第132話 知の毒。4/4


だからこそ、彼女は笑ったのだろう。


「——ふふ、ふふふ……なるほど。いや、君を笑ってる訳じゃないよ。驚くね、驚くさ……僕がした提案と君の提案、似て非ながら同じ重さという訳だ。僕に、母さんを裏切れだって? ふふ……」


特段と、デュエラの言動が可笑しいと笑ったわけでは無いと宣った。俯いたままに前髪を片手で掻き上げながら、深い溜息を溢して腰に手を当てるウルルカ。



「イミト。イミト。イミト。君に、を吹き込んだのも、その彼なのかな? こういう状況が、こういうやり方が起こると予想して、君に?」


悩ましげでありながら、何かが心の内で吹っ切れたように清々しく目の前に立つデュエラから薫るような男の存在名を心に刻むが如く何度となく呟き、彼の者のを——を確かめるが如くほがらかに問う。



「はい……オマエサマの言葉が嘘かどうかは知りませんが、オマエサマの言葉のを言われた時に言い返すようにと」



ウルルカは笑っていた。優しげにデュエラに向けて快活に笑って魅せていた。


「ふふ……酷いね、酷いさ。こんなに驚いた事は無い……そうだろ? そう思わないかな? まさかここまで——を、ここまで僕ができるだなんて」


「——‼」


笑える程に、己で笑ってしまえる程に、憎しみに満ちていたのだ。

彼女いわく——大切な妹を毒した間男を想像だけで嫌悪している。その証左にと脱力していたはずのウルルカの身から突如と膨れ上がる魔力の圧力だけで、まだ溶けるはずの無い地表の積雪が一瞬にして水へと戻り、八つ当たりのように世界を途方もなく威圧した。


震え上がったのは世界か、或いはデュエラの鋭き獣の勘。


「ああ……イミト。生きていて欲しいな、確か……あの魔王と戦っているんだっけ? 気配なんて、とっくの昔に感じれなくなっているけど」


しかしだからこそ嘘は無かったのだろう、心から。狡猾な企みを潜ませた甘言ではなく、これまでの言動は紛れもない真実と言って差し支えないのかもしれない。


だが、果たしてその事をデュエラが気付いたか否かは不透明。


「イミト様は生きているで御座いますよ。そして魔王も、マザーも倒して……よりももっと先——もっと広い世界に進むので御座います、です‼」


もはや今はそれ所ではなく、無意識に鳥肌が立つウルルカの威圧に、再びの戦闘の再開を予見して拳を構え直すデュエラ。頬に垂れる一筋の冷や汗も直ぐ様と吹き飛んだような面持ち。



「進めやしないさ。僕がから」


だがそんな警戒も一切と気に留めぬまま、尚もデュエラには穏やかな笑みを溢して前に踏みしめた一歩は、音など聞こえない筈にも関わらず下腹に響くような重い印象を世に刻む。


憎かった、憎かった。


「——分かったよ、デュエラ。君の意志が硬い事は……僕らを恨む事は無理もない話さ」


「でもね、君は騙されている。確かに母さんを裏切れない僕が言えた義理じゃないけど、君は悪い男に騙されてる」


目の前の純真な少女を、大切に磨いてきた宝石を、汚らわしい毒でけがされている。


「君を守るというのなら、彼は君をこの森に連れてくるべきじゃなかった。利用されてるだけだ、母さんを倒すなんて無謀な目的の為に、利用されているだけ。この森に居た時と、君の状況は何も変わってはいない」


ウルルカには許せなかった。彼女の視点では、まるで少女の身体に傀儡くぐつの糸が絡み付き、己とデュエラを掌で踊らせてほくそ笑む醜悪な悪魔が悠々自適に暮らしているようで。


「それに……もしも僕が君の、君たちの提案を飲んで母さんを裏切ったとして……君は許せるのかな。あの女……君のハハサマを殺した憎らしい僕らを、君を追いかけ回して遊んでいた憎らしい僕らを殺さないという選択を」


酷く少女にこびりついてしまった汚れは、直接と拭わなければならない——そのような覚悟が、定められた強い意志が密やかに表情に滲み、ウルルカの飄々とした肢体は圧倒的な存在感でデュエラへと差し迫っていく。


本来ならば逃げて居ても可笑しくは無い状況。

だが、それでも圧倒的に格上であろう存在を前に少女は退かないのだろう。


「……ハハサマはとワタクシサマに言いました。復讐なんて望んでないとイミト様は仰るのです。やりたいならやれとも仰いますが」


「……」


改めてと地をにじり踏むデュエラは、更に心の中で覚悟を整えていた。

問われた憎しみの行方に対し、様々な感情を握る拳へと伝わせながら回顧していた。



「ワタクシサマは確かにオマエサマガタが嫌いですよ。今すぐにでも殺したいとも思うのです。でも——」


「そんな面白くないものより——今はワタクシサマ達とお喋りをしながら、イミト様の作ってくれるの方が楽しみで御座いますので‼」


「……チャワン、ムシ?」


やがてウルルカの威圧に負けじと少女の身から放出する魔力、威圧。押し退け合うように対峙する互いの圧倒は、それだけで周囲の森を揺らし木の葉に悲鳴を上げさせて。



「利用しているのはなのです……から、初めて出会ったから——だからワタクシサマは、色々な楽しいを教えて下さる、色々な嬉しい物を与えて下さるイミト様やクレア様がので御座います、です‼」


そのような状況下で、少女は憎しみを捨てる事を選んでいた。肩に残っている彼の者の感触は誇らしく、少女に前への一歩を踏み出させる。


威圧のみで見れば、ウルルカとデュエラは拮抗きっこうしていた。その勢いを支えるのは憎悪ではなく感謝だとデュエラは宣うのだ。



「たとえ騙されているとしても、利用されているとしても——騙される相手、利用される相手はワタクシサマが選ぶ。それが今、ワタクシサマが此処に居る答えなのですよ、ウルルカ‼」


その妄信を、人は——愛と呼ぶのだろうか。

或いは——滑稽な毒と述べるのだろうか。


ただ毒もまた薬になりえると——悪魔は知る。


さて——この戦いの行方、用量用法は如何ばかり。

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