第164話 旅立ち。2/4


 そして、一人の男の策謀や振る舞いによって滑稽に踊らされている者たちは他にも多く存在していた。


とある場所に居座るらも、また——その一人。


「くそが‼ クソクソ‼ 卑怯者どもがぁぁぁぁあ‼ を使いやがって‼」


巨大な滝が流れる音が昼夜問わずと鳴り響き続ける広大な森の片隅、漆黒の鎧兜の彼女が戦う戦場を遥か遠方から何とか視認する事が出来る岩場高台の一角にて、砕けた硝子片がらすへんのようにのように地に転がる男の罵声が鳴り響く。


 その者の名はと言った。現在の戦地であるジャダの滝の森も含まれる広大な大陸の多くを占める王国の中で密やかな野心を燻らせて暗躍する一派の一人。


かつて聖騎士と呼ばれる強者の地位に就いていたが、今や様々な勢力争いの末に地位を失い、在籍していた国や組織から追われる身となっている逃亡犯——その主たる原因となったのが、骸骨騎士と漆黒の鎧兜の彼女が守る今は白銀の騎士の背に抱えられる薄青髪の少女である。



「——……馬車の中ので、愚かな事ですね。まったく」


とはいえ、今は彼の過去や存在などは然して重要な事では無く、罵声をわめく彼の隣で片膝を立てて座り込む彼女の存在や動向を方を注視すべきであろうか。


 彼女の名こそ漆黒の鎧兜の彼女が威勢よくえて呼び求めた強敵になり得る存在——、その人である。


にわかには信じ難い事実として、かつての彼女はであった。

しかし他の神々の審問によりて地上に堕とされ、今やを課される身。


そして少なからず、骸骨騎士が抱える漆黒の鎧兜の彼女と因縁を持った存在として今、敵対勢力の渦中にて暗躍を続けている。


そんな彼女が、轟々と戦劇が繰り広げられる夜闇の森を前に何故なにゆえに座してそのまま隣に倒れ伏す四肢のアチラコチラが硝子片のように砕けているラフィスの隣で彼の憤りに耳を傾けているばかりなのか。


——その答えは、まだ少し先。もう、ほんの少し先に語る事柄。



「っ‼ 貴様は何をしているルーゼンビフォア‼ アーティーと手を組み、に協力するという話では無かっ——‼」


 四肢を砕かれて身動きが直ぐには取れないいきどおりを声にして発散し続けるラフィスが、いよいよとその憤りの矛先を傍らで辟易と静寂に過ごすルーゼンビフォアに向けようとした矢先、口を開いたラフィスの顔面にが叩きつけられる。


軽快で爽快な、まさにガラスが割れるような音がして。



「……馴れ馴れしい。少し黙って居なさい、が変わったのですよ……それすらも頭に血が昇って理解出来ないというのなら頭の良い振りをするのを辞めて、その体でまた言い付けを破り、彼らを手伝いに馬鹿面をさらしに行きなさいな」


ラフィスのやかましい罵声を紡ぐ口を彼の顔ごとに破壊したのは、無論とその場にしかいない内の一人であったルーゼンビフォアに他ならない。


「半人半魔という生き物は、大半が感情のたかぶりに言動を左右される。敵ながら少しはを見習って欲しいものですよ。本当に役に立たない」


「……‼」


一見と、嫌気が差した裏切り行為——けれどラフィスの顔半分を砕かれようと残された彼の双眸そうぼうが健在と槍を座りながらに振るったルーゼンビフォアに睨みを利かせていれば別の話か。


空を舞う銀にも似た鈍い光を放つラフィスの微細粉塵と化している破片に目も暮れず、掛けていた眼鏡をクイっと片手で整えて、ただ真っ直ぐと——そして辟易とした面立ちで遥か先に視認できる戦場の火花を見据えるルーゼンビフォア。


——その僅かに光を歪ませる眼鏡の双眸の裏で滲むのは、静やかなであるのだろう。


彼女の周りに漂う空気は彼女の感情を察しているかのように張り詰めて、生半可な覚悟で触れようものなら発火しそうな刺々しさが一目で感じられそうな物であった。


ここまでにラフィスが口に出して発散していたものとはまた別種——或いは


まぁ、無理もない事なのであろうか。


「ルーゼンビフォア様……指定範囲の回収が完了しました、継続しますか?」


現在地の岩場高台の斜面を歩き、代わりにそこに在った小石が転がり落ちる音と共にルーゼンビフォアの背後から傍らに歩み寄る一人の背丈の小さな無表情な少女が無機質に声を掛けて、


「まさか、ここまで粉微塵こなみじんになるとは——またも予想を超えてくれる。は絶望的と言った所ですね……


彼女が何の違和も無く登場した少女からの問いを無視して少女がスカートをめくって布地に乗せながら持ち込んだ白い砂山に目線を振り返らせたその先で、



『少し退を願おうか、には』


一人の老人がユルリと歩み寄りながら隠し刀の杖の柄を試し抜きの如くカチャンと鍔音を鳴らして密やかな威圧を放っていたのなら、まぁ些かとルーゼンビフォアが不機嫌になる事も無理からぬ事なのであろう。


