第137話 魔女の虚空。4/4


その光景は如何ばかり、彼女にとっては衝撃的な光景であったろうか。

膨大な水流に飲まれ、細かな氷のつぶてと成り果てていく妹の姿から彼女は目を離せずに居て。


「え、エルメラぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ‼」


声は遅れた。動きも鈍った。

それでも恐らくと、今日ほどに喉の奥から声を振り絞った事も無いだろう。

それでも恐らくと、今日ほどに心の底から妹の名を呼んだ事も無いのだろう。



「——どう? 先走ったで妹を失った感想は」


故に、その動揺に魔女は付け入り、拍車を掛けた。空飛ぶ箒の速度を急激に落とし、妹の安否確認にまっしぐらの様相で樹木の足場を蹴り飛ばして跳ねた毒蛇のレシフォタンと入れ違いになる格好で妹が死ぬ要因を作ってしまった姉を責め立てる一言を放つのだ。


——責任転嫁も甚だしいと思いながらも。


「貴様、貴様貴様貴様ぁ‼ エルメラに何をしたぁ‼」


あたかも風車の如く、いよいよと沸点の極まったレシフォタンの激情にクルリと回る空飛ぶ箒。逆さ吊りになる魔女セティスの肢体を、すれ違いざまに掴む事すらレシフォタンには叶わない。


妹の安否確認に残心しつつも、その表情は憎しみに満ち、空中できびすを返す青蛇毒蛇のレシフォタンは、まさに怒りに突き動かされる獣の如き形相で許されざる復讐相手——愚弄を重ねる悪辣な魔女セティスの挑発に感情を御する術を失ってしまったようだった。


それがとは解って居ても尚なのだろう。



ね——敵に種明かしを頼らざる得ない愚直さが」


彼女らにはがあった。が確かにあったのだ。

だからこそ、彼女はを利用する。


向かい来るレシフォタンに対し、向けた銃口は——至極冷徹に、世界の深淵を覗かせて。



「——っ‼ これは⁉ どうやって——‼」


そこから噴き出るのは、見覚えのある赤い——赤い炎であって。

一瞬にしてレシフォタンの身を包む残酷な焔は、忌々しくも魔女の策謀を助ける力と成り果てたのである。


そして——心を失ったかのような冷淡な魔女の声だけが、レシフォタンの真横を通り過ぎるように、こうささやくのだ。


「私は覆面の魔女——セティス・メラ・ディナーナ」



 「——⁉ このっ⁉ 偽物⁉ 服だけ——」


噴き出た赤炎を腕の膂力りょりょくで巻き起こす暴風だけで払い除け、声のする方に腕を振れど、そこに魔女の感触は無く、ただ魔女の顔を隠していた覆面と、身を包んでいた魔女のマントのみがまとわり付くばかリ。


それでも尚と、魔女の冷淡な囁き声は幾つかの銃声と共に森に響き続けていく。



「……世にも珍しい、を得意とする魔女。素顔を知る者は、そう多くない」


 「昔のも、嫌いじゃなかったけど」


服や覆面を身代わりに、いつの間にかと未だ雪融けが遠く思える白銀の森の地に降り立つ魔女は覆面の裏に隠していた静やかに淡々と銃を連射しながらそこに佇んでいて。


「くっ——このっ……何処までも馬鹿に——【毒蛇壊レジヴァ・グラネダ】」


防戦の様相で腕を交差させて身を固めるレシフォタンは、憤慨、苛立ちと焦燥を胸中に抱えながらも意を決し、そんな魔女の冷徹を溶かすべく体中に生える鱗のアチラコチラから紫色の煙を滲ませ始める。


しかして——撃たれた弾丸が頬を掠め、掛けていたレシフォタンの眼鏡が象徴的に宙を舞う。



「次の手段はで態勢を整える。分かりやすい【正式装填リコムル・ブリュッセ接続施術ビルデアルキス】」


既に先々を見据えて組み上げられた魔女セティスの戦術は、まさに連綿と隙間なく——あたかも、ここに至るまでの強者の高慢のを受けさせるが如く繰り広げられる。


撃ち放たれていた弾丸は、乱射されていたような印象ではあったがその実と、張り巡らされる布石の一つ。


「このような結界——で⁉」


宙に制止した弾丸はセティスの合図ひとつで各々と光線を放って繋がり合い、薄い半透明なガラスのような膜を張り巡らせて毒を噴射しようとするレシフォタンを隔離かくりするに至る。


そしてセティスの持っていた武器も同時に変形を始め、幾つもの魔法陣や数値を空に描き上げて、魔女の指は戦いの決着を付けるべく忙しなく駆動していくのだろう。



「サンプル装填——分析機構、魔力充填開始と共に駆動、結界内の魔素を拡散、魔素をサンプル比で判別、組み分け——対応する結界の性質を随時変更」


発光する魔法陣の上に展開された機器に懐から取り出した細い筒を幾つもと手早く差し込んだセティスは、やはり忙しなくと指や瞳孔をアチラコチラと動かしてレシフォタンを捕らえた多角形の結界を操作し始める。



