第161話 天の川を流れゆき。4/4


——嗚呼、戦いの勝敗は

決していたと言ってでは無く。


戦いの終わりは呆気あっけない——命に等しく訪れる死と同じ様に無機質で、呆気ない。



「そこに居なさい‼ 今行くわ、イミト‼」


踏み出す者の意気になど配慮なく、関係も無く、遠慮も無く、比例せず、呼応せず、終わっていくばかり。ただ無情に、無慈悲に、現実的に、はかりに重りを乗せて天秤が傾く当たり前のように決して行く。


この戦いの結末は、たった一言の言葉のつづりで終わりを告げるのだ。


「……そういや、ってどんな形だったか覚えてるか?」


 「——⁉」


さもすれば、その一言さえ聞かなければ軍配はデュルマの非願成就の方に上がっていたのかもしれない。イミトの胸に突き刺さんと鋭い槍のようにも変異した水晶の腕を突き出しながら踏み出したはずの右足の一歩が、突如としてかのようにかたよっていたデュルマの体勢を崩す要因となる。


またしても、出鼻をくじかれた。


「——馬鹿なっ……まだ弾かれても居ないはず——」


美しい鏡面水面の如き鎧を纏っていたはずのデュルマの右足が、今や刺々しい足の形すら保っていないかたまりへと成り果てて、再びとこうべを地に叩きつけさせられたデュルマは己の変り果てた右足を即座に視認し、驚きと戸惑いを辛酸舐めさせられたような表情を浮かべるに至る。


いったい、何が起きたのか。

己の足が己の足でないかのように、そもそもと其処に足など無かったかのような面構えで刺々しい水晶の塊が歪にデュルマの顔を歪んで映せば、その答えは明白か。



、もうとっくの昔に通過してる。少しでも偏ればを繰り返すぞ——自分の形を常に意識して強く持たないと崩れ落ちるだけだ」


——魔素によって肉体を構成されている魔物は、基本的に魔素が尽きない限り如何な傷を負おうとも再生を繰り返す。


咄嗟に足首だった体の箇所から暴発して次々と生え伸びようとする水晶の塊の浸食を止める為に、自らの意思で水晶を砕き、地を転がりながらのデュルマがそうなったように強力で魔素濃度の高い高位の魔物が失った腕や脚を瞬時にでもないのだ。


だが、だからこそ——魔素をで押し弾き、狂わせる事が出来得る彼の前では全てが無意味に、無意義と成り果てるのだろう。


「まぁ——でも、を意識させると動きはにぶるわな。同情するよ」


 「くっ——」


よってイミトの言葉が説こうとした己に生じる異変の概要を瞬時に理解したとて、今や地べたに転がって無防備な状態をさらした事はくつがえりようの無い事実。


嫌味のように、皮肉のように強く踏み出された足音と、何かが振られて迫り来るような空気の揺らぎに目を見開き、デュルマは地に這いつくばっていた。


次に彼女は恐らくとイミトが放ったのだろう蹴りを見もせずに、またも醜聞を気に留める余裕もないまま二転三転と大袈裟に身を動かして流れの中で起き上がり体勢を立て直そうと試みる。


けれど——彼女の動きを大袈裟と述べるのは些か早計であったとの自戒ありて。


「……どうにもこの状態の俺は、が過ぎる。心は酷く落ち着いてるのに、だからこそ虚しさを埋めたくなるもんなのかね」


イミトがデュルマの治ったばかりの足で立ち上がったその場所に、立ち上がった矢先の時に既に迫り詰めて、やがて引き寄せて振り上げるのだろう拳を背後ににしていた。


「【白絶はくぜつ】」


赤い瞳は揺らがない。

ただ無心に、ただうつろに、討つと決めた敵を見据えて静寂に燃え滾る。



「かっ、は——」


至る決定打は腹部への一撃。しかして、その攻撃を受けたデュルマの肢体そのものが爆ぜるように、突き飛ばされるように動く事は無く——その一撃がもたらしたのは、


デュルマの背から噴水の如く噴き出される大量の水晶——水晶それぞれが衝突し合い、小さな雹雨ひょううが硝子を叩くような軽快で清涼な音が幾つもと騒がしく響き渡らせる顛末てんまつ


