第133話 泥濘の兆し。4/4


——しかし、その時だ。


『【火蜂ひばち】』


衝突し、見つめ合う二人の間に割って入るように突如として耳元で響く虫の羽音。むしろと存在感を主張して威嚇する堂々たる捕食者の振る舞い。


腹の赤い小さな、小さな——人の大きさからすれば小さな、腹が赤い真っ黒な蜂が一匹。


「「——⁉」」


無感情の表情で、衝突して弾け合う魔力の波動の只中で、まじまじと二人の眼前に居座って滞空するその蜂に、アドレラとメイティクスは二人ともに驚き、目線を流す。


「……なんや、蜂? いつの間——に‼」


そして、それが蜂だと認識した刹那——腹下の尻から生える黒い蜂張りの矛先が突如としてアドレラに向けられ、元々が赤かった蜂の下腹部が赤い閃光を滾らせ始め——


「⁉」


やがて真っ赤な炎を伴いながら、メイティクスの目の前で弾けるのだ。


意図せぬ第三者の介入、予期せぬ驚きに思わずと硬直するメイティクスの肢体。


——否、もはや彼女は体を動かす事が、さもすればその時点で覚束おぼつかなくなっていたのかもしれない。



『まったく……なっておらんな。血筋はか』


 「声が——‼」


アドレラの顔面が爆破されてる様を他所に、脳の内側から響くような声が耳を揺らしたと錯覚し、身に覚えのない触感が肌の内側へと浸蝕する感覚がメイティクスの脳裏に走りゆく。


知っていた、。生まれるよりもずっと、



「なんやの‼ 誰——や⁉」


一方、唐突な奇襲——爆撃の後に、爆炎に片目を焼かれながらも、アドレラが吠える。が、同時にメイティクスの身体がアドレラの腹に追撃の十文字蹴りを見舞いして。


『ソヤツをしばし足止めしておれ‼』


そして彼女には聞こえていないような声で呼ばれた頃合い、が空をも駆けていた。


影の行方は、蹴りに突き飛ばされたアドレラの背後。



「てな訳で、は頂いたんで少し遊ばせてもらうわ——だっけか。見るからに高嶺たかねの華ってな」


一本の槍が振り下ろされた、現れた奇襲者の特徴と言えば——背に抱えるとメイティクスの兜によく似た。そして体格から見て男という印象。


やと——聞いとりますやろ‼」


振り下ろされた槍に対処し、閉じられた扇子を振り出して受け止めるアドレラは苛立ち混じりに語気を強める。飄々ひょうひょうと、状況を覆すような——自身の描いていた絵に目の前で墨でも垂れ流されていくような不快感を本能で感じ取ったのだろう。


男が何者か、アドレラは未だ知らない。

故に、敵としてとも思ったのやも。


だからこそ——

「強いて言うなら、金無しの紐男ひもおかな——玉はあるけど‼」


男は己が何者かを明確には語らないに違いなく、受け止められた槍を引きながらに身体を回し盛大な横薙ぎにてアドレラを守る扇子を弾くのだ。



知っていた、気がした。ずっと——ずっと昔から。


「——アレは……いや、アレが——」


鎧兜で顔を隠していても尚、何処か直感が告げる男の正体。突然の急展開に頭が追い付かず、やや呆然とアドレラと男の攻防を眺めるメイティクス。


だが彼女にも、のっぴきならない状況が差し迫り続けている。



『今はコチラに集中せよタワケ‼ 特別に——我の体の使い方を教えてやろう、そのまま委ねよ‼』


「は、はい——っ⁉」


最大の災害——空から降る大蛇は尚も地上に向けて落下を続けていて、メイティクスの身体が彼女の意志を伴わぬままに勝手に動く違和感が走り、彼女の身体は彼女の意思にそぐわずに黒に染め上げられていく白き大剣を構えるのである。



「——なんや、まさか本気ででわっちらの妹を受け止める気ぃやあらしまへんよな⁉」


まさかとは思っていた。男が殺意なく繰り出してくる槍の猛撃をいなしながら、横目でチラリと目線を流し、剣を構えるメイティクスの様子を覗うアドレラ。



ただ——殺意こそ感じないとはいえ、


「美貌ひとつで国を傾けるのと同じくらい現実的じゃないかね、ベッピンさんよ‼」


「だから誰やのあんさん‼ それで洒落を効かせたつもりかいな‼ 鬱陶しい‼」


男の繰り出す槍の猛撃はゆるくも無い。命を一撃で狙う意図や威力こそは無いが、対象の動きを未来でも見ているかの如く読み抜き、嘲笑うように動きの起点を抑え、呼吸を塞ぐように体術と共に槍の連撃を縦横無尽に走らせてくる。