「——私の毒を、瘴気を無理矢理に吸い出して‼ 貴様ぁ‼」


結界の内部は風が荒れ狂うようであったのかもしれない。噴き出したレシフォタンの様々な種類の毒が混じり合う煙が瞬く間にと結界内で分離分裂する様は、竜巻の如き圧巻の様相。


その思惑は、一目見れば明白で怒りに駆られるレシフォタンの咆哮が再びと響く程であった。


そうして作業は一段落か、



「すぅ——空気が美味しい。【眼魔心眼アルデュース・エステリア極界メルデディオス】」



「——この空間は、全て把握、すべからく掌握」


或いは

結界の外側——覆面を脱いだ魔女セティスの薄青い髪が逆立つほどに解き放たれた彼女自身の魔力が森を揺らし、レシフォタンを捕らえる結界を包むように空間を僅かに陽炎かげろうの如く歪ませる。


——、と言える程の物でも無い。


「こんな結界などで——私を捕らえられると‼」


「思ってないよ。魔力を吸われる光景を見たら、警戒してを使うと考えてるだけ」



「——ぐっ⁉ ——何も無い所か、ら——」


種を明かしてしまえば、捕らえられている結界を怒りに任せて殴り突き破った拳の先に、拳を放った者の頬に転移するように空間の歪みを置いておく——


たった、それだけの事。



「普段から溜めてる魔力の浪費が激しいし、戦闘で使うには扱いが難しいから奇襲で一回——使うので精一杯」


とは言えと、早々に仕える手段では無いらしく空間をじり、歪みを発生させているのだろうセティスの魔力はその小さき背丈で抱えていたとは思えぬ程に放出をされ続け、彼女が腕に身に付けていたも次々と砕け去っていく。


そして何より、大した威力が——には存在しえない。


「私の……腕が……」


「——だから、どうした‼」


頬に受けた自らの拳の膂力を、首の力だけで押し戻した怒りの形相のレシフォタンは尚も健在で、彼女は空間の穴を通る自身の腕を容易く引き抜き、空中で見えない足場があるように態勢を整え直した後で再びと毒の歯牙をセティスに向けようとしている。


——切り札、と言える程の物では無い。


頼りにするには、あまりにも心許こころもとない

だからこそ、留まる訳には行かなかった。



例えそれが——後ろ指を指されるような非道外道の心苦しい所業であったとしても。


「【粘着鞭舌スライム・ウィップ】」


決着に向けて再びと変形していくセティスの武器——その時間を稼ぐ為に突進してくるレシフォタンを尻目に腰から引き抜いた引き金しか付いていない剣の柄のような新兵器を駆動させるセティス。


後方に向けた武器の柄の何も付いていない先から噴き出す半透明の液体は、しかしあたかもとむちの如く伸びゆき、に付着する。



「……大事な妹でしょ、守ってあげて」


それは寒々しく水のしたたる白銀の地で、攻勢を使い果たし膝を着いた兎耳のえる女騎士の傍ら——儚く、虚しき最期の残り火を弱々しく弾けさせて落下する


「——‼ エル、メラ……」


猛烈な速度にてスライムの鞭に引き寄せられてレシフォタンの目の前に投げ出される魔石——彼女の、。だったが故に、過ぎた動体視力も相まって時が止まったようなその瞬間——怒りが消え失せてしまう。


無惨に、哀れに、もはや何も語れぬ状態の妹の姿に——動揺せぬのも無理な話。

たぎり果てる怒りを容易く凌駕りょうがする悲哀。放り出される妹をぞんざいに扱えるはずもない。


まるで——轟々と燃える焚火に新たな薪をくべられた際に熱が冷める一瞬の明滅、静寂。


その隙を——魔女は創り出す。


「【魔弾装填エルエナ・ブリュッセ魔我土亀エルッゼ・トーン】」



 「これが最大火力——守れたら、あなた達の勝ち」


変形を終え、巨大な筒状の武器へと姿を変えたセティスの武器の砲口は、怒りを一瞬と忘れて宙に投げ出された妹を抱きかかえる姉の姿に向けられて。



「エルメラ……ごめんなさい——」


勝ち誇るでもなく、慢心も無く、ただ——淡々。

粛々と敵を穿うがつ兵器を肩に担ぐ砲台と成りつつ、まるで覆面を被っているような表情を浮かべる魔女は、その冷淡な眼に涙を滲ませた敵の心を映し出し——兵器の引き金と指の間の虚空を優しく覆い、そして——押しつぶす。


——。

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