第138話 犠牲。1/4
吹き抜ける風は虚しい——これまでの喧騒が嘘であったが如く、夏に疲れた秋の枯れ草の葉先から垂れる雪融けの水音すらも聞こえてきそうな静寂。
「はぁ……はぁ……」
そんな中で膝が崩れ落ちて積雪を潰す残響が響き、吐く息は白く荒れて——項垂れて垂れ下がる薄青髪に隠された表情は、あたかも長距離走を終えたばかりのような疲弊に満ちているのだろう。
冷たき白銀の地に両手まで着いて肩で息を吐くその姿は、すべからく体に溜め込んでいた力という力を吐き出した様相で元々と小さき背丈が森の高い樹木に囲まれて殊更に小さく見えていて。
魔女は、勝ったのだ。
「セティス殿……そちらも常勝のようで何より、です……」
魔女セティスの背後で、込み上がる一段落の安堵とは裏腹に身に纏う鎧の重さを感じて震えながらに身を動かす騎士カトレア。痛みやら寒さやらと、もはや何方とも分からぬ状態で
再生能力のあるはずの敵が痙攣し、黒い煙を燻らせて消滅を始めている姿。
されども未だ地に伏す位置からでは見えてこない勝利の確信を得ようと何とか震える体を這いずらせ、纏う鎧の重さで水へと変わりゆく融解間近の雪原に
魔女たちは勝ったのだ。
「誇る事は出来な、い……流石に、魔力を使い過ぎた……私は、あなた達ほど——魔力が多くないから……」
相手の不調があったとは言えど、段違いに格上の怪物たちを相手に立ち回り、一つ二つの勝利を掴む資格を得るに至った。セティスの身体が項垂れ佇むその位置から、数歩と歩くそれだけで手が届く位置にある赤と紫、ひび割れた二つの宝石の価値は如何ほどの物であろう。
「
金貨銀貨は言わずもがなと、比喩ではあっても真に掴めたは命そのもの。絶望と呼ぶに容易い力量差、生物としての圧倒的な性能差を
「分かって、る……アナタの、その状況では瘴気を奪われかねない……私が、全部やるから」
「——申し訳ない。あまり役に立てず、荷を背負わせてしまってばかりで」
満身創痍に至るまで、己の身の内に潜む全てを出し尽くし、
生きていた。生きていた。
「一人では無理だった。荷物な訳がない、感謝してる——ユカリは……どうなった」
「……、どうやら私の魔物化を、抑えてくれているようで手一杯と言った所でしょうか……状況は尚も、あまり
まだ、まだ、まだ——生きている。
為すべき事が、為せる事が多くある。
世界からすれば、あまりにも小さきその肢体をよろめきながらも立ち上がらせ、
魔女たちは勝ったのだ。
あゝ、魔女たちは勝ったのだ。
しかして、されど——或いは無情に、
「そう……そっちの対処も急がないと……イミトから連絡もあった——たぶんアレは今……レネ——」
全ての戦争が終わったなどと、
故に安堵の静寂も束の間、白銀の森の木々たちは、再びと——震えを思い出す。
その森には、もう一つの
「——‼ セティス殿‼」
「?——⁉」
もう一人の怪物が、そこに居る事を。ソレに森よりも遅れて気付いたカトレアが叫び、そしてセティスも満身創痍に気を取られていた己の油断を知るに至って。
『妹たちから——離れろ‼』
「くっ——間に合わ——っ⁉」
咄嗟にと、武器の銃を腰裏から引き抜いて威嚇射撃を放とうとするセティスではあったが、ウルルカの向かい来る速度は常軌を逸し、セティスが僅かに銃を構えるその合間に瞬きを生理現象の如く行う一瞬の隙に一足飛びにて迫り詰めていた。
——
死を——、直感せざるを得なかった。
だが——まだ彼女は死なない。
「⁉ うっ——がっ⁉」
唐突に拳に気を取られていた意識の虚を突き、真横から彼女の身代わりになるように何かがぶつかり、セティスの小さき肢体は弾かれて勢いよく転がって近くにあった樹木の幹へと叩きつけられて。
「……やらせ、ないのですウルルカぁ‼」
ウルルカも、戦っていたのだ。まだ——あの少女と。
「邪魔だよっ、デュエラ‼」
その戦いを投げ捨てて妹たちの状況に足を動かしたウルルカの怒りの籠る拳をセティスの代わりに受け止めた硝子製のゴーグルで目を覆う泥だらけの少女デュエラ。
後方へ盛大に踏ん張った足が生む衝撃、噴き上がる魔力——交錯したウルルカとデュエラの衝突によって周囲の積雪は
さんざめいて一瞬の内に目も開けて居られないような水気が
「セティス殿‼ デュエラ殿、くっ——私も加勢、を——‼」
先程まで話をしていた魔女が転がり、いつになく苦境に立たされた横顔の仲間の少女と己らが今しがた倒した敵よりも遥かに格上と感じる敵が一瞬にして塗り替えた森の情景。女騎士カトレアは荒れ狂う乱流の
しかし、その時だった。
デュエラと戦うウルルカが、そんなカトレアの動きに目を僅かに流したその刹那。
向けられた敵意、研ぎ澄まされた魔力の圧がカトレアの胸を突く。
まるで——心臓が不正確に握り潰されたような慟哭。
或いは、強烈な眩暈。
「うぐっ——うがあああっ‼」
ドサリと積雪の霙に沈むカトレアの剣は、持ち主の異変を表情を変えずに見据え続ける。
「——⁉ カトレ、ユカリ様——⁉ っ‼」
突如として苦しみ出し、噴き出し始めてしまうカトレア——否、ユカリ——さもすれば別の何かの禍々しき気配、重々しい魔力。
怒りのウルルカの攻勢の片手間、ウルルカと戦っていたデュエラに動揺が走るのも無理はなかった。片手間で相手に出来る余裕のある相手では無いと知っているにも拘らず——
「……少し、今だけは眠っててくれないか‼」
「がっ——……っ⁉」
そしてその隙を、彼女が見逃すはずも無かったのだ。怒りの
「【
「でゅ、デュエラ——……」
やがて体勢を整え、構えられるウルルカの体術の気配。それは——いみじくもデュエラが用いる技と同じ構えであって——その光景を、突き飛ばされて樹木の幹に強く打ち当たってしまった魔女は見過ごす事しか出来ないのだろう。
「逃げて——セティス様‼ カトレア様——‼」
ウルルカの魔力によって歪まされる空間——鳩尾を拳で
「【
そんな少女に振られるのは一振りの拳。しかしてその一撃は張り巡らされた歪みを帯びた半透明の魔力によって弾むように幾重にも反発する百の打撃となるのだろう。
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