第133話 泥濘の兆し。1/4


巨大な滝より現れたる大蛇のうねりが津波の如く地を揺らす。

その震動が彼の者らの耳に音と成って変わり始めた頃合い——次第に熾烈しれつさを増していく戦場の混迷も徐々に様相の色合いを際立たせ始めていた。


「なんや……御大層な御名前に似合わずで御座いますねぇ、鎧聖女様」


地上から多様な攻撃を仕掛けてくる蛇の軍勢の猛攻をしのぎながら宙を駆る飛空船団のけたたましい大砲の轟音とプロペラの空気を掻き混ぜる騒音を背に、無数の蛇で創られた椅子に悠々と座すバジリスク姉妹の長女アドレラは、目の前で剣を構える精悍な聖女を見下げて言葉を投げ掛ける。


アドレラの背後でうごめく蛇の一尾が要の開く扇子で風を起こせばアドレラの頬を妖しく煽り、妖艶な彼女の優雅さを殊更に際立たせる一幕。


対して——


「はぁ……はぁ……御上手な立ち回り、感服いたしますよ。アドレラ殿」


陽光に煌く美しき白銀の鎧も今や昔、何かしらの熱光線を浴びたが如き所々に黒炭の色合いを滲ませて息を切らしながら空中で片膝を着く鎧聖女メイティクスだが、それでも戦意を失わずに鋭い眼光でアドレラの余裕に負けない言葉を押し返す。


「なぁに、わっちなどの小賢しさなど御高名な鎧聖女様の威光に比べれば卑しさの極みでありんす。お褒め頂くような事ではありんせんよ」


まるで一方的に攻撃を受けているような黒煙の漂う聖女——吹き荒ぶはずの上空の風が何故だかピタリと止んで、不思議と互いの声が耳を透き通る。


戦いは始まり、そして続いていた。


「まぁ——しかし、お世辞とはいえ褒められるのも嫌な気分にはなりませんなぁ」


「くっ——また‼」


アドレラの蠢く椅子から彼女の合図と共に蛇が数匹と顔を出して口を開く——すれば蛇の口の中から魔力の塊が充填される光景が描かれて、しかしてその矛先——魔力の砲撃が向かうはアドレラと戦うではなく、アドレラの背後で蛇の軍勢と戦いを続ける聖女の配下である


狙っているのは聖女には違いない。

仲間を守る——聖女には違いない。



「ほんに……お忙しそうで頼もしいわぁ、鎧聖女様」


歯を噛むように駆け出し、目の前の敵である己の横を通り過ぎていくメイティクスを尻目に悠然と穏やかな笑みを再びと贈り、言葉とは裏腹——なんの遠慮も無しに背後の蛇に熱光線を放射させるアドレラである。


「くっ——‼」


そしてメイティクスが放射された熱光線から背後の飛空船団を守るべく白き巨大な大剣を猛烈な速度で弾く姿を他所に、座す蛇の群れで構築された椅子から更なる蛇を繰り出してメイティクスの動きを牽制させながら自らの位置を先程の距離感で移動させるのだ。


「お仲間の皆さんも、きっと——姿を見て惚れ直しておる所でしょうねぇ。表になられて羨まし限りやわ」


パンと弾けるように開かれるアドレラの扇子、天晴あっぱれと此度の晴天を祝う様は晴れやかではあったが、その実と嫌味たらしい朗らかな口振りは曇天の如く相対するものを曇らせる。


仲間を盾にされて本来の力を出せないメイティクス、その鎧の内にある膨大な膂力りょりょくも狡猾なアドレラの立ち回りによって地味な防御を強いられ続けていた。


「ふぅ……アナタ程の実力なら、このようなを使わずとも立ち回れると思うのですが」


「クス……何を仰いますやら——相手の得意を邪魔するのが戦術という物で御座いましょうや。あんさんらかて、わっちらの得意な森の地の戦いを空から来とるやないの」


それでも——それでもアドレラの狙いは、ジリジリとツアレスト王国軍の最高戦力である鎧聖女の不屈とも言えるを削り取っていく事だけが目的では無いのだろう。


「わっちら——それに文句を言うつもりもありんせんが、もし文句を言いましたなら地に降りて、素直にわっちらのえさになってくれるんでありんしょうか?」


 「……」


だからこそ彼女は見え透いて困りげにうそぶく。怪訝な眼差しで大剣を構え直すメイティクスもには気付いているようで、しかし遮蔽しゃへいの存在しない上空で現状を打破する方策は早々には思い付かない様子でもある。


常にメイティクスの視界に戦う仲間たちが入るような立ち位置を維持するアドレラの狡猾こうかつ、決して実力の底を魅せぬように振る舞い、戦うでもなくもてあそぶように立ち回ってくる。


やり辛い相手であった。

加えて、隠しては居ても——その隠し方ゆえに滲む強者の風格が匂えば尚更に。



「ふふ、そや——もし、あの空飛ぶ船もろとも引き返して地上から出直すんでしたら、一対一……お望み通り、あんさんの得意な状況で戦って差しあげても構いませんで?」



「——それは、の話でしょう」


奥の手——いやさ右の手すらも未だ使わぬ底知れなさに、苦戦の予感は増々と固く。妖艶にしゃんなりと世を謳歌するような妖女——アドレラの甘言に一層と気を引き締めるメイティクス。


すれば些か、ののしるように退屈な顔を滲ませるアドレラ。



「流石やね……もう少し遊べそなのは喜ばしい事やけども」


その時——深く吸った息を盛大に重く吐いたメイティクスの呼吸音が響く。



「……出来れば、これ以上はこの体を酷使するべきでは無いのですが。しかし負ける事などでしょうから」



するとジワリジワリと、まるで窮屈きゅうくつに絞められたかせを外し——血流が流れて始めていくが如く、魔力というよりは生気——そのような、森の大樹が観る者を圧倒するような気配がメイティクスの身体から込み上げてくるのだ。



「はて、なんや匂いますなぁ……その言い回しは怖いわ。やっぱり重い腰を上げて御相手せなあきませんか。来るべき時に向けて……邪魔になりそうなもんは確実に排除しておきませんと流石に母様ははさまに怒られてしまいそうやし」


戦いは新たな局面へ、或いは次なる遊びへ。そう予見し、薄ら嗤うアドレラもまた——ここまで隠していた邪悪な悪意、残虐な死を予感させる禍々しい気配を解き放ち、背後で蠢く蛇の椅子を殊更に荒立たせて。


「そろそろと、わっちも真面目に——そぞろと征きますかいな‼」


うねる無数の蛇が、幾つもの魔力の凝縮された球体を咥え蠢き、アドレラはユラリと椅子から立ち上が——ると同時に、これまでの彼女からは想像もできない速度でその場から消え失せるように動き出す。

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