第143話 蛇地蛮湧。3/4


嗚呼、きっと——それを伝えたのは。或いは、せめてものだったのだろう。


「——鎧聖女はと戦ってる。単体の実力は互角に近い、船団に大きい被害は無いけど状況としては、後は自分で見物に行け」


「……感謝する」


押し流される感覚ばかりの運命に、常々と滑稽におどらされる。

目的の為に非情な利用を組み重ねる日常——そんな度し難い己を幾らわらえど、選んだのが己なれば何かが変わる訳も無し。


真っ直ぐな黒き槍は両手で握られ、イミトは体勢を少し沈めて威風堂々を演じるが如く槍の矛先を今、目を逸らすように向けるべき場所へと向ける。


「そんなを貰える筋合いはねぇだろ。色々と無視してコッチに来た身分だ」


 「……」


最後に閉じたまぶたは胸で燻る残り火を眠らせる夜の帳に等しいのかもしれない。その背中に滲む覚悟の意味——残虐な運命の薫りの原因を知る、或いはその薫りを嗅ぎ分けられたのは、背後に控える漆黒の仮面で表情を少し隠す女騎士のみで他の者には知る由もなく、無論と知られてはならない事でもある。


深層深々しんそうふかぶか、意味ありげな会話にピリリと走る神妙な空気、


「——ふぅ……切り替えるぞ、心配ならコッチは少し溜める。後々、のも控えてるからな。時間としては短いだろうが、少しくらい遊んでやるよ」


慣れぬ真剣な面立ちにムズ痒さを感じながらも息を吹き吐いて、暗に紡ぐコチラもまた含みのある言葉の数々。


嘘が真になるように、真が嘘になる事もあろうから。


「——。アチラは僕が受け持とう……ギルティア卿、ラディオッタ殿、疑念は察しますが今は御助力を」


「……良かろう」


 「うけたまわりました」


まだまだと楽観は出来ぬ、予断を許さぬ未来の展望——暗澹あんたんたる想いにかりかねない情報は出来る限り口にせぬ方が吉か、目先の目的に集中する為のイミトの意味深い言い回しに一応と納得を示したアディの先導によって、イミトに対する不信を抱くギルティアはに基づいた様子で渋々と頷き、老兵ラディオッタもその後に続く。


「行きます‼」


ジリジリと森が揺れた、その緊迫に耐えられなかったように戦地の森の樹木の枝葉に引っ掛かっていたのだろう折れた枝がドスリと落ちる。


と同時に、剣をたずさえて跳び出す三者——向かう先には、体勢を立て直しつつある三匹の蛇の姉妹。元よりと三対三の心積もり、泥を僅かに跳ねさせるだけの跳躍で右往左往と敵の注意、標的を定めぬ動きを魅せながら彼らは猛烈な速度で地を駆ける。


イミト——まぁ消耗が激しく行動に制限が多く掛けられているカトレアも含めれば五対三の状況、敵の負傷具合も鑑みれば現状は有利には違いない。



だが、彼も含めて彼らの誰もが己らが有利などとは考えてはいなかった。



「——……カトレアさん、逃げる準備をしといてくれ。が来るまでにはな」


イミトの登場がそうであったように、駒の一差しで状況は大きく変わる。カードゲームのように数値のみで勝敗が決する訳では無い——算数であり、数学であり、化学であり、科学であり、行動心理、さもすれば文学にも通ずるのかもしれない。



それが——。盛者必衰——雌雄を決するのは個の力や裁量ばかりでも無い。

或いはそれを希望とかたみちびく者、すがたける者も居るだろう。



されど当然、そんな物に彼は縋っては居なかった。


? クレア殿ですか」


三人の騎士たちが揺蕩たゆたい続ける勝敗の決着を天秤傾てんびんかたむく今こそと急ぐべく駆け出した直後、彼らにも悟られぬように遅ればせながら泥の大地に立ち上がろうとしたカトレアへ振り返らぬままに密やかに言葉を投げ掛けるイミトの、始まったばかりの共闘にを匂わせるような不穏な表現が漏れ出でる。


