第164話 旅立ち。4/4

***


語らねばならぬ事は多々あって、語りたいと思う事も多々あった。


「——……はぁ。心をいやす手段が無いな、疾走感のある近代音楽でも奏でといて欲しいもんだが……なまじ記憶が残ってる分、欲求不満も馬鹿デカい」


タン、タタン——座する椅子の肘置きを指先で虚しく軽快に、されど明確に音が出ぬままに、その音響は刻まれる。


 その場所は、まるでほむらに包まれているようだった。轟々と音が聞こえてきそうな白き炎が彼の者の座す黒き王座を中心として、あたかも彼を逃がさぬように渦を巻くが如く彼の者の周囲をにぎやかす。


——天井から伸びる刺々とげとげしい鍾乳石に見守られながら、しかして光届かぬ洞穴や現在時刻の夜とは思えぬ明るさも、その一人の男の周囲で荒ぶり燻る炎の如き白光のおかげであろうか。


タン、タタン——座する椅子の肘置きを指先で虚しく軽快に、されど明確に音が出ぬままに、その音響は刻まれる。


——であった。

或いは遥か地下の、星の胎動が耳を突く——並び立つ者が誰も居ないとも言える。


「耳鳴りばかりで……イヤホンと音楽プレーヤーでもありゃあな。今なら小一時間くらいクラシックにでもヒップホッパー並みに小躍り出来そうだ」


「知らなきゃ……幸せ、か」


生命の胎動は満ち満ちて、本来であれば太陽の届かぬはずの地下に栄える筈も無い数多の花畑。


さざ波の音——火も水も、そこには在りはしないのに。

広大な地下空洞の中は、あらゆるもので満たされているようだった。


 あたかも星そのものの血流が、これまで流れを阻害していた要因であったを取り除かれてよどみなく流れるが如く、地下空洞の中心にある広大な泉のような場所から清流の始まりのように新鮮さを感じる何かが湧き上がり続けていくようで。


それが恐らくと、さざ波の音を想わせているのだろう。


何一つとが無い泉から溢れた生命力の波は、押し寄せて地に触れた先から瞬く間に唐突に花を芽吹かせて咲かせては、引き返す波と共に枯れて波間で次の新たな花が代わる代わると咲き誇っていく栄枯盛衰えいこせいすいを繰り返させていた。


けがれた物は何もない——とどこおりの無い純粋な生命の循環、あゝ——は。



「——……知ってりゃ、不幸せって訳でも無いが」


 水が油を弾くのか、油が水を弾くが先か。どちらにせよと決して入り交ざらぬように、彼の者を忌避きひするが如くと呼ぶに相応しき出で立ちの泉から溢れ出た物は彼の者には決して近寄らない。


彼の周りを覆う、まだ何の形を成していない荒ぶるような白炎にして白煙の如きおぼろげな白き光こそがその証左とも言えようか。


 肘置きを叩かぬもう片方の手に納まりきれぬ漆黒を極めた石塊いしくれを、それでも片手のひらに大いに乗せて、黒き王座の背もたれに身体を預けながら全身に襲い来る虚脱に身を任せるが如く首を反り返らせ、天井に双眸を向ける。


足下にしていたであろうこけは乾いた枯れ色、更にせて——彼も乾き、疲れ果てて座する他は無い。


命をうるおわす余りある潤沢じゅんたくな生命力が彼を避け、もはや死を待つばかりのにも見えるような光景である。


しかしてその時、


であった。イミト・デュラニウスよ』


「……」


 そんな彼の耳に、まるで悠久の時をて久しく聞く様な他者の声が聞こえ始める。彼の者は何一つと身動きせずに茫然と天井を眺め続けてはいたが、僅か——僅かに心を失っていたような微睡まどろみの眼に意志が宿り直したかのようなうるおいが戻れば、その聞こえ始めた声は確かに夢幻ゆめまぼろしでは無かったに違いなく。


嗚呼、それでも——


『本来は使が果たすべきを越えて、世のことわりして乱す事も無く最小限の被害と労苦にて丸く収めた。この結末であれば、も少しは減る事だろうよ』


「……不要な接触はだと、またに怒られやしないですか、確か……そうだ、


 音を欲しがっていた指先が止まっても尚と、話し掛けてきた荒々しく野太い——声だけで豪胆な性格がうかがえる男の声に、耳穴に泥でも詰め込まれたかのような不快感を滲ませる声で彼の者は辟易と——いいや、ウンザリと頭を傾けて耳を軽く穿ほじる。


なんという悪態か、文字にすれば些かと相手に差し向ける敬意もあるようにとは思えるが、その実と恐らく皮肉交じりの嫌味に相違ない彼の者の言動。


『はっは、聞き馴染まぬ敬称よ。の奴は今、己が天使の動きを注視しておる……その隙に悟られぬようにおもむきを傾けておるのだよ。素知らぬ振りをしておけ、得意であろう?』


 しかし、そんな嫌われる事をいとわない悪辣な態度の男の言動に何かしらの新鮮味を感じたのか、或いは想定していたの清々しい程の一致に、話し掛けてきた豪胆な男の声は嬉々と言葉を続け、あたかも頬杖を小気味よく突いて無邪気な我が子の遊ぶ姿を眺める父の如き談笑の間合いで言葉を紡ぎ返す余裕ぶり。


——ああ、増々と鼻に突く。


豪胆な男の声に対し——乱暴無神経に頭をで回されて、整えていた髪型が崩れた時のような気怠い溜息を前述の感情を表情に露にしながら吐き捨てた彼の者。



——全く以って、望みという物は叶わないものだ。


タン、タンと改めて貧乏ゆすりの始まりの様相で彼の者の指先にて密やかに叩かれる黒き王座の肘置き。しかしてそれを最期に肘お気に置かれていた彼の者の掌は離れ、肘置きが肘置きとして正式に機能し始める頬杖の流れ。



