第162話 流れ星ひとつ。2/4


「約束、出来ますか? どのような状況であっても、先程のマザーと対峙していた時のように現状を正確に把握せぬまま悲観を続け、何もかもを諦めて感情に任せて己の身を捨てないと」


そうして明滅する地下通路の光源が弱々しく揺らぐ中で、肩に預けたくても全ては届かないこうべかたむけて天の使いらしからぬ様相で痛々しく罅割ひびわれた頬を僅かに砕く。


まだ動く少女の頬に差し出していた片腕で頭を傾けた側の腕を抑えつけ、会話の邪魔をしないようにと祈りながら彼女は願いの成就に向けて言葉を紡いで。


「……はい。約束、するのですますよ」


そんな天使の儚い微笑みに、不安げに胸中で思い出された後悔の痛みを受け入れていく少女。かつての少女が持っていた晴れやかな無邪気な天真爛漫は失われていた——それでも、無意識に胸へと運ばれて握られる少女の拳には確かな鼓動も伝わり、天使が謳う真摯な想いも伝わったと願いたい。


よろしい——申し訳ありません、このような無様を晒しておいての説教などと聞くに堪えない話で時間を浪費させた」


僅かに俯き、瞼の帳を降ろして決意を新たに己に向けられる金色の瞳との入れ替わりで閉じられる天使の瞼。整え終わった呼吸が一段落と次の場面展開を予期させる一幕。


「そんな事は……無いですます、ワタクシサマが間違っていたので御座いますから……助けに来てくれて、有難うございましたのです」


「そうなのです……ちゃんと、アリガトウを言えてなかったので御座いますね、ワタクシサマ」


冷静さは取り戻させた。もうじきに、

だが自らの振る舞いを改めてとかえりみて、後悔と自身の余裕の無さを自覚した少女は己自身への落胆に眉根を下げて傷だらけになってでも自らを助けてくれた天使の様相に酷くを覚えていた。


残りは、を取り除くだけ。


「……では、を」


難しい事ではあるのかもしれない。純朴で優しい少女の性格をかんがみれば、恩人に対する負い目は致命とも言えるとげを心に残してしまっているのかもしれない。


けれど、大丈夫。

まだ——体は動いた。


? どうされたのですか?」


差し出した腕の先で、小指一本だけ握らずに魅せつける拳。


「あの罪人つみびと……イミト・デュラニウスの故郷で言い伝えられている約束を結ぶ時の所作です。小指と小指同士を繋ぎ、縁を形として誓い合い、約束事を明確にする為の」


それは代価。それは取引。

それは契約。それは或いは、呪い。


命を救った労苦にむくいろと、礼を欲する行為に似て。


「彼と今後、何かを約束事を紡ぐ時に誘ってみると良い。きっと、驚かれると思います」


罪悪感など抱かなくてもいい——あくまでも自身の利益や目的の為に行った協力に過ぎないのだから。そう宣うように、小指を立てた意味合いをうそぶきながら天使は優しげに口角を上げ続けて。


少女の興味を惹き、気を逸らさせるような文言を幾つかと用意して、急かすように更に小指を少女へと近づけるのだ。



「約束……そうなので御座いますか。小指を繋ぐ、とは——こうなのですか?」


こうして繋がれた心許ない繋がりが一つ。恐る恐ると間違いが無いかと天使と同じく小指を立てた拳を近づける少女を牽引し、捕まえるように小指に小指は絡ませられた。


「ええ。この状態で何かの歌を共に歌い、最後に指を離す。歌の事までは私も知りませんが、詳しい話は彼と約束を紡ぐ時に聞くと良い」


話題を変えて、空気を換えて、それでも呪いを心に刻むが如く強く、強く少女の小指を握る天使の小指。冷ややかで淡白で、無機質な丁寧口調——何よりと息絶え絶えと成っていても不思議ではない傷だらけの身体からは想像も出来ない程に、それは強い意志と共に、とても優しい暖かみを感じさせるよう質感であって。



「天使様との約束……ワタクシサマ、絶対に守るのです。ちゃんと、ちゃんと考えて皆を守れるように、もっと強く……たくさんお勉強もするのですよ」


過去の猛省に憑りつかれ後ろ向きだった少女の心に、くさび穿うがつには充分な威力。少女の金色の瞳に過去を振り返る暗澹あんたんたる感情は一旦と消え失せ、改めてと天使が語った願いの切実さを汲み取られたと思えるように瞳の色合いの輝かしさが返される。