「ああ、人肌が恋しい……腹が減った」


嗚呼——デュルマの体内から、彼女が内蔵していたが失われていく。


一歩、二歩と足下に転がる自らの中に溜め込まれていた魔力水晶の礫破片つぶてはへんかかとで弾きながら後退っていくデュルマ——声を出す余裕もない程に悶え、打撃を受けた腹を抑えるのが精一杯の様相。


「痛くは無いだろ? 大好きな自分が減っていく感覚が残るだけ」


肩に次なる一撃、その次は右足の太腿に蹴りの一押し。


「それも、もう終わりだ。悲しいな」


無感情、言葉ばかりの白々しさ、或いは素朴な感想口上。幾重にも相手に追討ちの打撃を加える行動に反する言の葉を見れば、感じられるのは一撮ひとつまみの嘘臭さ。


——されども嘘は無いのやも知れない。


「……っか」


数発の打撃を受けて、一挙に自らの肉体を構成する魔素を吐き出させられ、気を失いかけている酩酊の表情で倒れるまでとは行かないが、足下がおぼつかない様子で地下大空洞の——今や真白に染まる天井を仰いでよろめくデュルマの身体。


——論拠も無い、根拠も無い、邪推は当然と出来よう。


「終わりにしよう……どちらでも願いが叶うなら、俺の都合の良い方で叶えてやるさ」


されども——ただ、彼は純朴に——寂しげで、悲しげな顔をしていたから。


相手の無様に目を閉じて、願うように言葉が紡がれるから。


瞼の帳が降りる前の赤い密やかに滾る双眸に映るのは、呪われた者の——呪われた者への悲哀ばかり。


そして——白い虚空を掴むように片手を真横に伸ばした彼は言う。


「【不死王殺デス・リッチし】」


あたかも永劫の生を享受した果てに死を願う罪人へ、満を持してのメインディッシュを披露するが如く——白いベールを引き剥がすように、彼は呪いを謳い、白が隠していた物を露にするのだ。


それは——まるで、


「——黒い……太陽」


渦を巻く、禍々しき漆黒の球体。週に在った全ての魔力を喰らわんと未だに強烈に渦を巻かせて邪魔する者が無くなっていた状況で数多の物を貪り喰らって肥大化した魔力の球体。


「ごほゴホ、ごほっ……ああ、ヤベ……早くしねぇと」


 周囲の白を掌に集約し、思い出したかのように赤い吐血をせきと共に溢しながら、自らが用意して放置していた猛々しい動きを魅せる太陽にも似た魔力の集合体に横目を向けるイミトは予想以上の成長に些かの危惧をも溢す。


 何かを想定して己の意志の下で創り出したイミトがそうであったなら、それをつゆとも考えなかったデュルマにとっての驚きも相応の物であるに違いない。


「力を……自由を……」


痛みなき攻撃による疲労、朦朧もうろうとし始めた意識であっても——いや、が故にか――地下大空洞の主であるデュルマは唖然と立ち尽くたままに黒き太陽と見紛う魔力の結集に喉を鳴らし唾を飲みながら、それがまるで己の物であるかのように手を伸ばそうとする。


——その時だった。その時だったのだ。

残酷な世界の現実が、彼女の耳の奧で木霊したのは。


『今さらに手を伸ばすデュルマ——、貴様も』


「——ザディ、ウス……なっ⁉」


にわかには信じ難い聞き覚えのある声、此処に居るはずの無いの威勢。


何処からか聞こえたるかは不明瞭ふめいりょう


だが、無意識に視線が向くのは空に浮く巨大で闇深く雄々しい黒き太陽に相違ない。


そして——黒き太陽から噴き出すが如く、疲弊し切ったデュルマに対して猛烈な勢いで黒き魔力の球体から伸びる五指の巨腕、固く太い人骨の腕。


つかまれた、つかまれた、つかまれた。


避けようもない程の速度の剛腕に包まれて、デュルマの足が地から離れ、引き摺られるように浮き上がる。


骨の巨腕が彼女を運ぶ先に在るのは、当然のように未だ渦を巻き全てを喰らわんと欲する禍々しい闇の塊の——その深奥であるのだろう。


未だか、或いは改めてか——地下大空洞の天井で吸い込まれながらも吸い切れずに揺蕩たゆたう銀雲や砕けた水晶の粉塵がきらめく流れの数々——あたかも天の川がさらい辿り着いた終着点が間近のような絶景。


