第143話 蛇地蛮湧。4/4
そこから巻き起こったのは、引き波から押し波の如き変遷変異。
大地に両手を付けたメデメタンを震源地として、ある一定の距離まで地を埋め尽くした深い紺色の魔力が一定の距離まで這うように広がった後に物体と衝突して波及するように戻り、外に向かう魔力と戻る魔力がぶつかり合って複雑な大波小波——荒れた大海の波形の如く
予兆——、それ自体は攻撃では無かったのだろう。
「爺さんを守れ‼ 範囲から出ろアディ‼」
されど焦燥、突然では無いなら尚更に
あたかも、
「——くっ‼」
そんな壮絶な光景の只中で遠方から渦中へと駆け出したイミトの咄嗟の指示により、雷閃を走らせるアディ。向かう先には今しがた蹴り飛ばされて近場の樹木に背中から叩きつけられたラディオッタの衝撃に
「【
無論、ラディオッタの救援に向かう余裕があるという事は敵側の味方にも動く
「——……っ、無事ですかラディオッタ殿‼」
「
それにも負けぬ雷閃の
一方で、負傷したラディオッタと彼を
「そっちも驚いただけでギックリ腰とは言わないでくださいよ、ギルティア卿‼」
天に向かって降る雨の如く黒紫の魔力が地を覆う空間にて昇る黒蛇の
「——貴様如きに背負われる程、老いては居らんわ‼ はアアアアアアアア‼」
悪目立ちする嫌味な皮肉の裏に、無事を願うような声の
けれど今は戦争——好きや嫌いと言ってはならぬ、命の奪い合い。
苦境の中で僅かばかりの自尊心を傷つけられようとイミトの援助に対し口ばかりの不快を伝えるに留め、ギルティアは半人半蛇の筋骨隆々な腕を一刀に伏し、黒き蛇の逆さ雨を吹き飛ばしながら己の身の内に隠していた魔力を猛烈に噴き上がらせてメデメタンの重苦しさを感じる
それを以って、彼は——ギルティアの事を、こう評した。
「……さしずめ人の魔獣化。恐れ入る」
去りげな横目の視線に敬意を込めて、心からそう言い放つのだ。
一般的に凝縮された濃度の高く様々な物が混合する有害な魔素によって肉体そのものが構築された怪物は魔物と呼ばれ——魔力に秀でた動植物が生存競争の中で本能に駆られ、極限まで魔素を凝縮し、やがて魔物並みの魔力や肉体を強固に鍛え上げる事で魔獣と呼ばれる存在となる。
ギルティアは、ギルティア・バーニディッシュの長き時を
「貴様が連れて来たのか——あの女は‼ 情報を寄越せ‼」
人。ヒト。ひと。
尚も襲い来る数多の黒き蛇を嵐の如き風圧を生む剣撃の勢いで
「モテる男の
されど横暴な振る舞いをそのまま良しとする訳ではなく悔し紛れに小首を傾げ御道化て魅せる御愛嬌、語尾の語調は些か嗤いを滲ませる真剣な物の言い方に戻しつつ、ギルティアの問いに正確に応える為の問い返し。
「聞いている‼ アレとその蛇に関係があるのか‼」
「——本体ですよ、バジリスクの次女メデメタン。能力は解っているだけで蛇の死体を操る事。とはいえ俺も本人の姿を見るのは初めてでして——まだ確証も無い推測ですっ、がっ‼」
そしてその問い返しの答えが返れば今度は素直に、彼女が何者か——それを聞きたいのはコチラとて同じと注釈を入れながら目の前の黒蛇の襲来に対応しつつ己の持っている情報を基にした推測を彼はギルティアへ端的に与えた。
「面倒な者を——連れてきたものっ、だ‼」
「だいぶ削って、デカ蛇に震えあがってた本陣からも引き離してきたんですよっ。礼の一つくらい言って欲しいもんで——それにっ‼」
しかしながら端的であった事と、イミト自身も未だ掌握はしていないバジリスク姉妹次女のメデメタンの用いる能力の実体についての話が故に、
返せる言葉など無い事実ではあるが、それでも負けず劣らずにコチラも一面的な事実に
それから、周囲全面に広がったメデメタンの黒紫の魔力を猛烈に押し返すような漆黒の渦を纏いて、意趣返しの如く黒紫に染まる大地に一本の槍を真っ直ぐに突き立てる。
「……アンタは俺と遊びたいんだもんな、付き合ってやるよ顔の見えない美人さん……泣き
すればイミトを中心に大地は
「……っ‼」
——準備は整ったのだ。メデメタンの範囲魔法である
魔力を大地に流し、黒き蛇たちを踊り狂わせていた術士メデメタンに反旗を