嗚呼——もう、


「そうですね……貴女はまだ、世界を知らなすぎる。知を得れば、それだけ行動の選択の幅も広がる事は間違いない……力ばかりではない強さを、目指してください」


 「はい、なのです‼」


もう、だ。


「——では、彼から渡されたを私に」


 「? これで御座いますか?」


やるべき事が、為すべき事が、為したいと思う事が、見る見ると己の心の内で消化されていく。


達成の喜びと共に、込み上がってくる感情は些かの寂しさなのか。


既に離れている小指に残る少女の感触が失われていくことも相まって、しかしてそれを悟られぬように彼女は普段の冷淡さを装って銀の髪を揺らし、疑問調の少女から差し出された澄み切った翡翠色の魔石をひとつ平然と受け取る天使。



「ええ……あの男の事だ。それを私の目の前で渡したのは、を持っての事」


「その魔石で、何を——」


——もう終わり。

己の瞳、蒼い瞳を映す翡翠を見つめ、見つめ直す僅かな時間。


躊躇ためらいか、何を今さらと己の滑稽を表情に出さずに嗤う。


「静かに……これが私の、最期の——」


翼無き天使の身体から白き羽毛が舞い始めた、白い光を——明滅を繰り返す微弱な魔石が照らす光源の心許なかった外界の光届かぬ地下の通路に白く輝かしくも柔らかい光で満たし、少女が向けて来る金色の瞳を無意識下に僅かに潤しながら彼女は己を投影するような翡翠色の魔石を見つめ続けて。


やがて、その地下の通路に広がった柔らかな白い光は翡翠の魔石に注がれるように収束される。


「——ふぅ。これでおおむね私が伝えるべき事は伝え終わった……ここからはとなります」


そうして作り上げられたのは翡翠色の魔石を中心に周りを囲う銀の装飾——小さな羽毛のモチーフが幾つもとあしらわれたへと作り変えられる。


チャラリと鳴った銀の鎖が時をしらせる振り子時計の振り子の如く天使の手から吊るされて、それを受け取るようにと少女へと差し出される顛末。



「え? で、でも……その御身体では‼」


その最中に紡がれた少女にとっての意外な言の葉。


「私は、そろそろ神の身許みもとへ戻らねばならない……私の傷の事を心配しているのなら問題は有りませんよ、を用いる事になりますから」


我儘はもう——許されないのだ。

もうじきに、あゝ確かに嘘はなく、己は神の下へと馳せ参じなければならない。


 為すべきと定めた事の全てを達成し終えた自己満足の充足感を背後の壁に押し付けて、突然の宣告に些かの動揺を表情に浮かべて差し出した銀の羽根のペンダントを受け取る事を先送りにして迫り寄ろうとする少女。


それを制止させるように、彼女は再三と振り子の作用で揺れる鎖を掴む腕を少女との間に動かして越えがたい壁とするのだ。



「貴女の為の道案内は——その魔石が私の代わりに滝の出口まで導き、そして迷いの霧の中でも進めるようにしておきましたので一刻も早く、貴女はクレア・デュラニウスの所へと急ぎなさい」


ただ一定の間隔で慣性に揺れていた鎖の先の魔石を輝かせて不思議な力で浮遊させながら、次の瞬間には細い鎖から手を離し、落としてはならない貴重なモノであると示してから魔石から光を失わせて浮遊させる力を消して少女に無理矢理にペンダントを気遣わせようとした天使。


「で、でも……——」


。想いを汲み取れる優しい少女。


両手を器として落下した銀のペンダントを地面に堕とさぬようにジャラリと慌てて受け取り、全身が殊更に罅割れた——最早ひとりで立つ事もままならない様相の己の身体を不安げに改めてと確かめる視線の動き。



「ここは迷う所ではありません。私よりも、貴女の方が難しい立場にある……のではなく、のです」


「神に仕える天使である私の事を気遣うなど、何様でありましょうか。それは私にとって最大の侮辱でもある」



「……」


「ひとりで行きなさい……それが姿なのですから」


少女はもう——大丈夫。


もう、大丈夫。これから少女に訪れるだろう数多の試練を越えて行けると信じられる程に少女は見事な成長を遂げている。遂げていく。


だから——

「——人の子デュエラ。貴女の人生に、幸多からん事を……今後も私は神の下で、貴女が私との約束を守り続けてくれる事を密やかに見守っていますから」

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