第138話 犠牲。2/4
空気を伝う
中で何が起きているのか、明白ではあった。
空気を伝う
「兎ぐっ——うがぁっ、でゅ——デュエラ殿……」
地に這いつくばえば白濁の球状となった逃げ延びた衝撃の振動が伝わり、その衝撃の威力が如何ほどかは容易に推し量れた。
されども突如として身に襲った衝動とでも言えば良いのか、なによりと苦痛とも言えぬ込み上がる渇望が生む歯痒さが、全身の細胞を誤作動させているようなストレスが、騎士の意志などは汲まず体を空間に囚われた少女の救出に早々とは向かわせない。
「……魔物化。半人半魔の行く末だ」
殊更に荒ぶる右腕の兎毛、堕ちた仮面から露になるカトレアの瞳は煮え滾るような鈍い赤色が光を放っている。
共に放つ魔力も、一層と禍々しく——しかし放出量に対して体の耐性が追い付かず、膨れ上がり続ける魔力に皮膚が徐々に裂けているのか白銀の森で彼女が伏す地には赤が滲み、血の結晶が創り上げられていく。
「精一杯、戦ったんだね——僕の妹たちと……」
やがて白濁に染められた空間が内部で起こる衝撃の
怒りは有ったろうか、
「……」
逃げ場なく反発し反復したウルルカの一撃の浴びて倒れ堕ちるデュエラを他所に、今は寂しげな顔を浮かべるばかりの姉。
「本当に、至らない姉だよ。何も——何も守れやしない。見間違えて、見誤って」
優しく穏やかに、赤子を眠りに誘うように変り果てた妹たちを抱きしめる。その和やかさとは裏腹に誰にも悟られたくないと祈るように天を仰ぐべく傾いた首筋、頬に伝うのは汗か——或いは白銀の森の怯えて震えて溶けた積雪だったもの。
——ああ、泣いてはいなかった。
「でゅ、デュエラ……カトレア……」
本来は、本来であれば己が受けていたはずのウルルカの一撃に沈められた少女の安否を気遣い、脳が揺れる
「強いね、君達。道理でデュエラが予想以上に強くなった訳だ——心も、体も」
「まさか——二対二で、こんな結果になるなんて予想していなかった」
そこから僅かな深呼吸、抱きかかえる妹たちを腰に付けている小さな鞄に押し込みながら踵をクルリと動かしたウルルカの表情は、普段通りの晴れやかな色合い。
怒りは有ったろうか、
「ああ、怒りは無いよ。戦いだ、今回は僕らも僕らの為に人に戦争を仕掛けた——もう怒れる身の上じゃないさ」
言葉とは裏腹に彼女が帯びる魔力の圧は衰える事も無く、むしろ一層と硬さが増したが如く容易く足下に広がる白銀を魔力がもたらす魔力圧のみで正常な森の色へと戻しゆく。
「……ただね。差し出した取引を蹴られた手前、筋は通さなきゃいけない。見逃しても良かった君たちの命は、ここで摘ませて貰うよ」
赦さなければいけない、享受せねばならない。己が感情を律し、それでも尚と復讐を果たす為の詭弁を探し当てたと言った佇まい。戦いを、連鎖を、辞めるつもりなどは毛頭なく。
踏み出して踏みしめる一歩はとても印象的な一歩。脇腹を抱えながら仲間の為に、何とか再び策を講じて現状を打破する為に立ち上がろうとする小さき魔女の下へと無慈悲に向かい始めて。
「——……ダメ、なのです。絶対に……させ、ない……」
「デュエラ……」
しかしながら、そう簡単に行かせる訳にいかない。数多の衝撃を、閉じられた空間で一斉にその身に受けて倒れ伏した少女の
ウルルカの背後で、痛みに震えながらも誰よりも先に誰よりも痛手を負っているだろう泥だらけの少女が立ち上がる。
「——これも戦いだ。そんな事を選べる道理は、もう君達にだって無いのさデュエラ」
それでも、ウルルカの歩みは止まらず——振り返る事も無い。心を置いて、残心を振り払い、ただ決まった未来に進むかの如く、もはや彼女は冷徹に歩むのみだった。
「選んだのは、君だ」
迷いが生んだ失敗を省みて、情が生んだ失態を鑑みて、もはや彼女がデュエラの言葉で己の行動を揺らがす事は無いのだろう。
怒りは、有ったのだ。
ただひたすらに——自責の念という形で。
「デュエラっ‼ くっ——【
そうなると殊更にセティスらにとっては厄介極まりない状況で——立ち上がったデュエラの意気に応じて、或いは迷いなきとは言えど会話に僅かに生じるかもしれないウルルカの隙を祈って、苦し紛れに魔女が投げつける
「——【
「——‼」
只の虚空を突いただけのはずの挙動ひとつで、拳の向けられた先の森ごと凄絶に薙ぎ倒され、何処ぞへと吹き飛ばされる。
「もう手加減はしない、油断も——」
「
「——しないよ」
「が
或いは、恥も外聞も己の身の安否すら投げ捨てて獣の如く飛び掛かった女騎士の獣じみた咆哮にも何ら物怖じせずに巧みな体術で先んじて予想をしていたかのように
更に——
「【
簡易な攻撃で虚を突かれ、女騎士の勢いを殺して
「っ——ウルルカぁぁぁあ‼」
遥か格上の実力を持つ上位生命体が、あたかもと対等な実力の者を相手するように振る舞う状況に対し、全てが児戯に等しかった。
今後の如何な策謀も無意味と宣うように、悠々と動くウルルカに対し恐怖を押し退けて跳びつく他にウルルカの足を止める術が無い。
「——……姉として、抱きしめて欲しかった」
ただ、唯一の救いがあったとすれば味方三人の中で最も強いデュエラの決死の足止めを、避けられたはずのウルルカがすんなりと受け入れた——ただ心許ない、最後の心残り。
単に、それだけである。
「ぐっ、ぐぅう‼ 絶対に、絶対に離さないのです‼」
「デュエラ……っ‼」
その付け入るべき隙に、何を成すべきか。小さき魔女セティスは必死に考えていた。
だが、ウルルカを抱きしめて動きを阻害するデュエラが、拘束を振り解こうと心を殺しながら打撃を繰り出すウルルカの攻撃に耐える姿を魅せつけられて焦燥が募るばかり。
少女の名を、祈るように呼ぶ事しか出来ずに居る。
そして——、
「逃げて……うっ、逃げて下さいますセティス様、カトレア様と——お二人だけでもっ‼」
その少女が放つ願いを叶える事以外に思い付く事が無い。
受けた負傷のせいか、それとも強大過ぎるウルルカの魔力の圧に圧倒される無意識に受けるストレスのせいか——巡る血の流れが音耳鳴りとして際立ち、体中に走る思考を遮ってくる。
——いよいよと、駄々をこねても揺るがない選択の時は迫られていた。
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