嗚呼——そんな折り合い、ようやく準備が整ったのだ。
敵の動きを見極めるべく敵の言動——不意打ちを受けないように周囲の環境に耳を澄ませる事、魔力操作の集中も相まって警戒の範囲、五感ないし六感の行き届く範囲は当然と狭く、短く——
だからこそ、誰しもがそれに寸前まで気付かなかったのかもしれない。
『ア、ア゛ァァァァァァ‼』
「「「「「「⁉」」」」」
国の兵士たちと蛇の軍勢が戦っているはずの森の奧——或いは斜め上の空から、喉に腕を突っ込まれて居るかのような嗚咽に近しい低音で、喉奥から引き
「吸血鼠⁉ イミト‼」
その喉が詰まったような様々な雑音が入り乱れる不愉快なケダモノの咆哮に飛来してきた最後の鉄斧の一本を弾き返したアディが振り返れば、そこには巨大な
だが、アディの心配を他所にイミトは実に平静であった。
「——慌てなさんな。よく育ってる【
足下に広がった黒の大理石のような地面の範囲から戦って居た巨躯のメデメタンを退かせ、己の領域に鼠の顔をしたケダモノが踏み入れようと実に静かに、振り返りもせずに対応を決め魅せる。
「「「「——⁉」」」」
喰った、と言えばいいのだろうか。硬い大理石のような黒の光沢を魅せていたイミトの領域は、その瞬間——突如として現れた
次の瞬間には筋骨流、肉厚であったはずの鼠を捕られた黒の闇は雑巾を
「あー、まず一匹……つまみ食いは肥満の元かね」
化け物とは、誰の事であろう。
小さく開いた口から舌を出し、舌先を親指の腹で余分な唾液を拭うように少し撫でる。
化け物とは、誰の事であろう。
暗き足下から昇るように彼の肌を伝い始める黒い血管の如き模様。
化け物とは、誰の事であろう。
黒い瞳孔だった筈の彼の眼は、浮き出る血管のような黒の模様が
「「「「「ア゛ア゛ァァァァ‼」」」」」
彼がそう述べたように、まずは一匹目。
その後、続々と空から爆撃の如く降り立ってくる鼠のケダモノが数匹、その皆が同じく他の何を気にするでもなく——とても正気とは思えぬ様相で、ただ一心にイミト目掛けて襲い掛かるような勢いで咆哮を上げて一斉に駆け出す。
黒き大地、闇の底に引きずり込まれた消えた一匹目——そこから更に同じ様なケダモノが同じように黒き大地の中心に乱心したかの如く引き寄せられる展開。
そうなれば、ここから何が起き——そして彼の目的や、目論見が何であるかは明白であろうか。
「
少なからず、戦いのイザコザで少し距離が離れていたギルティアには察しが付いたようだった。
思い当たる
何故、ツアレスト側に加勢したのか。させられていたのか。
本来——守る義理など無いに等しいにも関わらず。
その答えが今——ここにある。
同じ人として、人類としての道徳、善意、良心によって味方したのか。
その答えはその実と——ついでに、でしか無かったのだろう。
——利用と打算。
『——……止めるピョン。アイツを、今すぐに止めるピョン‼』
「イミト殿‼ 駄目です、それ以上は‼」
彼の目的はバジリスクを倒す事、彼が密やかに願った細やかな祈り——もっとも欲した平穏な日常を続ける事。
たとえ、結果として独りであったとしても——彼は独りでバジリスクの軍勢の全てを、最初から、独りで倒す心積もりで行動を積み重ねていたに違いない。敵の敵を生かし、敵の注意を分散させる事など、まして少しでも敵の戦力を削ってくれれば良いなどは、あくまでも期待値の低いついで、でしかない。
「——さぁ、
「イミト‼」
身の丈に合わない願いも期待も叶わない。
何かを得るには何かを失う他は無い。
信じれば裏切られる、期待すれば失望する。
多大な願いであるならば、殊更に願い以上に多大な物を代償とせねばならない。
「そうだよ、俺はイミト・デュラニウス——忘れてくれるなよ」
そんな強迫観念じみた思想を、不幸論まがいな幸福論を満面に滲ませて実践する背に届く声は無く、やがて多くを
「【
さようならの向こう側——全てを包み込む漆黒は、果たして終わりの闇か。
或いは、薄ら寒い希望の始まり。
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