第118話 月は何事も無いように。3/4

——。


されど月は、何事も知らぬ存ぜぬと素知らぬ顔で輝いていた。



「メイティクス様、アディ様より連絡が。定時報告と思われます」


絹地のカーテンが捲られて窓から月光の差し込む古城のような石造りの暗がりの一室で、メイド服を着た老齢の淑女は部屋の奧の人物に対し、静やかに頭を下げて部屋に押し入った用件を告げる。


「……繋いで下さい」


すれば夜のこんと月光を吸い取りて薄青を帯びる銀の髪色が揺れて、美しく生命が流れるような長髪は穏やかに踊って。しかして些かと武骨な金属音が部屋に響いた。


老齢の手慣れた様子のメイドに振り返る女性の顔は、クレアと並ぶ程に美しく整った聡明さと穏やかさを想わせ、白金しろがねよろいは首のまで荘厳にきらめく。



『——メイティクス団長、お休みの所に申し訳ありません。アディ・クライドです、現状でバルピスで行っている作戦の進捗しんちょくの報告をするべく連絡させて頂きました』


老齢の御付きのメイドより手渡された魔石から零れ始める青年の声、白金の鎧を纏う絵画に描かれる聖女の如きメイティクスと呼ばれた女性は月明かりに染められる部屋の中を歩き、やがて青年と会話をすべく椅子に座った。



「苦労を掛けます……アナタの元気な声が聞けるだけで私の心は休まりますよ、アディ。早速、現状の報告を」


そうして始まる静やかな会話は、とても夜の暗がり雰囲気に似ていて、或いは夜の静寂や平穏を崩さぬように気を遣っているらしい。しかしながらとガシャリと泣いた鎧甲冑よろいかっちゅうの関節の音は、彼女のソレとは反し、別人格があるように無遠慮でもあって。



『……はい。バルピスでの空間転移術式の構築は順調です。想定より道中の魔物の数が多いですが資材の運搬も滞りは有りませんので、作戦実行の日時に変更は必要ないものかと』


「そうですか……兵に怪我などありませんか?」


されども古城の如き石畳いしだたみの部屋、御付きのメイドが佇む部屋の出入り口から零れる魔石の灯りと老齢のメイドが魔石と鎧の女性との会話に聞き耳を立てながらに灯す蝋燭ろうそくあかりに、武骨な鎧甲冑の不自然さは無く、



『私も含めて怪我人も出ておりません。ただ……ラフィスさんの件ですが』


「——その後の経緯は? 彼は何か話しましたか?」


「……」


そして何より部屋の主であろうメイティクスに対し、御付きのメイドであろう老齢の女性の眼差しは余りに白々しく彼女たちを見ていた。


『申し訳ありません、ラフィスさんは何者かの協力を得て逃走——発覚後にバルピスの衛兵の協力も得て街中を捜索しましたが未だ発見は出来ず……私が目を離した隙に——』


「——アディ……ならば逃げられたのも仕方ない事です。あまり責任を感じずに作戦に集中を——ですが、やはりラフィスが抜けたとあらば戦力に大きな穴が……聖騎士がアナタ一人では負担も大きく、今回の騒動で他の者の士気にも影響があるでしょう。やはり今回の作戦は——」


そんな只中にあって尚、老齢のメイドへと切なげな一瞥いちべつをくれたメイティクスは魔石越しで己の不甲斐なさを心から責めるような青年アディを細やかに慰めつつ、不安を吐露し続ける。


だが、青年アディはそんな困り眉に困るメイティクスに爽やかに言葉を返した。


『駄目です。それでは今度はアナタへの負担が大きくなる……今回の作戦は基より賭けと言われていた、しかし私も——他の兵たちもそうは思っていない』


『兵の皆に問いました。準備の隙を見ながら語り合った——怖い者、命が惜しい者は残って良いと。怯えを抱く事は恥でなく、己の命を守る事もまた守る事——誇るべき事だと』


「……兵の皆は、なんと?」


『まだ我らの命を恐れなく守る者がも居ると。だから我らは恐れなく民を守れるのだと。皆が僕とアナタを信じてくれている』


「……」


恐らくと揺るぎなく——魔石越しの彼の顔は精悍せいかんで、自信に満ち溢れ、きっと微笑んでいるのだろう。そう確かに思える程に透き通り、心に届く。


或いは——刺さると言っても過言で無いに違いない。



『彼らの言う通り、背中を押してくれる全ての兵の命を守るは団長の役目、その団長の背中を守るのが副団長である僕の使命だ』


魔石越しとは言えど溢れんばかりに感じる輝きにくすむ己を卑下するような表情を浮かべるメイティクス。罪の意識か、それとも未来への悲観——そのような面持ちが伏し目がちになるメイティクスの表情に浮かぶ。


『それに今が好機なのは間違いないです。ラフィスさんが居なくなり……リオネル聖教内部で何かの陰謀が渦巻く中にあって、——僕らの背を押す勢力も存在してくれている』


しかして魔石越しの声だけの通話に、そのかげりある表情までを読み取れる事は無い。それでも声色を嬉々として僅かばかり口調に元気のないメイティクスを励まそうかと、朗報を告げるが如く言葉を並べゆくアディである。


