第125話 価値の亡き原石。3/4

***


 世界の片隅で何が起きているかを知れる程に人の視野は広くはないが、そのを感じ取れる者はほど存在している。


「——イミト殿のが消えた。これが彼の言っていた……っ‼」


事前に異様が起こると示唆されていた女騎士カトレアもその一人、背後に飛び退いたような姿勢でかがみ、彼女は振り向かぬままに遠方で生じた異変を肌で感じた様子で冷や汗を一筋と流す。


『そんなを叩いてる余裕は無い』


しかし見据える方向を変えるほどの余裕は、彼女の耳に装着されている道具から聞こえてくる魔女の声に言われずとも無いに等しく——火の粉移り燃える森の木々の明滅の中でウネリ立つ蛇の情景に彼女が身に着ける漆黒の仮面の裏からの汗は増すばかり。


「分かっていますが、やはり見た目は少女でもバジリスク——凡人の私では、そう容易くは行きませんよ」


 「うぅうう……姉様の後を追ってデュエラを捕まえたいのに‼」


ねたはずの首が言葉を語るのはとは言えど、斬った傷口から細胞が伸びて長き蛇のうろこうごめくのは初めて見る。


倒れていた少女の肢体が蛇のヌイグルミを抱きしめながらも起き上がり、落ちた頭部を首から伸びた蛇の身体が巻き付き拾いて首をつなぐ——まさしくと異形、人ならざる者。


『初撃の対象を見誤ったのが痛かった。イミトでもないから気付かない方が当たり前だけど』


「ええ、まさかでしょう——持っているのが年相応に見えるお気に入りのこそが彼女の本体などと。までどれくらいの時間が?」


手汗で滑らぬようにと一応と剣を握っていた掌を服に擦り付けて拭い、改めてと剣の柄を握り直す。


『移動もある。は欲しい所、出来る限り急ぐけど彼女ので剣がにぶらない事を祈る』


「……訂正を。で言うなら、を最早、人と呼ぶのが失礼に思えてきました」


その最中、魔女の仲間と道具越しの会話を済ませている合間に敵の変容も増々と進み、少女の顔に蛇の首が長くつらなり、更には蛇の首が伸びる少女の肢体——背中から幾つものも伸び生えて、カトレアと共に少女を襲っていた骸骨兵士たちを捕らえて砕く。


「——残りは一人と遠くで隠れてる卑怯者、メンドウクサイなぁ……もう」


炎を纏う蛇が暴れ、地に堕ちた木の葉伝いに燃え広がり始めた森、少女を警戒するカトレアを横目に未だに姿を見せぬ敵の仲間の幾重を気にする少女のまなこは、まさしくと蛇そのものの鋭い瞳孔をしていて。


「ふぅ……手数が違う。私が鍛錬がてらに手合わせした時は、一体でもかなり手こずったのですが……傀儡師くぐつしが居たからと言い聞かせておく事にします」


蛇の鱗鱗うろこうろこしい複数の尾を宙で舌の如く蛇行させながらウンザリとした様子の少女の不機嫌は如何ばかりであろうか。間合いから少し離れた距離とはいえ、感じ取れる威圧感によってカトレアの剣は微動だに出来ずに居た。


だが、恐怖におののいてる暇など無い。


「私の名はカトレア・バーニディッシュ。名前を聞かせて貰えますか、バジリスクの少女」


故に女騎士カトレアは己をふるい立たせるべく、竜の頭を模った柄が装われる剣を足下の地に突き立て、誇らしく想う己の名を敢えて口にして己が何者かを己自身に投げ掛ける。


対峙する敵である怪物少女の名——エルメラの名を訊ければ尚に良し。


「うざ。家畜の名前は番号だけでいいし、壊す予定の玩具に私がちゃんと名前を付けてあげる……そんなカビ臭い手垢が付いた汚い名前は要らない」


当然と、返答が返ってくる事は無い。明らかに心ここに非ずとカトレアを集る蠅に向けるものに等しい眼差しで一瞥するエルメラにとって、カトレアの声など鬱陶しい蠢き程度にしか扱っていない事は明白なのだから。


だからこそ、整うのだ。


「——なるほど。では、この剣の名だけは覚えておくといい……我らが一族の誇り、バーニディッシュ家の宝剣、水竜の剣」


礼儀を弁えぬ、矜持を汲まぬ、己の我欲のみに生きる他に敬意なきケダモノ。たとえ少女の顔、幼き顔を身に付けていても、此度の戦地であるジャダの滝を永きに渡って支配するバジリスク八姉妹が七女——カトレアよりも永き時を生きている。


戦火が殊更に燃え広がる事も相まって、カトレアの覚悟は決まった。


「溶かしたら、ただの液体。持ち主が居ないと鉄の塊」


「「「「シャラララぁぁぁぁあ‼」」」」


敵——握る剣の先にまで酸素を巡らすように深く吸った息、使用済みの息を同じくユルリと吐く。途中で燃える鱗とは相反して冷徹な瞳を突き返したエルメラの言葉や、燃える森の火炎の中か飛び出る大蛇の群れが襲い掛かって来ても、


彼女は揺るがない。


「——残念です。【水竜陣ノエルディグラ‼】」


 「——‼」


彼女もまた、エルメラが異形な変貌を遂げている間の時を決して無為むいに過ごしていた訳では無かった。


あやうきにそなえ、彼女が持つ剣を経由して地に流されていた魔力は彼女の周囲にを生み出し、飛び掛かってきた大蛇の群れを水圧で弾き返すに至る。


——そして水を受けた蛇は、見る見ると濃硫酸でも掛けられたかの如く地に堕ちて黒い蒸気を放ちながら溶け消え去っていく。


そのを生み出した剣は特別な物であったのだ。



「この剣から放出される水の魔素はを極め、悪しき魔素を洗い流す退の剣……許可なく使う事は忍びありませんが致し方なし——」


以前、魔人イミトが立ち寄った街でのささやかな策謀策略のに奪い去ったバーニディッシュ家の。それが今、バーニディッシュの名を持つあるじを得て陽光を浴びる湖畔こはんの如く燦爛さんらんと輝きを放って——その本来の力をあらわにしようとしている。