——何故に、そんな直接的ではないを用いたのか。


此処まで連続した苦境の至り、増援と聞いて思い浮かぶのが仲間側の物だと、コチラ側の物だと無意識にすがってしまうのも無理からぬ事ではあろうが。



。片方はもうすぐだ——その直ぐ後にもう一つが来るから、説明してる暇は無いけど、もしも何かあったら色々と頼むよ」


増援とは、何も己らの特権でも無い。内密に語る展望を悟られぬように槍を構えて身に宿る魔力を掻き集めて練り上げていくような気配をたぎらせ始めたイミト。言葉足らずとは自覚して居ても、彼は仔細をカトレアに語れなかった。


丁寧に説明する余裕など無かったのだ。定まらぬ未来を過去から無駄とも思える程に多く読み取り、未来予知の如く用意周到を重ねる彼であっても、用意周到を重ねてきた彼であるからこそ、長時間の戦闘や思考に疲労が積み上がり、ここに至るまでの遭遇した戦いの苛烈さも相まって現実として思考領域を会話に割く事すらもはばかってしまう程に追い詰められても居た。


——そして、まるで追い討ちの如く、


「何を——「ちっ、‼ くそっ‼」


疲弊した思考、無意識下の僅かな甘えすら許さぬが——想定外として彼に、彼らに


もう少し、もう少しだけ——後の事だと、そう思いたかったのだろう。



『【蛇地喝采ジャリグ・メギオン‼】』


 「「「「「「——⁉」」」」」」


僅かな森の騒めきの後に沼の如き水浸しの大地に降り注ぐのは、自らの尾を喰らい飲む込み——弧を描きながら硬化して飛来する無数の小さな蛇の弾丸。


一発の威力は、せいぜいと見越したとしても、それがで訪れるのならば大地を膨大に震わせる——まさしく喝采かっさいに相違ない。


曖昧だったイミトの言動に気を取られ、疑問を持ちながら立ったばかりであったカトレア——突如とした奇襲攻撃の気配をいち早く察知したイミトはそんなカトレアに咄嗟に跳びついて抱きかかえ、蛇雨の弾幕の向こう側へと姿をさらわれゆく。



「イミト‼ カトレア‼」


上空より突如として襲い来た弾丸蛇の衝撃に前方に掛けていた足を止めて状況を把握しようと振り返るアディ。


蛇に叩かれて無理矢理な喝采をもたらされる大地から泥や腐葉土が弾け、次はそれらが森に降るだろう事は、一目で明白で——しかし今はそれよりも跳ねる柔軟なボールの如く森に散り跳ねる蛇の雨の向こうに消えたイミトやカトレアの行方を思わずと心配し、声を荒げるのだ。


ああ——イミトは無事であった。



「っ、人の心配してんじゃねぇ‼ 次女だ‼」


静寂だった情勢が一転し、蛇柄のボールが無数に跳ねる森の現状——光遮る枝葉の天井は再びと風穴を開けられて注ぐ光が際立たせたのは、樹木の木陰の如き半球状——四分の一球状の黒き盾に背を向けて抱えたカトレアを蛇雨から守る男の姿と、


「——……」


そして——明らかな異質さを感じる程に巨大な、いつの間にか蛇の雨の真ん中に佇んでいた身長が2メートルか3メートルは有ろうかという一人のの姿。



決して人類の平均を裕に超える背の高さをもって、彼女を不気味と評した訳ではないのだ。


その女性は、あまりにも長い黒髪で頭部の全てを覆い隠し、まるで肌は水死体のような様相で紫がかって見える程の蒼白い血管を浮き立たせ、何を考えているのか分からぬ俯きの姿勢で不気味な禍々しい魔力を漂わせながら、まるで暗い夜の道すがら突き当たった闇の向こうの未知の恐怖を思わせる出で立ちをしていた。



