第160話 罰の結晶。1/4
「——何故、貴方はソレを求めるの? 私を倒す為では無い筈よね……貴方はソレを直ぐにでも己の力として取り込めるはずだもの」
膨大な質量の星が孤独な宇宙の中で孤独を嫌って引き寄せる力——重力が失われたようだった。
星が星となる前の始まりの一つが何であったのか知る者は何処にも居ない。
ただその時、その場所で星のようなものと比べれば小さきを極めた二つが星に負けぬ程に孤独を嫌い、堕ちるはずの
全てを吸い寄せようとする黒き球体の傍らに立つ男に問うてやろう——そう暗く深い地底湖から湧き出した一人の女性は、広大な地下大空洞の地底湖の真上で濡れた髪を艶やかに掻き上げて。
「ははっ、確かに力は求めてねぇな……割と充分、楽しい時間は過ぎ去ってきてる」
対して地に足を着けて片手の掌の上で全てを吸い込む手筈で仕掛けた己の闇の球体の勢いが別の引力に阻害されて
「いや——そんな事よりもさ、開幕一番の問い掛けがそれじゃ華も
急かす女性を一笑に
嗚呼——そこに居たのは蛇では無かった。
「改めて初めまして。俺の名前はイミト・デュラニウスだ……
「……」
深き地下大空洞の地底湖の底で、奇跡の如く永き時の流れの中で蓄積されていた水晶鉱脈のような出で立ち、水色にも似ている無色透明の無機物で構成されているのだろう太い尾をキシキシと動かす人型の何か。
彼女が手を差し伸べれば、些かと荒立っていた地底湖の水面が一瞬にして彼女の体に纏う水晶鉱石と同じく結晶へと変わり、全てを喰らおうとする黒き闇が渦巻く球体の勢いが増々と
「アンタの事をなんて呼べばいいもんか、しょうもない悩みが多いお年頃だ」
まさしくと真に深き地底の主たる佇まいで放たれる威光——目論見通り、目論見通りに行かない状況の変遷。変り果てた周囲を視線で
「——呼び名ね。それを付けてくれる存在は確かに何処にも居なかった。そうね……
すればその隙にか、ヒタリと素足で結晶化した地底湖の水面に降り立って、その地底湖から膨大な水流と共に噴き上がるように姿を現した女性は己の事をマザーと名乗った。先ほどまで男が対峙していた蛇の下半身を持つ——既に溶け消えた地下大空洞の女帝と同じ存在だと、そう名乗る。
けれど、どうだろうか。
「デュエラも無事に抜けれたみたいだな……これで遠慮なく会話も出来そうだ」
同じ様なものには見えない。背後に感じていた喧騒は空虚に変わり、真の姿を現したのだと宣う女性の意識を己から別の所へ向けようと模索するも圧力があるとさえ思える彼女の視線は一時も己から逸れぬ事も無く絶え間なく贈られ続けていて。
優柔不断に移りゆく迷いは既に存在しえない、そこにあるのは明確な期待感——或いは確固たる妄信のみ。
「それで? 貴方がコレを求める理由は? 戦力の拡充? それとも混沌の再来かしら?」
差し出したままの掌の上でパキパキと音鳴らしながら何も無かったはずの
幾度も
「ははっ……ただの商売さ。俺はどうやら、根っからの商売人でね」
そんな壮絶な目まぐるしい光景に何かを目論み佇み続けた男——身に纏う黒衣を揺らめかせるイミトは黒き野心の灯る瞳を些かと輝かせ、思わずとデュルマの指摘を滑稽に過ぎたる過大な評価だと
確かに彼が欲した物はソレであったのだろう。
「商売……人の営み、互助関係の構築を行い、己の生活安寧を目的とした利益の追求手段」
「小難しい表現だな。まぁ利益追求というよりは、損をしない為の担保って感じかな」
未だ地底湖の天井を満たす銀天の流れも徐々に徐々にと黒に吸い込まれ始め、景色は濁り——ここが何処なのか目視では判らない有耶無耶な情景へと殊更に変わりつつある。
そんな混濁した情勢の中で、自らが創り出した勢いの
「まぁコッチにも色々あるのさ。約束した手前——念の為にも、本物を
すれば渦巻く闇も再活性と拍車を掛けられた様子で勢いを取り戻し——砕けていく、削れていく、上空の銀天と地底の結晶体。
集めているのは明白であったのだ。黒い球体に全てを食わせ、彼は望んでいた。
己が最良と見据えているのだろう未来の展開を。
