下で幾つものはかりが傾く音が耳鳴りのように木霊しているかの如き苦慮の表情。


だが——まだまだと彼の思考の混濁は混迷の色合いを増していく。

戦場に現れたる死に神が如き怪物、クレア・デュラニウスは徐に続けて言葉を呟いた。



「……まぁよい。それもまた——弱者の戦い方。批難すべき事では無かろう……だが、これは貴様らとは何の関係も無いではあるが暫し前に思い至って内々にが一つあってな」


「「「——⁉」」」


寛容と言って差し支えないのかもしれぬ赦しを目の前で尻込みする相手等に与えながら、しかして腹の内に抱える怒りは偽物では無いぞと表現するように自身が操る骸骨騎士に持たせている棘付き鉄球が付いたを振りかぶらせて振り下ろさせた。


そう——己の、いや——に勢いよく、振り下ろさせた。



「あの阿呆が……我が、生かす理由もない貴様らを見つけられずか、見つけても尚か、おめおめとと見てを考えておったという事。その事実……よくよくと考えればものだとは思わんか」


何故に、そのような事をしたのだろう。僅かによろめく頭蓋を失った骸骨騎士の身体、アーティーらの足下に転がる砕けた骸骨騎士の頭蓋の破片——自らの敵対勢力を前に、自らの手駒に傷を付けさせる愚行——常軌を逸する振る舞いに、動揺する弱者アーティーたち。


いや、違う——彼女は

彼女こそがデュラハン。


「自らの首を…………」


元よりと首の無きままに生まれ出が彼女の本来、骸骨騎士の首が刎ねられた直後から改めてと膨れ上がって放出される禍々しい彼女の気配は、何の一つの欠損も感じさせない。どころか、まるで身に付けていた重りを外し、軽々と肩を回すような——首輪を解かれた獣が我が道を征くような勇猛さ、獰猛さを殊更に威と放ち始めていた。



「故に——少しに付き合え。恨んでも良いぞ、己が天運を」


あまりにも巨大、あまりにも分厚く巨大に見える——通せんぼ。両腕を開くように放たれた魔力の威圧のみで猛風が吹き荒れて彼女の左右に佇んでいた森の樹木が哀れに軋んで傾く程にソレは展開される。


その時だ——誰もが凶悪で静かな怒りを放った彼女の威嚇にひるむ中で唯一人。



『——いやはや、今回ばかりはに同意しましょう』


怯まずに立ち向かえる者が居る。


「——……」


未だ己こそが神と信じて疑わぬ女傑。ルーゼンビフォアは幾度もと目移りで対峙が逸れされ続ける相手の態度に辟易とした様子ながらも、アーティーらの背後から共に迫っていた燃え盛る骸骨兵を蹴散らし、飛び出すような槍の一突きと言葉をクレアへと贈ったのだ。


「貴女はこの森で、この後も、誰一人として無様に討ち取れやしないのですから」


衝突する鉄槌と白き槍の一振り、真っすぐに頭蓋の砕かれた骸骨騎士が抱えるクレアの額に突き立てられようとした白き槍は体を半身後方に下げながら盾の如く扱われた鉄槌の棘鉄球に受け流され、そこから幾つかの激しい交錯と攻防が続く。


「ルーゼンビフォア‼」


「——……何をしているのですか、アーティー・ブランド。と、誰ぞに説かれた事も無いのでしょうね……それを悟る事も出来ぬ世の哀れに同情を禁じ得ませんが」


「……」


そうして幾重かの攻防の後に、一旦と呼吸を整えるべくか後方に跳び退いたルーゼンビフォアは脳裏で苦悶の思慮で戸惑うアーティーの声に振り向かずに呼応し、今までの攻防の合間に何も成し得なかった彼の愚鈍ぐどんを非難し、幾つかの嫌味を溢すに至って。


やがて——

「——。この私が殿しんがりと勤めると述べた以上、今宵の貴方が歩む道こそが正しい活路だと」


息も整った揺るがぬ声で未だに敵を見据えながらに、かつての神は信心の徳と根拠を説くのだ。何一つと揺るがぬ声で、天啓を与えるが如く——クレア・デュラニウスとはまた違った、異質な唯我独尊を滲ませながら説くのである。


そんな彼女を、彼女は笑った。


「はっ、何もかもを失い——いよいよと新たなでも始めたか。どうせなら、レザリクスの前にでもかしずいてミリスに可愛らしく尻でも振るのはどうだ。この世で安穏と暮らす貴様の無様を見るも些か愉快やもしれぬ」


「いや——既に尻を振っておるか。そうであるなら、この場は見逃してやってもよいぞ? その内——貴様の働く教会にでも奴とおもむき、寄付の一つでも恵んでやろうと思うだろうからな」


