第167話 信頼。3/4


——。

視線の先、夜闇に紛れて見難いが視野の向こうに点一つ。

もはや耳を澄ましても聞こえ難い高速で羽ばたく虫の羽音が、密やかに遠ざかっていく。


「クスクス——やっぱり、駄目だったか、な⁉」


始まった戦いの中で存在感を消していた少年は真っ直ぐに振り向かねども、背中を刺すような視線を感じて飛行の最中に小首を傾げて悟り、しかして悟った所で今更と遅いとも悟り、背後から猛烈な勢いで追いかけて来るが己の背中に衝突する覚悟を決めて出来る限りの予期せぬ被害を抑えるべく、飛行によって生じる空気抵抗が課してくる体の揺らぎを最小限にしようと背中に生える虫の羽ばたきを止めて飛行する体の急停止を試みた。


「どさくさ紛れ……我ながら良いタイミングだと思ったんだけど。視野の広さと冷静さ——伊達にも戦い続けていないよ——居ないかな【虫一笑バグズ・ライフ】」


そうして、覚悟を決めた彼の背中が耐えきれぬ程の勢いで衝突してきたのは、漆黒の黒球——数多のとげが伸びる殺意の込められた鉄槌、ハンマー。衝突しても尚と勢いを止めぬソレは、一瞬にして弧を描きながら少年スペヴィアの胴体を容易く引き裂き、そのまま真っ直ぐと広大な森の闇向こうへと勢いを殺されぬままに通り抜けていく。


されども裂かれた腹から溢れ出る白い粒の様相に反し、スペヴィアの表情様子を鑑みるにその攻撃は彼にとって大した打撃では無いようにも思える。


だが——

「「「——」」」


己が姿を見た者、己が視野に入れた獲物はひとつ残らず逃さぬという確固たる殺意いしを雄弁に語らうが如く、体が二つに別たれた少年に遠慮も無く遥か下方の地表から跳び上がって取り囲み、襲い掛かる



「……これもまた、だとはにわかに信じ難いレベルだっ‼」


焦熱しょうねつの苦行に叫びをあげる骸骨の声なき咆哮、カタカタと生じている空気抵抗が動かす顎を鳴り響かせながら三体の骸骨兵たちは一斉に片手に持つ業炎の剣をスペヴィアに振り下ろす。


その猛攻猛追に、さしものスペヴィアも——いつの間にか繋がり直されていた体を捻らせ、背中に生える虫の羽の動きで紙一重で避け続けながら苦笑いを浮かべる他は無い様子。


宙に足場があるように、空を跳ねる業炎纏う骸骨兵——それらを嫌って、まさしくと蠅の如き羽ばたきで高速で距離を取るのがその証左。



——この時の誰もが、彼の自由と放蕩ほうとうと、目論見と企みを許さない。


「何を……、暇なら手伝えと言うておったろう——がっ‼」


襲い来る骸骨兵から距離を取った矢先に相も変わらず突然と現れる老人ガラルこそ、その筆頭とも言えるだろうか。些かと刃毀はこぼれをした刀一振りを携えて、その場に突然と現れたはずのガラルを瞬間移動も経る事無く即座に追い掛けてきた地上よりの牙鋭い触手を、下駄を履いた足で蹴り弾く。



「おっとっと……別にサボってた訳じゃないんだけどさ——少し主観的で視野が狭くなってるんじゃない、年のせいかな? せいかもね」


そんなガラルの放つ指摘に、彼にぶつからないように急旋回しながら不満を漏らし、辟易と息を溢すスペヴィア。


神出鬼没なガラルとの衝突を避けられた安堵も混じったその息の後、旋回によって背後だった今は前方より尚も迫ってくる骸骨兵の狂走も再びと目を突いて、彼の温和でありながら嘲笑的な光は瞳から些かと失われていた。


