第161話 天の川を流れゆき。3/4


 地下大空洞に広がる地底湖の湖面こめんに満たされるしもにも似たきり


まるで朝方の光景によどむ霧の如き清浄で静寂な情景の中であらゆる騒音も切り裂かれ、ただ無音という音が鳴り響く。


その渦中に佇む白く——唯一の音を奏でるような赤い瞳を滾らせる男に、地底湖の主たる女帝デュルマは視線を釘付けにさせたままに何の動きも魅せる事も無く唖然と地に降り立つ。


そこでようやくと、久方ぶりのように彼女の背から伸びる水晶の翼の一羽根が剥がれ落ちて音らしい音が鳴り響くのに——


えにしが……断たれたの?」


心臓の音が、いや——そのようなものに近しい音が鼓膜の裏から続々と押し寄せた。


デュルマの五指ごしふるえたる。未だ白き輝きにも似た——否、輝いてなど居ないに染まる男に惚れたかの如く視線を動かさぬままに、彼女の内なる情動に突き動かされているように彼女の指が緊張に奮えながら彼女に真実を魅せようと動き出し始めていた。


だよ……そのうち直ぐに、元通りに繋がるだろうさ」


そうしたデュルマの無意識下の動揺を、暗に悟り切った様子で趣深おもむきぶかく振り返る白き白髪はくはつを頂くイミトは風前の灯火のような赤い光を放ち揺らがせる瞳で見つめて。



口ずさむ言葉は穏やかというよりも酷く心無いな冷たい声色で。


相手に対する呆れや、疲れや、鬱陶しさを包括的に示すような声色で。



「いえ……分かる。分かるわ……、これが——


内心の興奮を抑え切れずにいよいよと無意識に胸前まで持ち上がってきた両手のひら、白髪鬼はくはつきと表して差し支えの無いのような風体となったイミトに釘付けになっていた視線を外して己の掌を見つめ、何を気にする事も無く表情に待ちかねた感動を滲ませるデュルマ。


そんな彼女に対しての感情なのか、まるでイミトは感情の起伏を無くしてしまったかのように赤い灯が揺れるその奥の瞳の色だけは決して揺るがせない。



「詩的だな——最初っから持ってた贅沢者には分からない感動だ」



 「んふふ……あはははは、そうね。元に戻る前に、を付けなきゃね——感動なんて、してる場合じゃなかったわ」


デュルマの背中から生え伸びる水晶の翼の羽根の結晶が次々と地に堕ちて、それは彼女が感動に身を震わして心の底から笑い上げて両手を盛大に広げたから。


若干とり返る程の勢いで両手を広げて再びと剥き出す鋭利な両手の爪十本、それらが全て見るからに硬そうな水晶の鱗に包まれ始め、平然と佇み続けるイミトを威嚇していく。


「ああ——でも生憎、ここは満員だ。流れの中にお帰り願おうか、身分や権力を笠に着たって買えない切符はあるもんさ」


しかし当然と言えば当然、ここに至りて終局に至る為の技量を披露して今更に譲れる物など何も無く——既に戻れる筋も無い。


「奪うまでよ——それが外の世界のことわりで、しょ‼」


相手にその気が無ければ尚の事——諦観と淡い期待が確信へとくつがえり、野心の灯るその妖艶な瞳が匂わせた殺意が、足下に広がる白き雲海の如き情景を破壊せんと予期もさせて。



そして——飛ぶように、跳ねた。


「全ての魔力を使い切って、その力も龍脈りゅうみゃくを抑える為に使っている‼ 今の貴方に何か抗うすべが有るのかしら‼ 楽しみね‼」


ひるがえる攻勢、今や白に塗り替えられた地下大空洞にて結晶化されていた地底湖の上に立つイミトに挑む女帝。先のイミトがそうであったように、悠々と佇み続けるイミトの警戒網を掻い潜るべく攪乱かくらんの動きを右往左往と交えながらに言葉を紡ぎ、陽動とする構え。


