第166話 仲間。2/4 


ただ——そこから先の全ては、まるで霧が晴れたかの如く明白であって。


「……——何か、来る……‼」


遅ればせながらとも言えぬ間合いにて、その時——異様な二つの存在以外でその異変に一番に気付いたのは暗躍者らのリーダーであるアーティーだった。ドロリと溶けた腕から垂れる粘液ねんえきがフルフルと揺れて、比喩として背筋に走った何かしらの悪寒のような感覚が彼を背後に振り返らせていた。


堂々と斜に構えていた光を放つ月の真反対——光届かぬ闇の向こうから、


「お逃げなされい……時を稼ぐ余裕すら、無いやも知れぬ」


徐々に大きくなっていく微々たる震動が、先走って遠くから押し寄せて来る何かの存在を報せる——少なくとも音よりは速くは無いけれど。


されどとたけく、確かに巨大な存在感だけは如実に伝わってくる。


片足を一歩と半、真後ろに流して腰を低く前のめり——杖を携える老人が緊張と真剣の面立ちで居合いの如き構えを神妙に魅せ、一呼吸。


その終わりに、それは——確かに訪れを告げたのだ。


『——……ゃあアアアアアアアア——‼』


 「「「「——⁉」」」」


遠くより響き始めて幾星霜か。そんな長くは無かろうが、しかして確かに遥か遠方より放っていただろう声が猛烈な速度にて警報サイレンかと聞き違える甲高さで、振動を越えて確かな音と相成り伝わって。


そして——まるで、あたかも、隕石の如くと——


「……——‼」


木々を薙ぎ倒し、地をえぐり、滑るように空より訪れたそれは、無数に伸びる触手で敢えてと更に広範囲の樹木の数々を巻き込みながら彼らの前で立ち止まったのだ。


ギョロリ、ギョロリ。

幾つもの眼球が忙しなく己の身に含む房水ぼうすいで月明かりを弾く、鉤爪かぎづめのような剥き出しな歪な牙が生える無数の触手と宣って良いのか疑わしい彼女の頭なき首と片腕から伸びる体の一部が、


ギチギチと僅かな胎動にも似た収縮を繰り返しながら周辺の数本の樹木の束に巻き付き、絶妙なバランスで少女だった名残を残す身体を吊り支えて静寂を嘯く不気味。



「——おっとっと……これは、これは……‼」


スペヴィアは理解する——そこに無遠慮に現れた静寂の破壊者の異様な様を見て、咄嗟に後方に跳んだ為に崩した態勢を整えながら薄ら笑いを浮かべて。


「来るぞ、下がれい‼」


先んじて知るに至った老人が叫ぶ——知らぬなら知らしめねばと知らぬ者に迫る危機を報せる為に厳格で険しい顔つきで。


『——……‼』


ギチギチと筋肉の収縮に歪む無数の触手の如き肢体に絡み付いた樹木の束が、ギシギシと軋む——地伝い、周辺の足下に伝わる胎動の余波、樹木のきしむ音が徐々に強まり、疾走の前に感じるような脹脛に溜まる力の集約と集中の余韻が緊迫した静寂の空気に伝播でんぱんし始め、


「‼ ——ブロム、ガレッタ、俺の後ろに跳べ‼ バルドッサは二人を‼」


 「「「——‼」」」


何も知り得なかった暗躍者らすらも悟るに至りて——が、次の刹那せつなのちに訪れ来る。


刻々と速まっていく心臓の鼓動、見るからに巡る血流が勢いを増して血管が浮き出て筋肉の収縮が激しく過呼吸の如く際立ち始めれば、やがて肢体の先で絡まる樹木の束が長きに渡って根を伸ばしてきた大地から無情に引き剥がされていく。


「アアアアアアアァァ——‼」


その咆哮は、全身から溢れ出た物だった。まるで熟達されたリンゴの皮剥きのように螺旋に開かれた皮膚の裏に隠されていた全てから溢れ出たような全方位に奏でられる甲高い咆哮。