更には——

——‼」


広大な森が広がる地上から両手両足を剥かれた林檎の皮のように広げて飛び寄って来る様は、彼女が放つ甲高い奇声から容易に想像し得る状況。


柵も籠も無い筈の満天の星空の下、足下を見れば人の手が加えられてない悠々とした森が夜風に荒々しく揺れている——そのような状況が、感じてしまう窮屈さが、良くも悪くも穏やかで笑みを絶やさない彼の表情と心持ちを変えさせるに至ったようだった。


「——……どいつもこいつも、流石に少し感情的になってしまいそうさ。しまいそうかな」


「僕は君らと違って、直接戦闘に向かない支援職の部類なんだけど‼」


「ウキャァアアアア——……⁉」


心が沈んだような面立ちで両手をぶら下げて背筋正して立ち尽くし、前後それぞれ迫り来る敵影を両脇に交互に見れるように半身百八十度と回して整える呼吸。


やがて四肢を翼の如く広げる影だけ見れば天使の巨影と相成っている怪物の奇声と共に放たれるを、彼は避けずに即座に反応し、両手を交差させて


「いいよ——オーケイ。そんなにお望みなら《適応》しようか。この環境に、僕もさ」


そうして、何処か妖しく四肢触手の怪物レヴィの攻撃を覚悟を以て受け止めて俯いていた顔をユルリと持ち上げ、浮かぶは不敵な笑みそうろう——ザワリと虫が肌を這うような不気味で陰鬱な威圧がスペヴィアの全身からジワリと解き放たれていくようで。


「……そろそろ【受胎】の本領——見せてみよ、手を抜いて切り抜けられる状況では——‼」


その頃合い、漸くと本腰——幾ら瞬間移動を行おうと己を見失わずに超反応で追いかけて来たレヴィの猛追から一瞬と解放されたガラルは、そんなスペヴィアの気配の変容に一息を吐いていた。


だからこそ、己が代わりにレヴィの相手をしているスペヴィアのおかげで視野が広がりて状況を一旦と整理し、気を締め直す一瞥の余裕が生まれたからこそ、当時の機運も相まって誰よりもにいち早く気付くに至ったのだろう。


「——‼ 小僧ぉ‼」


「「——⁉」」


迫り来ていたのは目先のレヴィや三体の燃え盛る骸骨兵だけでは無かったのだ。


一瞬にして間合いを詰めて、遥か遠方より月光が影を映すよりも早く感じるような凄まじい勢いで迫り来るが一つ——何もかものうごめきをさらうように、空中で足を止めた者たちを意にも介さずに巻き込んで突如として通り過ぎる。



「……このは酷いよ、僕の見せ場——から来てたんだ……いや、そりゃそうか。そうだよね」


まるで——刎ねられたようだった。先ほど投げられた様子で弧を描いていた棘付き鉄球のハンマーが通り過ぎた際にスペヴィアの身に起きた事柄が、再びと時を巻き戻したかのように繰り広げられて——再びと二つに別たれる肢体。


その実と——


何故なにゆえに、かのハンマーは己を切り裂き、遠き闇向こうの森に消えて行ったのかの真意をスペヴィアは今更と知りて、宙に投げ出される上半身と共に弧を描きながら己が抱いていたの具合を思わずと嗤う——。


***


嗚呼——誰一人として、易々と逃がさぬ強欲——その歯牙は彼らにも向いていたのだ。


「こっちだ、お前ら——」


 「い、行くよ、ガレッタ‼」


「返事も同意も要らないのよ、馬鹿」


戦場に噴き上がり滞留する土煙が未だに宙を埋める中で、コチラもまさにどさくさに紛れて退を試みようとしていた。


彼らの動きも風の流れも傍から見れば土煙の激しい揺らめきで一目で分かる状況——米俵を片腕で抱えるように岩石化した豪腕が担ぐ物を首も用いて支えながら先導する巨躯の男バルドッサを筆頭に、割腹の良い少年ブロムが背後をオドオドと気にしながら続き、彼の能力で操る傀儡兵の生き残りが片腕から血の代わりに糸を垂らす少女ガレッタを背負いて運ぶ。