「さぁ——次の地獄の門が開いた。自我を保てよ、アンタが恋焦がれた外の世界でのの始まりだ」


よくよくと黒き魔力の巨大な球体を見てみれば、様々な化学変化を周囲に起こされて様々な色合いの光を慟哭どうこくさせている。


それらも——いずれは全て黒の中、底の見えない闇の中。


けれど骨の巨腕に攫われて、行く先が気になろうかというデュルマの姿が真横を通り過ぎて尚も、振り返る事も無く白髪を揺らすばかりに留めるイミトは、


「機会は与えた、魔王様もだ。叶うと良いな——


まるで服のポケットに両手を突っ込むように姿勢体勢を整えて、何の気なしに銀雲に覆われた天井を眺める佇まいに映りゆく。



一匙ひとさじの安堵を舐めるように、彼の者は口角の端を伝って流れる血を舌なめずりする事で僅かなせきとして。


「っ、離しなさいザディウス——ザディウス‼」


不幸は覆いに喰らったと、不条理は腹の中でも満たされて。


「もうそこに、‼ 手を、手を伸ばせばそこに、ほら——ザディウス、ザディウ——‼」


悲痛が耳を木霊して、哀悼が四肢細胞の隅々にまで染み渡る。


「いや、いやぁぁぁぁぁ——私は、私がぁぁぁぁぁああ——」


 「……——」


後味は虚しく、何も無い。


きっと明日には腹が減り、同じような事が繰り返されると予感させてくるばかり。


亀裂がピキバシと結晶化していた地下大空洞の地底に生じ始め、沸き立ち始める水飛沫に似た——さもすれば、女帝を取り戻そうとする龍脈と呼ばれる星を巡る膨大な力の流れ。


押し込められていた反動か、或いは新たな胎動の余波——グラグラと揺れ始める地殻、天井から伸びる鍾乳石が震えに耐えきれずに折れて堕ちても来るだろう世界の終末の序曲が表すような情景が繰り広げられ始めもしていた。


「……死んだ後でも、叶えたい願いか。俺には多分、無かったもんだ」


そんな最中、ひとつ——見飽きた銀雲から視線を外して、ようやくと背後の黒き球体に振り返ろうとした矢先、イミトは迫り来るに気付く。



「なぁ——ルキラさん、アンタの願いは叶ったか……よ」


バサバサと周囲の全てを吸い込まんとする黒の球体の吸引力に巻き込まれながら煽られて音を鳴り響かせる無惨な布切れの代弁。


黒き血潮を溢しながら吸い込まれ、抵抗する力すら失って居る風体のイミトの立つ場所へと流れ着く息も絶え絶えな一人の女性。



「——…………たす、けて」


彼女は、イミトに受け止められて、最期の余力でイミトの白に染まっている服の袖を握り掴み、動かせぬ表情を魅せられぬままに弱々しく言葉を捻り出す。


「……」


絢爛、煌びやかだった装いが見る影もなく——イミトの袖を掴む指先は震え、放っておいても直ぐに袖やイミトの腕の中から通り抜けていくのも時間は掛からないに違いない。


いやその前に髪結かみゆいのけた長い黒髪が毛先から黒い煙と成っていく様を見ればのも時間の問題。


嗚呼——

嗚呼——


「はぁ……耳障りで、息が詰まるな、ここは」



「——【白日はくじつ絶界ぜっかい】」


或いは、それだけで一変する世界。

たったそれだけで、一転する世界。


「ゆっくり眠れよ。せめて安らかに、次の自分が始まるまで」


その後とイミトと流れ着いた女性との間に何が起こるかは省略するが、世界が再びと白に染まりてにて、イミトが抱き抱えた女性を地に寝かせ、何処かに視線を鋭く流したのは——確かな顛末てんまつである。


嗚呼——椅子がギシりと、鳴ったから。



——。

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