第156話 目覚め。1/4


——遠く、遠くまで滝の音が響き続けていた。


 凶悪な魔物バジリスクの支配する森の只中、今しがた切り拓かれたばかりのような森の広場で数多幾人もの兵士たちの声が混じり合う喧騒の中にあっても、遠くに在る巨大な滝の音は負けず劣らずと響き続けてきた。


そんな何も知らぬ戦いの小休止、バジリスクの勢力との戦争に挑むツアレスト王国のリオネル聖教聖騎士団、第一分隊の副隊長アディ・クライドは情報伝達に忙しなく行き交う兵士たちの喧騒を擦り抜けて僅かに乱れた身なりを整えながら室内から外に出る扉を開く。


そこに広がるのは船の甲板のような床板と、広大な森にそびえる巨大な滝に船頭を向けながら幾つものプロペラを回して空を浮遊する船の数々。


そして——

。地上の結界部隊も一段落着いたようです……地上警備も交代で休むように指示を出してきました」


船首の間近で白き大剣の先端を床板に置き、威風堂々と何者がもたらす風にも屈しない美しい騎士の背中。そこに居たのは、ジャダの滝の攻防戦におけるツアレストの全兵の総指揮を任されたと呼ばれるリオネル聖教聖騎士団最強の女性、メイティクス・バーティガルであって。



「……報告ありがとうアディ。当初の想定よりも船団の被害も最小限で済みました、地上部隊も、奇襲部隊も同じくですね」


「はい。正直な話ですが意外とも言うべき戦果に、勝ち戦だと他の兵たちの士気は充分に上がっています……これが無謀ないさみ足にならないよう、我々としては気を引き締めねばなりませんが」


幾つもの船団に囲まれ、敵襲を警戒して夜を照らす強烈な光が各飛行艇から抜け目の無いように筒状に放射される中で、アディ副隊長の呼びかけに振り返る上官メイティクス。


 されど、その振り返るさまはとても戦場で魅せる物とは思えない程に穏やかで、まるで花畑で待ちかねていた知人に微笑みかけて迎え入れるような静やかな美しさを灯す。


ふっとアディも気が緩み、思わず微笑み返しながら凝り固まっていたらしい肩の力を抜いた一幕——吹き荒ぶ上空の冷たい風降ろしが無ければ、兵士たちの命を預かる責任を忘れて安穏な談笑ばかり紡ぐことになっていたに違いない。


「そうですね——兵たちも皆、頑張ってくれましたが……やはり最大の要因は第三勢力の介入が大きい。彼らのその後の行方に何か情報は?」


何より、微笑みの後に沈むように下がる眉根まゆね——気苦労が滲んだ様子で月光を見上げながら風にあおられる白髪を片手で抑える仕草が無ければ尚の事、忘れたいと肩を落とす程の戦いの凄惨さと緊張感を思い出す事も無かったであろう。


「——いえ、特に報告に挙げる事は何も。霧の発生と同時に魔力感知もさえぎられておりますが、コチラへを考えれば恐らく彼らは現在もバジリスクと対峙しているものかと」


この時の二人の脳裏に浮かぶのは、恐らくと同じ男の面影。熾烈しれつに暴れ回り、望まぬ戦いに身を浸しながら己を犠牲にし続ける男の、言い方を悪くすれば不器用な無様とも言える生きざま



「数名の戦力で……常識では考え難くは有りますが、尋常ではない戦力を有しているのは私もで確認しています。多くの部隊と兵を結果的に守って頂いた恩もある……大恩に報い、無事でいてくれると願いたい所ですが……」


「……」


同じ空の下、戦いを忘れた祭囃子まつりばやしの聞こえてきそうな笑い声が地上から響く中で冷ややかに世界を見つめる月光に彼の行方を問うようなメイティクス。


一方で、聖騎士アディ・クライドは密やかにぶら上げているだけの拳を強く握り締めていた。



「ごめんなさい。彼に敬意を抱いているアナタを試している訳では無く、私も同じ想いを抱いているという単なる愚痴です。部下に語るべきではない私情……やはり指揮官として、私は余りに未熟なのでしょう」


思う所は色々とあって、視点によって見えてきた物も違う無情。

足並みを揃えて横並ぶ軍靴の音も、何かしら、何処かしら違う調。



「そんな事は有りませんよ、皆にしたわれ、立派な団長の下で働けていると思うばかりです。作戦の継続も当然の判断と思っておりますし、命を賭けている他の兵士たちにも示しが尽きませんから」


「それに——戦闘の最中さなかに伝える事こそ出来ませんでしたが、彼の事だ……コチラの動きも既に自分の作戦に織り込み済みのはず。きっと、あので最終的には高みの見物でもしているはずですよ」