「急げ、奴等が揉めている間に少しでも——」


そして逃げゆく彼らの背を守る殿しんがりに、下半身を液状化させて滑るように動くアーティー。彼は腰骨の無い彼は仲間たちの後方から来るだろう敵を警戒しながら、後ろ歩きの様相で仲間たちを急かす言葉を放とうとしていた。


だが——この時、真に警戒すべきは前後左右では無くに相違なく。


『そう急くでないわ——これまでの、我の退屈の穴を埋めよ』


 「「「「——⁉」」」」


何処ぞよりと聞こえた気がした声に背筋が凍りつくような想い——そしてその後の刹那的な時の流れの果てで、逃げようとした彼らの進行方向を遮るが如く森深き天井を突き破り、激しい勢いで落下してくる


かたわらに持つのは黒い鉄球が先端に付いた凶悪な打撃武器、ハンマー。


一目で分かった、一目で分かった。


「でゅ、デュラハンの……——」


思わずと雲に隠れていた月が、再び恐る恐ると顔を覗かせてその眼光が照らすのは光沢感のある漆黒の鋼鎧はがねよろい——


「……」


その顔色を伺えば、生気など在ろう筈がない頭蓋骨の肌色。何処に続くかも分からぬ暗き眼底に灯るのは光を求める者の命を死へと導くような赤い、赤い光。


此処に至るまでに魅せられた燃え盛る骸骨兵とは明らかに違う異質で強固な骨格、火こそ滾らぬが明確に——遥かに、コチラの騎士の方が出会う者への死を強く匂わせる。



「——岩石ゴーレム、それに木偶人形……レザリクス一派か‼」


そんな唐突に馳せ参じたように見える骸骨騎士の背から飛び降りて、白銀の軽鎧を身に付けた彼女が声を上げればその正体は、暗躍者にとって殊更に明白であった事だろう。


「カトレア・バーニディッシュ……セティス・メラ・ディナーナ」


 「アーティー……ブランド」


単身で——いや手足なき頭一つで乗り込んできた怪物の手足代わり。息を飲むように手足代わりの骸骨騎士が連れてきた者たちの名を呟く声も、白銀の騎士カトレアの背中に背負われる魔女の呟き声も、彼や彼女らの間に渦巻く相応の因縁を物語る。


けれど——今ははどうでもいい。


「うおおおおお——」


進行方向だった森の道なき道に現れた骸骨騎士に退路を断たれ、背後からも燃え盛っているだろう大勢の骸骨兵たちの足音が響く中で、撤退を先導していた巨躯のバルドッサは肩に担いでいた岩の塊を地に堕とし、前方へと走り出す。


数は一と言っても過言では無い。目の前に現れた骸骨騎士さえ退けさせれば、恐らくとコチラと同じく戸惑う様子を見せている手負いの魔女を抱える女騎士から逃げる事は容易かろうとバルドッサは勇んだ。


一刻も早く、傀儡かいらいの主が——この骸骨騎士を操り始めぬ内に一気呵成、先手必勝の心積もり。


だが——やはり無情。


「っぐぁ‼」


 「バルドッサ‼ クソ‼」


両手を大いに開き骸骨騎士に飛び掛かろうとしたバルドッサの顎は、刮目するが如く暗き眼底の奧にある赤い双眸を輝かせた騎士が真下から振るう棘付きの鉄槌によってカチ上げられ、瞬く間に流れるように片足を軸に独楽のように回転した骸骨騎士によって腹部にハンマーの殴打による追撃を喰らって容易く近くに在った森の樹木の幹にまで弾き飛ばされる顛末。


状況は増々と悪化の一途——悪化の一途に他ならない。



『下がっておれ、カトレア——直ぐに終わらせる』


軽々と巨躯のバルドッサを弾き飛ばしたその後に、差し伸べられた骸骨騎士の左腕の先に降り立つ美しく艶やかな白黒の髪を頂く人の形をした怪物の頭部が殊更に、活路を見い出そうとする彼らの旅路へ絶望の拍車を掛けているようだった。

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