其処に加えられるのは、大地より引き抜かれた直後から彼女の武器であるかのように同種の木々を薙ぎ倒す手助けをさせられる森の嘆き。


かつて少女の風体を整えていた彼女が降り立った足下を踏み込み、ズンっと今更ながらの隕石クレーターかのように大地を沈み込ませれば怒涛の攻撃が始まりを告げて、書き切れぬ程の破壊が繰り広げられる。


「——クス……これは、ヤバイね。確かに……僕から見ても遊びが過ぎるかも」


それはまるで赤子の駄々のようで、されども現実の大人が振るうむちの如し。

あたかも泉から湧き上がる水流の勢い、堰き止められていたダムの崩壊で発生した土石流かと見紛う様相で大量の樹木が一瞬にして大地から根が掴む土砂もろともに引き抜かれ、その瞬間——湿り気の有る砂嵐が視界を覆う。


そして——拘束を解かれて怒り狂う獣が暴れ出したかの如き暴乱も始まり、かつては少女の風体だった怪物の首や手足から伸びる幾つもの目と牙の生える触手の如き筋肉の塊が収縮を繰り返しながら鞭のようにしなり、余りある破壊力と速度で周辺の全て——周到に準備されて並び立っていた数多の木偶人形を無造作に次々と薙ぎ払っていく。


嗚呼——けれど、それら十分な災害認定に足り得る事象も、これから起こる事からすれば始まりの挨拶程度に過ぎなかったのかもしれない。


「ふん……貴様にも大なり小なり目的を果たす気概があるのならば、少しばかり手を貸せい。此処こそが恐らくと、我らが彼奴の暴虐を有利な内に止める機会に違いあるまい‼」


「——……」


一旦と、状況の白紙化とも言える破壊を終えて——そのまま大地を引っ繰り返したような雑多な更地と一瞬にして創り上げた人外の怪物は、状況を確認するように首から上だったモノの動きを緩やかに、しかしてり帰ってくる木偶人形の破片や森の残骸を時々と反射的に弾き飛ばしながら首を傾げたような雰囲気をかもした。


思わずと雲に隠れた月光が改めて恐る恐ると下々を鑑みれば、そこに在ったのは一部の方角以外はまるひらけて禿げた森。


「違うと宣うならば——せめて、この無関係な御仁らを遠き場所へ避難させよ‼」


地に突き立てられる杖の先、その傍らで屈んでいた腰を持ち上げた老体は杖を握らぬもう片方の手に鈍銀の刃を光らせながら弧を描かせて杖から手を離し、刀の柄を逆手に持ち直しつつ両手で握り締める。


それから——その刃も突き立てた。


「【起点突き‼】」


 「……‼」


隠し刀の鞘であった今は少女だった怪物の暴乱から難を逃れた森の一部を背に突き立てられた杖の真横揃いに突き立てる素振りであったその刃も、しかして幾つもの目を携えて死角など無いように見える怪物の警戒網を掻い潜り、肩に唐突に突き立てられて。


「ふんっ‼」


そして誰にも悟られぬままに瞬時に移動し、詰め寄った老人の下駄もまた少女だった怪物に乗り上げて少女の名残ある肢体を地面に叩きつける勢いで踏み付けたのだ。


「うーん、クス……仕方ないな。ないかな……僕だってこう見えて、ちゃんとした秩序と節度をわきまえた性格をしているしね。でも——少しだけだよ、クスクスks」


その光景を前に、彼も動き出す。今は瓦礫山となっている、かつての森に腰を置き人差し指を唇に当てが居ながら状況を見下して小首を傾げていた少年も動き出す。


「教えてあげるさ……B・スペヴィアのBは——BUGのB。バグは虫って意味だってね‼【虫一笑バグズ・ライフ】」


差し出された腕、服の袖から——と言うよりも服そのものも蠢き出して、まさしくと昆虫がさなぎより羽化し、羽を広げるような異様な変質を繰り広げ始める。



「——何で英語かって? そっちの方が考察も捗って楽しんでもらえそうだからかな、クスクスks……」


少なくとも数千、多くて数万の白い様々な虫が倒木に腰かける少年の体から這い出て溢れ、失われていく少年の原型——それでも尚と健在な嘲笑めいた彼の笑みは、悠々と飛び立ちゆく無数の虫たちの羽ばたきを見送るばかり。