それらを踏まえて、と評す。

その姿から連想してしまうのは『』、その一文字。


「「「——‼」」」


おぞましい程に彼女は強いのかもしれない——イミトの珍しい怒号混じりの焦りの声に、戦場へ駆ける足を止めて振り返っていた三人の騎士は各々と咄嗟に剣を構え、突如として現れた謎の女性が黒髪に全てを覆い隠す顔を上げてと確信し、心も構える。


事実、彼女は


「——っ‼ いけない——ぐぅ‼」


そう過去形で述べたのは、瞬きする間もなくそれなりにあったはずの間合いを中々の巨躯でありながら悟られる事も無く一瞬で詰め、老兵ラディオッタを容易く蹴り飛ばしたから。


事実、


「なっ、ラディオッ——‼」


何とか寸前、咄嗟に双剣を交差させて蹴りの直撃を防いだラディオッタの刃が足に食い込み傷つきながらも一人の成人男性を盛大に蹴り飛ばした後で、流れるように巨躯の体を捻り隣に居たギルティアにまで強烈な攻撃を見舞おうとするのだから。



「……」


ラディオッタが森の樹木に一瞬で叩きつけられた事に動揺を走らせたギルティアではあったものの、即座に気を持ち直して謎の女性の強襲に備えようと心を切り替えた事を踏まえて——彼女は攻撃の手を僅かに止めて振られるだろう剣の間合いから即座に跳び退き、その最中に己の魔力を弾かせるのだから。


——イミトは彼女を、だと言った。


覚えてくれているだろうか、イミトがカトレアを救出すべく動き出したその前にバジリスク姉妹長女のアドレラと戦っていた鎧聖女の戦場に現れたの名を。


「……【蛇道拍手ジャリダ・ベッド】」


覚えてくれているだろうか。あまりにも無数の小さな蛇を血液や細胞としてうごめいていた常軌を逸する山脈の如き巨大な蛇、イミトと戦い——未だ熾烈しれついくさの様子は語れど、とは書けては居ないバジリスク姉妹次女とされる怪物の名を。



彼女の名は、。もっとも謎深き——蛇の娘の一人。


‼ ギルティア卿‼」


叩かれた彼女の両手から音が響き、まるで彼女の魔力が電流の如くほとばしったようなバチリとぜるような感覚。か——或いはを用いる雷閃の騎士アディだからこそ、そのメデメタンの魔力の動きの意味をいち早く察せられたのかもしれない。



「——っ、がっ、か——くっ‼」


覚えてくれているだろうか、イミトの襲来の時分にバジリスクの六女アルティアを庇って肉を抉り散らされ地に沈んでいた半人半蛇のを。


もはや死して動けないほどに壊れていたはずのは、誰に警戒されるでもなく——まるででも受けたのかの如く体をビクンと跳ねさせて筋肉質な腕を広げてギルティアの虚を突き、背後から捕まえようと試みる。


「【一借断絶リコル・サティルータぁ‼】」


「——‼【雷閃舞踊リフィーリア・アルマティ‼】」


襲われるギルティアを救うべく伸びるイミトの黒槍、背後に振り返り半人半蛇の死骸だったはずの怪物に気を取られて隙が生まれているギルティアが他からの——特にメデメタンからの追撃に対応するべく身に宿る魔力の全てを雷撃に変えたかの如く激ししい勢いでほとばしらせるアディ。


「——……すぅ【蛇地蛮湧ジャリグ・ベドラサボ‼】」


それらを意にも介さずにサラリと避けて背後に跳び退き、距離を取ったメデメタン。再びと彼女の両手が叩かれ、パンと音を響かせて森に残響が残る中で彼女は首をグリンと大きく回し、それでも顔を覆い隠す多量の黒髪を踊らせながら——大地に震動を伝わせる。

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