 豪胆な男の声掛けに反応し、僅かにうるみ、生気を取り戻しつつあった彼の者の比喩として渇き気味であった双眸は頬杖を突いて斜に構えるや、些かと鋭く権謀を鋭く見据えるような——まさしくと愚衆の退屈で身勝手な嘆願に睨みを効かせる王の如き出で立ちと相成る。



『……此度の龍脈の子、デュルマの——いや、ここは貴様の筋を立てとしておこうか。我らが遣わした天使——それからルーゼンビフォアが彼の者の断罪を果たしていた場合、本来であればが与えられ、ルーゼンはを僅かに取り戻し、天使はを得られていた』



『しかし貴様は、外様の者ゆえに当然と決まりに適応はされぬ。あらかじめ、我らが貴様にを与える事は無いという話だ』


——彼の者は、何者であったろうか。未だ片手に持つ、片手には納まらぬ程に大きな漆黒を極めた吸い込まれそうな黒色の石塊いしくれを滑り落とさぬように掌を上に向けて指先に力を入れて握り締め、怪訝な顔つきで豪胆な男の何処から聞こえているかも分からぬ声に耳を傾け続ける。


幾度もの争いの果てに辿り着いた場所に独り座して、得られた物に何の意味があったろう。


油断すれば不意に襲い来る些かの疲弊に辟易として、



『ふはは、という顔をしておるな……だが、既に貴様はのだよイミト・デュラニウス』


 『デュルマとの戦い……だ。まさか、などとは楽観しては居るまいな』



「……ちっ、恩着せがましいだな」


苛立ちがつのる、苛立ちは募る。

何の一つと望む物を与えぬクセに、何か一つと荷物を降ろせば新たに望まぬ重荷を背負わせて来られて情緒なき旅路の支度を急かされる。



——己は一体、何者であったろう。

己の足下から周囲一面に広がる枯れた地底の情景が、地下大空洞を満たすよどみなき生命力の循環や胎動が産み出していく美しく咲き誇る花や心が在るかも分からぬ蝶までも舞う光景との対比で殊更に色褪せて見えて。



『ふん、着せてなど居らん。言ったであろう——だと』


 『これはぞ、解っておろうと思うがな』



『貴様が勝ち取りしの名は——』



まるで——いや、まさにか。

己は此処に居てはならぬと追い立て責められ続けているよう。


 豪胆にして堂々たる男の声、語らう言葉を暫くと聞きながら心はうつろに、刻々こくこくと変容を続ける地下大空洞の己しか見れぬ生命力の力強さや美しさに満ち満ちた——或いは儚さの極まる栄枯えいこを繰り返す情景を視界に映す。



「——…………ここは、世界の何処よりも静かだけど何処よりもうるさくてかなわねぇ」


嗚呼——語らねばならぬ事は多々あって、語りたいと思う事も多々あった。


それを解っていたとして、そればかりで心と体が動くのか。

音を求めていたとして、だからと静寂を嫌うばかりでも無い。



「少し……疲れたから、休みたかったんだけどな」


少なくとも疲労と責務——それぞれが相反する葛藤の中で、ひと時の休息も束の間と空気も読めぬ外様の叱咤激励ほどに水を差される事も無し。腰は重いが、それでもと時が彼に味方する訳で無し。


ひとつの戦の終わり際——呆然と、僅かな間でもと徒然とぜんたしなもうといさんだ彼の者の願いも虚しく砕け消え、些か——よっこらせと立ち上がる彼の者の背は、座していた黒き王座からくゆり始めた黒い霧煙のうごめきに似通った寂しげな哀愁を想わせる。


誰が為に生きた——己が為でもあった。



「行くか——夜飯、はぁ……腹減ってるかな、流石に……疲れて眠気の方が先に来てるか」


 少し長く座っていた所為か、些か強張こわばっていた身体の筋を和らげる小さな背伸び、空いた片手で頭を真横に傾けた首筋を撫でて、僅かばかりの立ちくらみ——疲労の酩酊めいていに揺らぐ視界を嫌って瞼の帳を降ろしながら腹の底に沈殿していた息を吐く。


そんな彼の者の様子とは反して尚も片手で持ち続ける漆黒を極めた吸い込まれそうな黒色の石塊いしくれは、平衡を気取るはかりの如き面立ちを続けていた。



誰が為に生きる——己が為でもあろう。



「勝てよ、……明日の朝——いや昼飯かな、そこがいよいよ……だ」


——己は一体、何者であるだろう。

判然と思考し、彼の者はそれでも足掻くが如く考え続けていた。


疲労の中で休む理由を、大義名分を翳す為に、急く己に言い聞かせる為に考え続けていた。


嗚呼——そうだ、意味のある人間になるように祈られた意味の無い人間である事を僅かばかりと心の片隅で憧れて祈りながら。


しかして旅立ちの一歩、勇ましさも清々しさも晴れやかさも無く——重苦しい曇天どんてんもと、泥の地を踏みしめるが如く彼の者は——イミト・デュラニウスは再びと歩みを始める。


とうに序章は過ぎ去って遥か遠くの事のよう、本題本論も幾許かとぎにぎ、語り尽くすに近しい頃合い——いよいよと迫るだろう終章の題目を開きて、本の厚みで終わりを悟るにも似た物悲しさ。



だからこそ此処は敢えて、些かの失笑も覚悟して彼の者はの一歩を歩み始めたのだとも表しておく。


これは、そう——彼らの旅を、終わらせる為の物語なのだから。


——。

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