第133話 泥濘の兆し。3/4


すれば分からぬ筈も無し。


「……他所様の為にそこまで献身するんは、その実——だましているという負い目からでありんしょうか。それとも人の仲間になりたいから健気に振る舞っておいでで?」


魔物とは己であり、己もまた同じように傷を治すなれば。バジリスクのアドレラは、蠢く蛇の座椅子に寝そべるようにつややかな息を吐き、見下げ果てるように聖女とあがめられる怪物に流し目を贈る。


一方で感知した頬を指で撫でて具合を確かめるメイティクスは、その後に改めて剣を構え直して仕切り直す様相を魅せ、


そして——


「——……償いですよ。私という罪が処されるまでの細やかな欺瞞です」


嫌悪が混じる訝しげな眼差しが閉じられる前に問われた事柄への答えを返すのだ。鍔の鳴らぬ大剣ではあるが音を立てるように主の意志を、もう決して敵の姿を見失わないとの覚悟が滾る眼差しを殊更に煌かせるが如く動かされる。



「何を言うとるのか。はぁ……わっちには解りはしませんわ。人などに染まろうなど、まして地味な人の世に溶け込もうなどと甚だ理解の外や」


対するアドレラは悠々と一段落か、先ほどの攻防にて用いていた巨大な扇子を肩に担ぎつつ、手下の赤蛇に預けていた煙管を受け取って一息と煙を憂うげに吐露して。



「そんな御身体しとるんなら、あんさんにも分かるんやない? 身の丈に合わん煩悩ぼんのうに囚われた人の醜さたるや地味よりも嫌悪すべき滑稽——ほんに耳障りでありんしょうに」


白雲を運ぶべく宙で密やかに荒ぶ風に髪と灰を躍らせながら小首をシャナリと歌舞かせて、悩ましげに——或いは憐憫れんびんの想いを込めてメイティクスを見下げ続ける。


まるで別に似た事例を知っているかの如く、メイティクスの無様に似た旧知の知り合いの影を重ねるように、幾度も思い出しては憂う様子のアドレラ。


すると、そんな妖女の言葉の意図を知ってか知らずか——



「——人が、ささやかな幸せを享受する光景は美しく思えます。夢を抱き努力する姿は愛おしく、日々のつつましやかな努力が実を結び、喜ぶ顔を見るのは嬉しいと感じる。それらが報われず、我々の耳に日々聞こえてくる嘆きの声に変わるのは悲しい事です」


アドレラを瞬きする事もなく視界に入れたままに、鎧聖女がその鎧の裏に隠している想いを告げゆくのだ。



「バジリスクのアドレラ殿。仰る通り、私は人でも魔でも無い——とても中途半端な只の醜い怪物で、何一つとままならない罪深い愚か者です」


ギリと握り締める大剣の柄、白銀の鎧の篭手が汗ばむように音を滲ませて。しかし心を整える一呼吸の後に彼女は剣の柄から片手を離して姿勢も整えつつ、ぶらりと残された手で構えていた大剣の刃を降ろす。



「ですが——だからこそ、せめて……この与えられたを穢さぬように恥じぬ生き方をせねば——それこそ罪、大罪を犯す事に他ならない」


そして瞬きの代わりか、或いは覚悟の表れか。大剣の柄から離した掌を自らの眼前を撫でるように動かし、白い光をともないながら彼女は自らの頭を覆う鎧兜を創り出した。



「この私の生で——負けは約束された只の一つのみ‼ 如何なささやきがあろうとも、その為に——その想いのみで死力を尽くす事に何の迷いも生まれはしないのです‼」


やがて改めてと覚悟を整え、完全な戦装束で身を包んだメイティクスの放つ覇気は——これまでよりも一層と輝かしく世界を照らすように解き放たれる。



だが、尚も悠然。


「派手な口上やね……嫌いやないわ。でもなぁ——別に好きやあらしまへんのや」


陽光とメイティクスの白銀の輝きも相まり、遮蔽の無い空の上でも際立つ蛇の影。かくりと退屈を辟易と表情で露にするアドレラが、再びと手下の赤蛇の口を灰皿の代わりに煙管を置き去り、ゆるりと身を整え返して、げんなりと蛇の椅子から立ち上がる。


そして妖女も肩に担いでいた巨大な扇子をぶら下げて、戦いの再開を意気揚々と告げたメイティクスに相対するような言葉を返すのである。



「だから、もうにしましょか? もうあんさんの負けは決まったもんやしね」


仕舞いは終いの単なる置換——只の当て字。悠々と花魁道中おいらんどうちゅうかんらと歩くが如くアドレラの踏み出した一歩は、あたかも空中でありながら澄み渡る水面に波紋を一つ浮かべるような足取り。


「負けないと——言った……」


警戒していた。警戒に警戒を重ねた——それ故に、聖女メイティクスは気付くのに遅れたのかもしれない。或いは——あまりにも悠大な、人のような小さき者には計り知れない規模の自然の動き故か。


——本日は雲が吹き飛び、天晴あっぱれな晴天なり。


しかして時々、が降る。



が多いと、大変そうやけど——わっちらもついでに、どないやろか、鎧聖女様?」


雄大な雲が動くが如く、いつの間に陰る世界。に気付いたメイティクスが自身らが戦う空よりも遥か上空——空の高さの果てしなさを悟るが如く振り返る様を他所に、アドレラは肩に担いでいた巨大な扇子で片手を叩く。


が——巨大すぎるジャダの滝を別ち現れて地を這いずって迫って来ていた蛇が、——大蛇という表現すらも足らずはばられる程に大き過ぎる蛇が、いつの間にか空をへと跳び、地に目掛けてとしていた。



「馬鹿……な——‼ っ、全軍に緊急指令‼ 全力で戦闘領域を離脱、北東に退避‼ 隊列など気にせず、己の安全確保を最優先‼」


その圧倒的な存在感は、まさしくと災害に相違ない。巨大過ぎる蛇が、余りあるが遥か高みの高度から落ちるだけ——それだけでも、その破壊力が尋常ならざる事は容易に理解出来る事であった。


反動で巻き上がるだろう土砂の勢いも、大海で起こるような大津波に等しいに違いない。


「——うふふ……あら、北東と聞こえたんやが。なるほど、なるほど面白おもろいわ——そう思うやろ、アンタらも【蛇目撃ギジャリヴち‼】」


更に慌てて部下に指示を出したメイティクスに対し、追い討ちを掛けるようにアドレラの背後で蛇が舞い、巨大な扇子を抱えたアドレラ自身も蛇の瞳孔を細めさせて微笑を浮かべながらにメイティクスを牽制すべく跳び出す。



「くっ——アドレラぁ‼」


再びの交錯、度重なっていく窮地——自身に嫌がらせのような遅延攻撃を仕掛ける、空から舞い降りる、まだメイティクスの指示が行き届かない飛行船団を狙う


追い詰められた状況に、さしも聖女も声を荒げて真っ先に自らを抑えるべく巨大な扇子を振り下ろしてくるアドレラへと負けじと大剣を振り上げる。


「兜さんを付ける前に、教えて差し上げたらよかったなぁ——きっと、華やかで美しい怒り顔をしておる事でしょうに‼」


互いの武器が弾け合う音も虚しく、空から落ちてくる巨大過ぎる大蛇の勢いは止まらない。


何かが失われる、何かを見捨てなければならない。


決意と共に身に付け直した矢先であった白兜の裏で、鎧聖女メイティクス・バーティガルは頬から流れる苦汁を舐めたような顔を浮かべていた。

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