「——……。その風貌、恐らくギリクの使でしょうか……しかし彼が派遣する天使にしては意外な行動に思えますね」


 傍らの少女に片手を小さく上げて、少し離れているようにと暗に指示を出したルーゼンビフォアは、突如として其処に居た筈のラフィスが空に舞っていた彼の残骸もろともに消え失せた事を鑑みながら、手に持っていた槍の柄尻を地に押し付けて会話が出来る程度に歩み寄り終えて足を止めた杖突の老人に対して意趣返しの如く立ち上がる。



「ほっほ……ギリク様は、常に眉間にしわを寄せては居りますが柔軟な思考の持ち主でありますよルーゼンビフォア殿。目的の為に最善を尽くす——善とは如何いかにと問われれば、目的の為に苦行を惜しまず、好奇を見逃さず、たゆむ事の無い向上の心といった所で御座いましょうかな」


野晒しの岩場に腰を置いていた為に衣服に付着した塵埃ちりぼこりを軽く手で払い、背後に控えさせた少女が纏う衣服で汚れた手を片手間に拭うルーゼンビフォア。


対峙した白髪の老人が人当たり良くほがらかにしわの濃い顔を微笑ませて小首を傾ける様から一時も目を逸らす事も無く、彼女は怪訝な表情で現れた老人の一挙手一投足に改めて目を配った。


「ギリクの性格はよく知っています。幾度も陳情と仲裁で顔を突き合わせた……それより、あの男と何か取引を? ソチラの手の内を晒してまで、私の動きを止めている理由は何でしょうか?」


かつての彼女は神であって、しかして今は神に非ず。

座していた席を追われれば、その席を狙いて様々な思惑は巡るだろう。


仔細しさいはぶけども老人もまた、その一人。


……とでも言いたい所では御座いますが。いやはや、このような機に巡り合い……些かとかと。考え至った事は恐れながら殿ではありましょうや」



「獣の牙がは、コチラに決して牙が向きませぬからな」


しかしながらと違和感が拭えない。明らかに目の前の老人は狩りにいそしむ獣とは違って、敢えて自らの存在を悟らせるように動き、己への警戒をうながし、むしろ己に注意を向くように誘っていた。単に自らが失った地位を狙って己の首を獲りに来るだけの者が行うような合理的な立ち回りでは無かったのだ。


不合理、些かの不合理。


——また、が何かを仕掛け、仕向けたのだろうか。

ルーゼンビフォアの脳裏に、疑念がぎり続けている。



「質問の答えになっていませんね。それに——それは獣の口がであった場合という事は理解していますか?」


されどと気にし続けても採点者なき問答と自らいさめてりっし、またしても掛けていた眼鏡を改めてと掛け直す所作を魅せてルーゼンビフォアは再びと暗に指示を語らう片手を挙げる。


その最中にも目の前の老人に向け直した鋭い双眸、そして安穏としない不穏な空気感を匂わせていた己自身の気配を、まるで牙を剥き出すかのように殊更に強めながら手に持つ槍を穏やかに風を仰ぐように動かす事によって周囲に伝播させていく。


そして——

、見せてあげなさい」



「——……」


何の為に彼女が片手を挙げたのかと問われれば、やはり背後に居たルーゼンビフォアに対して一切の抵抗感も無い様子の従順さを魅せていた少女のに他ならない。


はしていても、少女はでは無かったのだろう。



「止めねばなりますまい。まさか貴殿が、この世で神代かみしろいくさされるおつもりであったと知れば尚更」


何もせずとも斜めに亀裂の入る少女の顔が、ズルリと崩れゆく。


その様に、ルーゼンビフォアの目の前で朗らかに談笑し茶化すようにルーゼンビフォアからの問いをはぐらかしていた老人の目つきも瞬く間に真剣な顔色へと変り果て——


老人の視線はルーゼンビフォアの顔から僅かに上、蜷局とぐろを巻いていた蛇が如く宙空に伸び始めた少女の顔だった者が剥き出す幾重いくえもの牙に向けられる。



 少女だった怪物の眼球が、焦点が合わぬようにギュルリと回って次々と皮膚を裂くように見開いていく——流すのは血にも似た黒い涙。



「……でしか知らぬが、知ったような口で語る」



 「しからば是非にも、ご教授を願いたいもので御座いましょう」


思わずと老人は持っていた隠し刀の納められた杖を両手で握る光景。

いやはやと悍ましい怪物とは、何方どちらの事であろうか。


滲む冷や汗を拭うように冷徹に己を見下げて来るルーゼンビフォア——かつてだった者と、かつて使と呼ばれていた存在に幾度かと目線を流して比べる老人の面立ち。


「……あって然るべき使を思い出させただけですよ。アナタを含めた天使を世に解き放ったのは私では無いのですから、非難される筋合いも無し」


そんな畏敬に、満悦する事も無く——かつての女神は辟易と息を吐き、まるで蛇がうねるが如く、平打ち面のように裂けた顔面だったモノをひねらせる背後の怪物に老人を監視させて己は過去を振り返るようにきびすを返す。


眼鏡の透明な鏡面に映るのは、己の——未だ神と自負する彼女自身の矜持か、それとも過去の虚栄——或いは、いつ懐かしき郷愁であるのやも。


そう思わせる程に少しだけ、かつての女神は寂しげな顔を浮かべゆくのである。

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