 同じ月を見上げて、同じ先を見据える眼差し。夜の闇に気の沈んだメイティクスの傍らで、心を隠した苦笑を朗らかな声色と共に浮かべたアディ。


月光に照らされて際立つ大瀑布だいばくふの如き白い霧の山、天の果てにまでそびえるかと見紛う程に降り口が雲海うんかいに包まれる巨大過ぎた滝を見据えながら、彼は隣の美しく——しかし強く、されど寂しげではかなげな聖女を冷たい夜風から密やかに守ろうとしてたのだ。



「……そうですね。話には聞いていましたが今日初めて実際に出会い、少し言葉を交わしただけの間柄とはいえ私も不思議と、そう思います」


同じモノを見てはいない。同じ先を見据えていようと、背の高さや視野は違う。

むなしく吹き荒れる風を飛空艇のプロペラが刻む風切り音も耳を突く——腹の底に響くような滝の荘厳が齎す存在感と相まって覆い隠したものは何だったのだろう。



——その一言すらも捉え方が恐らくと違う中で。



「ふふっ、それにしても……やはり珍しいですよね。アディがそんな愉しげに他人を悪く言うような言い回しをするなんて——本当に彼は性格が悪い事が伺えます」


けれど今は只、現在を見ようとクスリと思い出し笑いをするように口元に曲げた指先を悪戯いたずらに持ち運び、やや冗談交じりの声色でメイティクスは隣に立つアディへと小首を少女のようにかしげながら言葉を紡いだ。



暗い話題ばかりの夜闇に、せめてもの笑いの華を咲かせようとしたに違いない。



「はは、そう思われたいと……彼自身が態度で語るものですから。好人物ですよ、本

来の彼は……行き過ぎた誠実が、彼を無茶へと駆り立てているだけで……


けれど行き着くのは、真面目な堅物がゆえ葛藤かっとう。当初は明るく似たような冗談口調で言葉を返していたアディだったが、徐々に暗く表情を濁しながらうつむき匂わせるのは彼の過去の回顧録。


先程の何倍もの力を込めて密かに強くギュッと握られた拳は、まさに己が為すべきと思った事を果たせなかった無念や後悔の口惜しさを表すようだった。


足りない自分に、足りなかった自分に叱責を加えるような想いが彼の心の底で淀んでいる事は確かな事であったのだろう。


だからこそ、だからこそ——話題の換え方を間違えたとも思うメイティクスもまた、彼の悔しさを本物のだと汲み取りながら痛みに寄り添うように少し悲しい顔をして。


「……また出会う事があったなら彼を見捨てないであげてねアディ。この先、……


しかし何かを言える立場では無いと、彼を苦しめる物を一つでも取り除く事すら出来ないとのたまうように強く地に立たせていた白き大剣の柄を握り締め、触れる事すら烏滸おこがましい己が追い詰めてしまっているまこと清廉潔白せいれんけっぱくな彼から目を逸らすように再びと前だけを見据える。


そして、何と己は醜悪で酷い女であろうかと彼女もまた己を責めるように両目瞼の帳を降ろして孤独の闇へと身を浸すのだ。


「たとえ彼に手を払われたとしても、友になろうとする事を決して諦めないで。いつかアナタが、をアナタがゆるせるというのなら、いつか——いつかアナタが、彼の隣で笑い合える日を私は見てみたい」


そしてそれが、いずれ彼にとって——どれほどと成り得るかを知りながら、を自覚しながらもは意味深な言葉を紡ぎ続けた。


肩を並べる二人に迫る——真実を語る事を許さぬ一つの足音に耳を澄ましながらも、この時の彼女は何とか己の——せめてもの願いを、アディに伝えようとしたのだ。


まるで残酷な世界の詩を、比喩暗喩ひゆあんゆまじえて伝えるように。


「……? それは、どういう——?」


けれども、

そんな細やかな希望を抱く事すらには許さなかったのかもしれない。


唐突で突発的にも思えた意味深な文脈を紡いだメイティクスに、言葉の真意を尋ねようと俯いていたアディが真っ直ぐに聖女の顔を伺おうとした矢先の事、


「「——⁉」」


丁度——、だったのだ。


ひとつの戦いの終わりが始まり、



が——


悲しき結末のつぼみを一つ、華咲かせてしまったのは。


「っ、イミト……これも君の仕業、なのか?」


全ての音が時の向こうに過ぎ去って、しばしの静寂の後の狂風。


いつもいつまでも鳴り響き世界を揺らしていた巨大な滝の流るる壮大な音響がついえたその時、全ての音を飲み込んだ叫びと共に滝が流れていた場所に七色に輝くが一輪と咲き誇り、そしてはかなく——再びと黒に飲まれて花弁かべんを散らす。



嗚呼——誰も真実を知る由もない、遠き霧と滝の向こう側。


ひとつの戦いが、何かの区切りを魅せた事だけは明白であった。


——。

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