それは異様——異質——異形——確かに化け物たちの饗宴と呼ぶに相応しく。



「無駄口を——叩く時ではあるまいが‼」


猛烈に触手に変質した自らの頭や片腕振るう少女の風体であった怪物は、数多の虫の群れに襲われながら忽然と姿を消しては突然と現れる老体に刀を振るわれ、恐らくと本領を発揮できぬままに翻弄されている——傍から見れば初手序盤、やや少女の風体であった怪物の不利な形成から切って落とされた戦いの火蓋。


けれども刃で裂かれ、虫に次々と肉を噛み千切られようが、


「……再生能力も、Sランク。加減する気も会話も通じ無さそうだね。無さそうかな」


「——キュアァ‼」


直ぐ様と彼女の肉体は増殖し、即座に再生を繰り返しながら、徐々に状況に慣れてきたのか神出鬼没な老人からの奇襲を防ぎ始め、襲い来る虫の群れを散らし、彼女は僅かに生まれた余裕を虫の群れを己に解き放った少年スペヴィアに当て始めた。


未だに何と表現すればよい物か分かりかねる皮剥き林檎の皮の如く剥がれて伸びた自らの肉を筋肉の収縮によって硬く先鋭化させて放つ槍の如き一突き。


「おっと……そのクセに確実に痛い所を突こうとして来る。僕は戦闘向きではないから、早めに決着を付けたい所だけど——急がば回れかな【蠅羽飛翔フライフライ】」


虫と変えた事で手足の先を失い、倒木に腰を掛けたままだったスペヴィアは老人に向けていた意識を変えた彼女の対応に咄嗟に反応して首を逸らして紙一重で彼女の攻撃を躱したものの、


急いで体を動かした為に体勢を崩して倒れ込み、初撃で討ち取れなかったスペヴィアへの追撃を試みた怪物の攻勢に対し、自らの背にも蠅の薄羽を生やして飛ぶ移動を余儀なくされる。


「ほらほら。気を散らしてあげるからかくを斬ってよ、おじいちゃん」


 「——だ。斬った側から再生しよる、いや……魂を斬るすべが今の我らには難儀であると言うべきであろうか」


それでもと追い討ちを仕掛けて飛び立ったスペヴィアを叩き落とそうと怪物の肉塊の執着をまさに蠅の如き縦横無尽な飛行で躱しながら、未だ地上にて怪物少女の本体と刀一振りで戦う老人に挑発的な嫌味皮肉を放つスペヴィアは、一見と有利では有ると思えそうな序盤を錯覚であると断ずるに至れる情報を風切り音を混ぜられながら聞くに至って。


「完全に調伏ちょうぶくさせられた天使——って事かな‼ 序列としては随分と劣悪な感じだけど‼」


「言葉には気を遣えい、余裕が失われておるぞ——まだまだ、この悪夢も序の口で——」


そして更に、聞こえ——何よりも感じたのだ。


『——【槍神焔リクフレース】』


己の意志も無く、痛みや未知に対する恐怖も無い——かつて少女の風体であった怪物が、しかし何故に全面に敵意を向けて意図的な様子で此処に現れたるか。


彼女が仕えるまことなりし彼らの敵が今——太陽の如きほむらを携えて、降り立ってくる感覚を感じ、そしてその寸前までその存在に気を配り、悟り感じ得なかった己らの余裕の無さと現状の劣勢を知るに至る。

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