「……先に報告されていた。そしてアナタが、ミュールズで出会ったというイミト・デュラニウスですか」


知らぬ事、知らずとも良い事——彼女は聖母の如き面立ちで笑む。自らが辿るであろう未来を予期し、予期するが故に未来ある若者の健やかな生を祈るように。



『はい。些かと手段は荒いですが、理由わけもなく力を振るう方々では無いと僕は見ています。実力は少数ながら間違いなく、少なくともイミト殿は僕と同等か、それ以上の力を持っている。そんな彼の仲間からの情報では、理由は分かりませんが彼もまたバジリスクのマザーの首を狙っているとの事です』


『コチラの動きも把握しているようで、恐らく自身の都合も加味して襲撃の時期を合わせてくれるものかと』


——イミト・デュラニウスはの名である。


もはや悟りを開いているようであった。迫りくる死期をさとりて、未だ名でしか見えぬ男の足音を胸の内で聴く。さもすれば、それを彼の口から響かさせられる事そのものが己が犯した罪に対する明確な罰だと思う程に。


「——そうですね……きっと、来てくれると私も思います。きっと頼りになる方、なのでしょう」


「……」


されどもやはりと平静——心、波打つ事も無い。当たり前の事なのだと、当然の報いなのだとひと踊りもしない心臓の心拍数は今宵の月のように素知らぬ顔を魅せしめて。


むしろ不意に胸を撫で下ろす様を見つめる傍らに佇む老齢のメイドの視線を浴びながらも、彼女はそれを心の端で望むが如く優しげに笑み続けている。



『メイティクス様?』


「——いえ、アナタがそこまで評価する方なのですから私も信用したいと、そういう話です」


だからこそ、


『「……」』


だからこそ——彼女は彼に語らないのかもしれない。無論と、監視の目が傍らにあろうとそれは彼女にとって本来であれば僅かばかりの取るに足らぬ足枷でしか無いのだろうから。



『と、所で——今晩は月が綺麗ですね。バスティゴの空も、晴れているのでしょうか』


「晴れていますよ。戦況が膠着しているのは変わりませんが、今は私も少し休める程度の時間を頂けています」


開かれたカーテンの窓越しの空に月は満面と輝き、素知らぬ顔をしていた。まだまだ己には時があると、希望があると語らうように。おぞましく、輝いている。



『……すみません、私などの為に貴重な休息をいて頂いて。私からの報告も終わりましたので、ゆっくり休める内に休んで頂いて』


「——アディ。もうすぐ月光華が花を咲かせそうです……見頃の内に、アナタにも見て欲しい」


それでも窓の端に置かれた鉢植えに伸びた植物は、確かに小さなつぼみを付けていた。まだ咲かないと一目で分かる程の小さな蕾——もう少し、時はあるのだろうかと惜しむメイティクスの儚げな笑みもまた真実ではあるのだろう。



『それは——楽しみです。とても貴重で咲いてから二日しか花が持たないと、以前メイティクス様から教えて頂いたものですよね』


「ええ。今日は、本当に月が綺麗だから……成長が少し早くなるかも知れません。アナタが来るまでに……散らなければ良いのだけど」


ふと椅子から立ち上がり、同じ月を見るべく歩き——監視のメイドから離れようとする無意識もまた、真実に相違は無い。



だが、時は残酷である。


「メイティクス様、そろそろお時間です」


老齢のメイドは、全てを察しているように酷く平静に彼女の甲冑の背に告げた。


「……分かっています。ごめんなさいアディ——また折を見て連絡をくれると嬉しい」


『はい……必ず、花の見頃に間に合うように。もしかしたら花が咲く前に戻るかもしれません。僕は、速過ぎる男ですから』


儚げに踊る銀髪は、まるで細やかな未練を嗤うが如く。

その様がとても似ている気さえして。



「ふふ、気を付けてね。頼りにしています、アディ・クライド副団長——」


掌の中で灯っていた魔石は、やがてと熱を失い——物寂しげに冷たくなっていくのだろう。口調とは裏腹に、途切れた音に浮かぶ彼女の表情もまた、今宵の空とは似て非なる物憂ものうげ具合。


しかし、敢えての空気読まずの風体で老齢のメイドは折を見て、更に無機質な口を開く。


「……あまり、あやぶませるような行いは避けるべきかと」


「分かっています……ただ、今日は本当に月が綺麗だったから」


メイティクスはそんなメイドに振り返らずに言葉を返す。肩に圧し掛かる脅迫に、優しき掌を添えて、それでも尚——彼女は月を見たがった。



「ねぇ、。もし数日中に、私の身に何かあったなら机の中に父とアディへのを残しておきました。その時は——よろしくね」


開かれていたカーテンを改めてめくって、彼女は広々と悠然な夜空を見上げた。


メイティクス・バーティガルの遠い眼差し、月向こうに見るのは夜のとばりに潜む死の宣告者か——或いは、焦がれる程の光を放つ朝焼けの太陽であるのだろう。

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