第138話 犠牲。3/4
けれど——それが彼女に出来るだろうか。
普段は理知的な合理主義、そう振る舞う事が最も効率よく安全に生きる術だという事は未だ何よりも疑わない。だが出会ってから様々な苦楽を共にした、共に命を賭けた、命を救われた事もある。
失われるかもしれない命は、もはや血の繋がらぬ他人だけの物だなどと口が裂けても言えないのかもしれない。
輝かしい程に笑う少女との思い出が脳裏をよぎる。未来を想う。
「ワタクシサマは大丈夫なのです、マザーの命令で……っ、コイツラガタはワタクシサマを殺せない‼ なんとか、何とか隙を見てワタクシサマも逃げるで御座いますから‼」
「……」
確かに、少女の言い分は
このまま、何の手立ても無く少女が連れ去られてしまえば地理云々も含めて詳細の分からぬ敵の本拠地から彼女を救い出す事も、少女が自力で逃げ出す事も分の悪い賭けになる事も間違いではない。
「だから、だから逃げて‼」
なによりと、少女の信頼も虚しく——魔女は思う程に動けなかった。
先ほどの戦いで死力を尽くし、殆んど使い果たしてしまっている魔力——暴走気味に魔物化に拍車が掛かっているカトレアを、ウルルカの一撃で苦悶する騎士の鍛えられた体を抱えて逃げおおせられる程の体力も残ってはいない。
——全員が無事に、或いは優位に現状を進む事は限りなく不可能と言って近しい。
なれば、
「早く‼ 今の内に‼」
誰かを犠牲にしなければならない。ウルルカの足止めをせねばならない。
では誰が。
では誰が。
では誰が。
「……っ‼」
問い続ける、問い続けて硬直する体、これまでにない程に冷たい冷や汗が頬を伝う、緊張に
——答えは、既に出ていたのだ。
ただ、認めたくなかっただけ。
「——【
バサリと
「【
腰裏に隠していた小さな筒の蓋を噛み、宙に浮かせた箒の柄に両足を飛び乗らせて宙を駆け始めた魔女は、デュエラが抑えるウルルカの足下へと目掛けて殺意なく蓋を噛み千切った筒を投げつけ、視界と魔力感知を簡易に覆い隠す煙幕を張り巡らせて空を飛ぶ箒で倒れ伏すも未だ立ち上がろうとする騎士の下へと急ぐ。
「【
更にセティスは箒の上で
「……賢明な判断だよ。それ以外は無いくらい」
「これで——良いのです、ます」
きっと誰もが、周辺の何もかもを覆い隠した煙幕の中で仲間の少女を置き去りに騎士を抱え、箒で魔女が飛び去ったと思った事だろう。
当然、満身創痍の少女デュエラの対応を確実に
だが——、
「セティス殿っ‼」
それも思わぬ女騎士カトレアの、思いもしなかったという風体で放たれ、そして遠ざかっていく驚き咆哮を聞くまでの話。その一声をキッカケに、やがて想像していたものの全てが覆されていく。
何故に今、そのような驚きの声色で名を呼んだのか。
違和感に、思考が
「良いわけが——ない‼」
「「⁉」」
答えは既に出ていたのだ。思考の暗中、気を取られ、僅かに——ほんの僅かではあろうが、着実に微々と遅れる反応——生じる隙。
突き出した拳は、ウルルカの頬に見事に当たったもののウルルカの身動きを抑えているデュエラも含め、彼女らを突き飛ばす程の威力は無い。
しかしながら虚をつく為だけの一撃、セティスの狙いは彼女らの近くに落としてしまっていた己の武器を拾い上げる事であって。
「……セティス様、何で——っ‼」
「——いつも言っている。私の箒は、一人用」
嘘を、吐いた。思いもよらなかった行動に戸惑うデュエラを他所に、拾い上げた武器の銃口を屈んだままに滑り回り、やがてウルルカに突きつける魔女。
正確に言えば、二人までなら運べる空飛ぶ箒——普段は速度の目減りや快適な操縦が難しくなる為に忌避して一人乗り用だと
「で、でも、それでも——「イミトは‼」」
「イミトは生きている。さっき連絡があった、今——コッチに向かっている」
「……」
嘘を、吐いた。カチャカチャと震えて揺れる武器の照準を必死に
嫌気が差す生への執着、或いは生への貪欲。
「私にはもう——二人を乗せて箒を飛ばせる程の魔力も無い。カトレアを目印代わりに飛ばすのが精一杯」
少女を犠牲にしてまでなどと、心から欲しては居ない筈なのに。
込み上がる恐怖を覆え、死の恐れを隠して嗤え。
武器と共に足下に落ちていた彼女の二つ名の由縁を被り、故に魔女は震える手を押さえつけるように強く、強く——汗ばむ拳銃の柄を握り直す。
「だから時間を……いや、二人でそいつを倒そうデュエラ。アレが、ここに来る前に」
覆面の魔女——セティス・メラ・ディナーナ。
彼女は少女に伝えておかねばならなかったのだ。
「勝とう、デュエラ」
これから先——少女に訪れるであろう目先も見えない暗闇の未来に、心許なき火を灯すように薄ら寒い希望を与えなければならなかった。
いずれ独り、孤独に、時を待つ——機を伺うであろう未来の少女に向けて、少女の身を案じて、また諦める事無く笑える日々が来るように——。
例えそれが、己の命を犠牲にする事になったとしても。例えその時、そこに己が居らずとも。
魔力も無く、体力も残りわずか——もはや今後の戦いにおいて、何の役にも立てぬだろう己よりも、彼を支えてくれる強き一筋の光明を残すべく。
或いは何よりも、幸せになって欲しいと願った少女の為に。
「——……はい。当たり前、なのですっ‼」
魔女は嘘を吐く。己の全てを投げ打って、まるで先ほど踏みにじったばかりの捨てられぬ情愛の報いを受け入れるが如く、あまりにも穏やかに苦境を嗤い上げるのだ。
——こうして彼女たちは、負けを喫するに至るのであった。
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