骸骨騎士の肩に鉄槌の柄を担がせて、小首を傾げるが如く骸骨騎士の片腕に納まりながら見下げる嘲笑の様相。くくっと悪い冗談を悪い冗談のように述べる突然の上機嫌——それほどに、或いはルーゼンビフォアとアーティーらのやり取りが意外なものに彼女の瞳には映っていたのかもしれない。


いや——さもすれば、


「……要りませんね。彼らにはもう少し働いてもらう方が利もある……ここで恩を売っておくのも次の機会でアナタ方を確実に討ち取る為に行うべき手順の一つでしょうと——」


久しく感じていなかった一切と負い目を感じさせない純粋なルーゼンビフォアからの敵意や静かでありながら充足に満ち満ちた猛々しい戦意に当てられて、目の前に馳走がずらりと並べられた気分にでもなったのやも。


兎角——どのような思惑があろうと槍を構え直した片手間に、口に咥えられた指二本——


「きゃあアアアアアアアア——‼」


 「⁉——なんだ……アレは」


その後、首無し騎士の背後から少し離れて存在感を消すように片膝を着いて屈んでいた白銀の女騎士は、笛を合図に凄まじい速度で気勢を上げながらルーゼンビフォアの傍らに降りてきたを神妙な顔つきで目を凝らし、のだ。


警戒はしていたか——

油断はしていたか——否。

安堵はあったか——是。

信頼をしていたが故か——是。

予想は出来ていたか——



「……レヴィさん。あのデュラハンの後ろに居る


「「——‼」」


 「ちっ……」


四肢蜷局ししとぐろに開かれて、あたかも禍々しき天使の羽根の如く伸びた触手は一つの令に応じて速やか彼女の槍の一振りとも化す。咄嗟に察し、開く瞳孔——骸骨騎士の鎧甲冑が軋みを上げて、手早く振られた棘付き鉄球の鉄槌が肉を叩く鈍い音を森の夜闇に響かせる。


——それが片足である一振り目の槍が迎えた初撃の顛末。


「此処に彼女たちまで連れてきたのは愚策でしょう……アナタも早く行きなさい。いつまで神の祝福を呆けて待っているつもりです、この愚図スライム」


そこからの幾つかと繰り広げられるルーゼンビフォアが使役するレヴィと、クレアの操る頭蓋が失われた骸骨騎士との激しい攻防——その只中であっても油断なく敵の動きと姿を観察し注視を続けるルーゼンビフォアは背後にある鬱陶しい気配に邪魔だと酷く冷徹に、或いは無関心な様子で告げて。



「——頼んだ……行くぞ‼ 立てるか、バルドッサ‼」


 「頼まれずとも、私がやると決めた事です——全く以って、気味の悪い」


されば、返されるのは彼女にとって背筋にぞぞけと表するに値しそうな悪寒が走る文言に相違ない。苦境に立たされていた暗躍者アーティーへと特に思入れも無く差し伸べた救済に、確かにも感じながらルーゼンビフォアは僅か——ほんの僅かだけ蠢き去っていく背後に居た人間たち足音に耳を澄ませる。


それが——いや、隙と呼べる程ものでは無かろう。

結局は、酷く無情な運命の必然——当然の結果だったに違いなく。


「ふん——此度こたびは互いに足手纏いを抱えながらのいくさ。そのようなおもむきであろうと思ってな」


 「ギャガぁ……——」


アーティー・ブランド一行とルーゼンビフォアが背中合わせとなった時分、繰り広げられていた戦いの音が突如として唐突に止まり、本来の森が持ちし夜闇の静寂が一瞬と息を吹き返すようにほとばしった。


吹き飛ばされて、弾き飛ばされて、ルーゼンビフォアの真横を通り抜けたのはルーゼンビフォアが使役する天使レヴィ。


そして、その結果にも僅かに気を取られたルーゼンビフォアを尻目に


「っ——‼」


鉄槌も飛んでいた。飛ばされていた。


レヴィによってか——否。

によって、だ。


「ラフィス‼」


ルーゼンビフォアが骸骨騎士の武器を持っていた片腕の先がである事に気付き、レヴィの全身が弾き飛ばされた音と嗚咽おえつに混じって空を掠めた音の出所に顔を振り抜かせた時には、もう時すでに遅く——窮地を脱せられるかもしれない希望への信頼で何も犠牲にせずに済むかもしれないと安堵を抱いたアーティーの咆哮が轟いたその瞬間にはもう——あのが、岩を抱えようとしていた木偶人形と共に砕かれて。



「くくっ……どのような理由かは知らんが、。そこに在る一際に滲む——どう転ぶか楽しみよな、ルーゼンビフォア」


その結果として何が起こるかも分からぬままに、その岩の中に何が居たのかも知らぬままに、しかして彼女は悠々と笑う。



まるで——生まれ出でた場所へと帰郷し、悲喜こもごもの懐かしさに心が僅かに踊るが如く、少し愉しげに——笑っていたのだ。


——。

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