そして——


「だったら全部、汚し直せばいいだけ【炎蛇霧エルデュラ・ポギュリ‼】」


 「そして——‼」


そのような玩具にはひるまぬと、頬を膨らませて多量の火炎を噴き出したエルメラに向け、が戦いを始めて何処ぞへとに足下に落としていたを蹴り上げる女騎士カトレアである。


「——⁉ 、黒い武器っ‼」


です」


それは、料理が趣味のイミトを悩ませたの特性を持つ——デュラハンの物体創造の力を用いて作られた忌々いまいましい武器。


エルメラの噴き出した火炎をものともせずに突き進み、エルメラの視界に飛び込むそれらの武器に、エルメラは己が誇る炎に溶けぬ武器に驚き、思わずと咄嗟の防御姿勢。


しかし武器が持つ凶悪さはの事——フワリと、た。


「——黒霧くろぎり⁉ 煙幕えんまくっ」


生物が持つ当たり前の生存本能を嘲笑あざわらうが如く、刺々とげとげしい武器の形は突如として蒸発し、秘められていた魔力は視界を隠す目暗ましと変り果て——自らが放った火炎と御道化おどけた黒煙にて狙い通りにカトレアの姿は見失われて。


「まったく小狡こずるい男です、そして——恐ろしい程にだ。が信用ならないのはその通りとして‼」


水音みずおと、何処から——感知が邪魔され‼ なら——全部、だけ‼ ……」


なれば頼れるのは聴覚のみ——カトレアの声と、恐らく水の上をすべる移動術で炎を避けた為に聞こえる水流の調しらべの身で状況を掴む他は無い。


その対処として姿を見失ったカトレアを探しながらも蛇の少女エルメラが行き着く手段もまた、周囲の一切を吹き飛ばし燃やし尽くすだったのだろう。



だが、定石と言えば定石——定石であるがゆえに、


が身の為です【夢泡沫エルノルン】』


 「がぼっ⁉」


盛大に範囲を焼き滅ぼす為に吐く息を、呼吸という過程をて盛大に吸い集めねばならなかった——そのを引き出す事こそがカトレアの真のに違いなく。


息を吸う為に動かした筋肉が意図せずにしまったものこそ、先ほどカトレアが噴き上げさせ、そして今も生み出され霧散むさんされ続けているのだろう


呼吸のつもりが水を飲む——どれ程にそれが驚きべき事で、どれ程の苦痛や衝撃であろうか——例え少量であったとしても相応な物に相違なく、エルメラの空気を集めた全ての呼吸口が水に覆われ平常は一転、突如として水中に酸欠状態で沈められたが如き事態。


エルメラが思わずと呼吸困難な状況を取り除こうと手放しでもだえてしまうのも無理からぬ事で。


「アナタたちの大まかな能力情報はデュエラ殿から聞いている。次は外さない」


 「——っ‼」


その隙こそ——カトレアの身が纏う水流の勢いが黒煙、エルメラの視界を晴らしながら現れ、彼女が掲げる剣をきらめかせて。


すると咄嗟に、すかさずとエルメラは守る他は無い、背後から伸びる幾つもの蛇の尾を収縮させ——或いは少女らしく抱きかかえていた大事な、大事なを。


守ろうとしたのだ、他の何に変えてでも。


故に——と、


「と言えば……そこを守るが道理‼」


掲げ振り下ろそうとしていた剣の軌道を変えて、突進の勢いそのまま水上をすべり、体勢を急速変化させるカトレアは防御に徹するエルメラの脇を通り抜けざまに、まずは


柔軟な蛇の肉が圧縮され、硬度が高いのだろう鱗もあって剣の刃がエルメラの身を裂く事こそ無かったが、それでも諦めるか否かを迷う間もなく背後に回り——幾つもの蛇の尾が生える付け根部分に


「っ⁉ ぷあはっ、ごのっ——っ‼」


そしてエルメラが嘔吐おうとの如く口を塞ぐ水を吐き捨てる行為を手伝うべく、二撃目を振った勢いでその場に回転しながら、振り向こうとするエルメラの背中にを痛烈に喰らわせて自身もその反動で宙をたてに舞う。


「【水派ノール氷地滑ロヒューラルり】」


 「~~~っ‼ イライラする‼」


だが尚と、は止まらなかった。


蹴り飛ばされながらも幾つかの蛇の尾をたくみに操り倒れ伏す間際で態勢を取り戻したエルメラからの反撃を、まさしく掴み所の無い水流の如くかわしつつ距離を取ったカトレアは、更に——まるで天も地も無いかの如く水流に身を任せて後転を繰り返す。



癇癪かんしゃくを起こすのは淑女として勧められません、がっ‼【水派ノール流月狼イルリディガス‼】」


その一連の動きから放たれる水の刃は獣の爪、剣のように鋭い


 元ツアレスト王国——王位継承権第四位マリルティアンジュ・ブリタエール・ツアレストの護衛兵長——カトレア・バーニディッシュ。


彼女は多くの人民と広い国土を誇るツアレスト王国の中にあって、常軌じょうきを逸した者たちに名声こそ埋もれ、たとえ彼女自身が己を卑下ひげして居ても尚、であり紛れもないである。


——、


『燃えちまえよ‼【炎蛇霧エルデュラ・ポギュリ‼】』


それはで比べれば、という話に変わりは無い。

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