だが彼女は、


「——ああ、そうか。この状態の俺とザディウスとの戦いのは流石に見えてないのか」


 「抗うのはアンタの方だよ」


その——或いは本性を晒したと言っても過言では無いイミトの白髪のを、彼の者が世界の理を遥か凌駕するである事を。


彼女は知らない。


「——……かはっ⁉」


 威勢よく歯牙を剥き出して鋭利な水晶で膨れ上がった爪腕を振るおうとしたデュルマ、されど空気抵抗を受けて本人の意思に関わらずほどけて消えゆく。意思に反して失われていく勢いと己の肉体の膂力りょりょくに唖然と目線を流したのも束の間、デュルマの背後で唐突にぜるに背中を押され突き飛ばされて地べたに転がされる。



——傍から見れば背後からの奇襲に、出鼻をくじかされた格好。


「……に耐性のある肉体も無い、。強引に勝てる策があるもんなら教えて欲しいもんだ」


いいやその実と、デュルマの背後に突き刺さっているのは彼女が魔力を用いて創り出す水晶によく似た形状の物質。刺々しい水晶の破片



「私の魔力が弾かれてを……これが拒絶の力……」


恐らく弾かれて制御を失ったデュルマの魔力が暴走したのだ。失われる訳では無い——ただ、今の彼の放つに弾かれたとて消え失せる訳ではない。


思わぬ自爆で地に這いつくばされたデュルマがこうべを上げながら苦の情動を滲ませて見る視線の先には、


? いや——そもそも力と呼べるもんなのかも怪しいたぐいの代物だよ……


小首をかしげながら何事も無く悠長ゆうちょうに歩みを始めた白に染まり切ったイミトの姿。彼の周りに朧気おぼろげに見えていた白いもやが増々と色濃く、倒れているデュルマに近付いても居て。


「——ふぐぅぅっ‼ っ——⁉」


それだけで重力が酷く重く感じる——地面に当てた掌には起き上がれるだけの力を充分に込めているはずだった。それでも、重く——重く圧し掛かってくる世界の圧力に為す術も無いように微動だに体が動かない。


いや、さもすれば——そもそもと居ないのか。


「そういやそっちも、って呼ぶんだな……アンタの願いを散々と邪魔した最大の要因だろ。だ」



「と、当然じゃない——それだけの事を、世界が私にしたのだからぁぁぁあ‼」


それでも朧げな濃白に染まりつつある世界の中で、彼女は意識を強く持って猛々しい咆哮を上げながら懸命に立ち上がったのだ。


「はぁ……当然の権利じゃない」


願いの成就は直ぐそこに、もう手を伸ばせば届く——にある。



「——これはさ、空間魔法のだと思うんだよ。空間の圧縮、転移——理屈はどうにもわかりゃし無いけど、ソレによく似てて——まるで


淡々と歩みを進めて威勢を上げて立ち上がったデュルマの立ち位置に向かうイミトが、道すがらの暇潰しのように言葉を紡ぐ。


彼女はその言葉を、しかと耳に納めていただろうか。


「はぁ……はぁ……んふ、減っていく……使い切れないと思っていた力が見る見ると減っていくわ。なんて愛おしい感覚なのかしら」


思いもしなかった初めての苦戦の中で、新鮮な体験を享受していると嬉々として尚も感動の薄れぬ興奮を表情にも言葉にしても表しながら、ただイミトの姿を見て、その実と己の興奮のみを鏡映しに注視している様子。


「もっと——もっと愉しみたいものね‼ 振り返れば数えるだけで恐らくと数年の夜のとばりが開け締められる、どれほど私がこのを——このを待った事か‼」


蛇のまなこの如き細く鋭い瞳孔にたぎる野心、いや——ほんに細やかな願いか。もう何者にも弾かれぬように、濃密に濃縮に意気と共に膨れ上がらせる魔力。無意味かも知れないに、それでも彼女は喜びに奮えながら挑まんとする。


魔力の操作、密度の調整、強固な肉体の再構築、内に秘めたる物の全てを晒す勢いで輝かしい水晶の鎧を纏うデュルマ。強者たる気配は重々と濃厚。


だが——


「正しいとは思うんだけどな……には限界がある。実際、ザディウスも同じように立ち回ってた」


無にも等しい平然が揺るぐ事は無い。

何故ならば、


「でもアンタは、からな」


地下大空洞の主、永年の時を過ごし生き永らえてきた女帝も今や、身ぐるみ剥がされてでしかないのだから。

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