苛ついていた。手加減——いや、相手を弄び、見下すようなからめ手な攻撃の数々。


同族嫌悪か、はたまた別の何か。



「効かせたいのは今晩のスパイスかもな【食卓テーブル・視線マナー】」


 「動きの邪魔ばっか——陰湿で鬱陶うっとうしいやからやな‼」


己が得意な戦術、戦法を先に繰り出される感覚——しかも殺意が無ければ、底が見えないと錯覚するのもまた無理からぬ。突如として足下に広がる黒い足場から蛇のように蛇行する黒い物体が伸びて茂みの如くアドレラの服をかすめて通り過ぎる中で、状況を理解し整理する前に新たな情報を次々と押し付けゆく展開。



男は漆黒の鎧兜の裏で嗤う。


「束縛する男は、まぁ嫌われるわな。塩梅あんばいが難しいもんだ」


「それに俺は——女の嘘も見逃さねぇんで尚更な‼【裏帳簿ハンドブックブラックス】」


そしてアドレラを襲う男が一歩と引いて背中に担いでいた大きな筒を引き抜きながら槍を捨てて指を鳴らせば、男が産み出していた黒き物体の全てが煙へと変わる。



「魔力の煙幕⁉ 煩わしい真似事を‼」


背景は暗く、しかし煙の中では姿だけが明瞭に見えていた。故に何処からか攻撃が来るやもと身構えるアドレラ。


だが、その煙幕で狙われていたのは彼女では無かったのだ。



「優雅な動きの邪魔をするつもりはねぇさ、そうだろ——そこにアンタは居ねぇんだから。邪魔をするのは、これからだよな‼」


放出霧散していく黒き魔力の僅かな揺らぎ、風に吹かれるとも違う——男が待っていたのはであり、彼は背中から取り出した煙へと変わった筒の中身をその揺らぎの起きた箇所へと投げつける。



そこに居るのは、アドレラ。



「——っ⁉ これは——‼」


投げられた物体を咄嗟に持っていた巨大な弾き、空色から本来の色が滲みだすように浮かび上がる妖女の姿。男からの予期せぬ攻撃で気を逸らされたせいか、魔力の煙の中で扇子を身構えていたアドレラはとなって崩れ落ちていく。



「女心と秋の空、色まで変わるたぁ活きが良い‼」


 「見とったんか、覗きは趣味が悪いんじゃありんせんか⁉」


アドレラは即座に理解した。遠目で気配を潜め、男が鎧聖女と己の戦いを助けもせずに狡猾に今か今かと機を伺い、観察していた事を。


咄嗟に弾き返した巨大な扇子を掴み取り、再び己に襲い掛かってくる謎の男。

直感していた、一筋縄では行かない相手だと——



「偶然に出くわしただけさ、冤罪被害は勘弁願いたい所だ。んな事より、男に夢中になるとロクな事にゃならねぇぞ【百年利子ハンドレットレート——】」


だが——彼はアドレラの足止めをになっているに過ぎない。

その時が来るまでの——単なる時間稼ぎ。


そして、

「——‼ なんや、……さっきまでとまるで——‼」


アドレラは男が降る扇子の攻撃を弾き、後方へと男を退かせた後に唐突に膨れ上がり始めた気配を感じ取り、思わずと振り返り目撃するに至るのだ。



白銀だったはずの鎧が——禍々しい黒に侵食されていく呪わしき姿を。


「メデ‼ もうや‼ それはやない‼」


本能的に危機を感じたアドレラの焦りが、彼女の声を天へと荒げさせる。構えた剣が振られれば余りにも危うい、しかし時は既に遅く止める事は叶わない。


なれば叫ぶ他は無かったのだろう。



『【剛腕旋風ギュアグリフ山穿バグリジカち‼】』


白と黒の入り混じる聖女だった何かの握る剣は振られ、そして漆黒の兜で顔を隠す魔人は数多の武器を雨の如く空に降らしていた。



「——男子三日会わざれば刮目して見よ、ってな【不死王殺砲デスリッチ・キャノン】」


危ういのは空から落ちてくる妹だけに非ず、コチラもまた膨れ上がる気配——アドレラに向けられた掌を中心に自ら作り出した武器を砕く程の勢いで渦を巻く黒き魔力は、やがてアドレラに向けて解き放たれるに違いなく。



「訳の分からん——ホンマなにもんやぁ‼ 不躾ぶしつけ過ぎやしませんか‼」


その対処に身構えながら万感足る想いを込めて、アドレラは再びと彼らに怒りを以て問い掛ける。


まだまだ先の分からぬ戦いの行方、ただ——どちらにせよと、まるで天地がひっくり返り、膨大な滝を受け入れながら広大な森を支えるジャダの地が隠す、柔い泥濘ぬかるみが露になるだろうきざしばかりが増えていくのであった。

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