そして、この戦いこそが最大の難関——成否を司る
「——……この力は誰の望みも叶えてはくれないわよ。まして貴方達の言う安全などという物を全くの夢物語と化してしまうでしょうね」
まるで次々と華が咲くようにデュルマと名乗った女性の周りに現れる結晶の数々——奪われぬ為に固形と化させて周囲に浮遊させて従えさせているが如き面立ち。比喩としての水面下で既に密やかに始まっている攻防、しかして彼女らは穏やかに言葉を紡ぎ続けていた。
「知ってるよ。望みを叶えるのは自分だ。力は力でしかない……だろ?」
「んふっ……そうね。これを求めた多くの者が、同じような事を言っていた気さえするわ。こんなもの、持って行けるものなら持って行ってくれても良かったのだけれど」
あたかも談笑を交わすが如く、世間話に最近の近況を道端で語らうように交わされる意味深な言葉の数々。けれど徐々に、徐々に、懐かしき思い出を語らう度に募る不満が湧き上がって来ているように滲み始め、
「——その誰もが、代わりになるものを私に与えてくれはしなかった」
「私はね、イミト・デュラニウス。恋をしてみたかったのよ、母では無く一人の女として……恋をしてみたかった」
「……」
二人の会話は談笑の様相から様変わり、一人語りの身内の愚痴を溢されるような風体へと移り変わっていく。語られたのは怪物の悲哀か、それとも或いは——今日も明日もと何処かの誰かが溢しているような、ありきたりな世界の縮図か。
「生まれ出でて暫く……私の中から這いずって出てくる全てが先に消えゆく。私の
「私は此処から、離れていくことが出来ないのに——母という役割だけを押し付けられて、ただ身勝手で幸福に気付かぬ何処の誰かも知れない愚か者の悲鳴や愚痴ばかりを耳にする退屈で刺激の無い生活」
それはまるで、とても冷たい——蒼炎のようでもあったのだ。
「だから……ねぇ、イミト。私に本物の恋を教えて欲しいわ……私を此処から連れ出して、私に幸せな一生を遂げさせて? きっと貴方なら出来るのでしょ?」
蒼白い地底湖だった結晶の水面に素足がヒタリと歩みを始め、その寂しげな足並みとは相反して地底湖懸賞の水面に走る亀裂は盛大に走り抜ければ、刺々しい彼女の内面に淀んでいるのだろう激情を無機質な結晶の鉱脈として世に送り出される。
鏡の如き蒼にも見える無色透明な結晶が幾つもと移す歪な女性の姿が、静やか結晶の色合いも相まって儚げな美しさを彩っていた。
だが——
「——……ふぅ、たまにあるんだよな、変な陰謀論を打ち立てたくなるような同音異義語」
「……」
そんな彼女の訴えに腰を手に当てて男が地に向けて溢す溜息に宿る感情は、悩みや迷いや躊躇いなど一切と感じさせない怠惰の嫌悪。
さもすれば、それは余りにも非情な——断絶の意味を込めた物であったのかもしれない。
「
女性が求めた同調や共感を薙ぎ倒し、
「同情を恋の駆け引きに使う誘い文句は好みじゃねぇし、そもそもアンタは俺の趣味じゃねぇし、救ってやらなきゃなんない義理も無い……アイツらに出来なかった事を、代わりにテメェにして
「……」
そうして、つらつらと指折り数えて並べ立てられる理由と共に握られる拳。
残り立たされたのは小指の一本。
彼は嗤う。いっそ嗤う。
「なにより——俺の愛人たちとテメェの相性が悪そうだ。アイツらと違って浮気も
大地を堂々踏みにじり、不義理を果たす他も無い強欲な己の性分を嘲笑って開き直りながら最後の小指を折り曲げて、ダラリと握った拳を降ろして足下から湧き立ち始める魔に身を浸す。
「文句があるなら
それから相手を見下げるように顔を首後ろに引き摺って、自ら痛めさせたのだろう首を片手で
とても楽しげに笑い始め、ただただ奪うばかりの身勝手な
けれど——いや、
「——そう、残念ね。とても残念」
彼女もまた、そのような顔をしているから——或いは、この戦いはやはり——当然の報いと言って差し支えないものであるのだろう。
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