第126話 死すべき怪物。1/4


駆けていた。有無を言わさず駆けていた。


「ゴメンなさいなのですますカトレア様、無理矢理……服も汚してしまって」


鉄に付くさびのような体に付着する泥の鎧を猛風に成る棒立ちの空気が剥がし取っていくが如く駆けていた。肩に担いだ仮面の騎士に声を掛けながら、デュエラの表情は悩み抜いた末の苦汁に満ちている。


「い、いえ‼ 助かります、それより先程のは本当にイミト殿なのですか⁉」


「はい、たぶん‼ あの戦いの近くには絶対に居ては駄目なのですよ、何があっても絶対なのですよ‼」


何よりもあせっていたのだ。早く離れなければ、故郷である森の地を慣れた様子で駆けながら、木々を避けつつ人目を避けるように逃げ出す。感慨かんがい郷愁きょうしゅうなどは無く、ただ——背後に迫りくる不吉なを恐れていた。


そんな折、漆黒の仮面の騎士の耳に彼女の仲間の声が響く。


『状況の説明を。何が起きた、生きてる?』


遠方で距離を取りながら敵の対処に努めていた魔女セティスは、女騎士カトレアが立っていた戦場で起きた急展開に思慮が追い付かずに普段通りの平常な声色ながらに不安を口にして。


「止めて下さいデュエラ殿——セティス殿、私とデュエラ殿は無事です。イミト殿が敵と共に戻って来まして現在交戦中、デュエラ殿の判断により一時撤退——バジリスクの追撃は不明、です」


そんな不安げな言い回しに慌ただしい状況の中でセティスへの報告を失念していた事を思い出したカトレア。未だに走り続けるデュエラの肩を軽く叩き注意を引いて足を止めさせ、デュエラの肩から降りてから改めてと現在の状況を己ででセティスへと告げる。


だが実態として、その場に居た彼女自身も何が起きたのか、事実は揺るがない。


『——了解。一度、すべきと思う……閃光玉を空に、その位置から急いで西か東に移動、判断は任せる』


あまりに急激な状況の変化に思考思慮が追い付かないのはカトレアとて同じで、ゆえにそれを察したセティスが今後の様々な状況に備えるべく体勢を立て直そうと提案するのも自然の流れであったのだろう。


「では西に。イミト殿のが放たれた方角だと思われます」


 『分かった、気を付けて』


そのセティスの提案にはカトレアも同意し、阿吽あうんの呼吸で言葉の意味も掴み取る。未だ吹き荒ぶ森の風は、まるで何処に逃げても戦いに巻き込まれると泣き叫ぶようだった。


「デュエラ殿、一度セティス殿と合流します。を空に投げて頂きますか——そこから西に移動です。も付けてください」


「はい、なのです……」


森の何処いずこからでも木霊こだまする獣の咆哮やうめき、命の慟哭、明滅。こまやかな隙間のような森の静寂の中で足を止めて一息を吐いたデュエラの、カトレアが送った指示への返事は何処かうわの空。


「——……何か他に気掛かりな事が?」


彼女が見つめているのは、たった今しがたまで走ってきた方角で。新調されたゴーグルの裏で不安げに過去を満つような少女のうれいに、女騎士カトレアは彼女に投げてもらおうと思っていた道具を自らの手で投げ、森の頭上に閃光を放たせた後に遠回しに気遣って少女の思う所を曖昧あいまいに問う。



気掛かりとなっているものが、仲間の魔人が放つであるという事は。


「あ、すみません。ワタクシサマが——」


「話は移動しながらで。バジリスクも、他の魔物にも此処の場所が悟られますから」


「は、はい……」


けれど分かっていたとして、己にも何も出来ぬ事は明白で——だからこそ話を聞く事だけでもと女騎士カトレアはにぶるデュエラの思考に寄り添うように肩に触れ、優しく背を押すのみ。


「……周辺に魔物の気配は感じますか。私より、デュエラ殿の方が魔力感知は優れているでしょうし」


そうして戦場の只中、止まる訳にも行かずに再びと並んで走り出す二人。

茂みも多い道のりではあるが、既に獣が激しく争った形跡で多少は歩き易い事だけが心を僅かに休ませていて。


「——申し訳ないのですます。それが、今はイミト様ので、他の魔物の気配がおおわれて良く分からないのですよ」


「それは——大き過ぎて感知できないという事なのでしょうか? 私は何も……彼の気配の感じられないのですが……セティス殿はイミト殿の魔力を感知できますか?」


だからこそ、心休まらぬ会話を平穏に交わす事が出来たに違いない。耳の裏に掛けた道具と指輪をデュエラが付けているのを横目に、カトレアも己が身に付けている装備を整えつつ腰に戻した剣の鞘心地に確かめる。


。恐らく魔王と戦っているのは魔王の魔力で感じてるけど……少なくとも、デュエラの言っている気配はで無いと推測』


「ワタクシサマも良くは分からないのですよ。ただ、今のイミト様の戦いに巻き込まれたら……誰も、きっと誰ものです、ます」


「『……』」


けれど同時並行する世界で時が止まる事もなく、尚も何処ぞで続く戦いの余波が風に乗って運ばれる時、会話に参加する三人の中で最も単体としての強さにひいでた少女の一言には余りにも重い真実がこもっていた。


彼自身が望まぬ結末が訪れかねない——己の弱さ不甲斐なさを痛烈に突き付けられた少女の様子も、少女の語る言葉の信憑性しんぴょうせいを殊更に際立たせている。


逃げる他は無かったのだ。異様な気配なき気配を帯びる魔人を目撃し、見物の暇も無く一目散に逃げる他は無かった。


たとえ逃げた先が——


『——待って二人とも。今すぐに動きを止めて』


 「? どうかしましたか……敵に何か動きが?」


『恐らく数秒も経たない内にに入る。私も近い、見つけた』


彼女たちの、己らの命を容易く脅かしかねないであったとしても。


セティスの忠告に多少なり地を削る勢いで急停止したデュエラとカトレア、そしてそこに森を空飛ぶ箒で突き抜けたセティスも合流し、彼女らは三人——足並みを整える。


「セティス殿、良かった……直ぐに合流できましたか」


「潜伏移動しながら現状の確認、今後の行動方針の擦り合わせ。二人とも、を」


だが、合流も束の間——合流の為に使われた閃光が集めたのは、彼女らの杞憂していた通り、仲間だけでは無かったのだろう。


潜伏に用いる為の黒きマントを人数分セティスがふところから取り出した頃合い、天候は相も変わらずの呑気な晴れ——


されど通り雨が降りしきるように——


「……ええ。とにかく今は、状況の把握が最優先——⁉」


彼女らの頭上に蛇が数匹、唐突に降り注がれる。

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