第117話 或いは月が喰らっているのか。2/4
「なるほどの……貴殿の言い分や、分からぬではない」
コトリと置かれる
「加えて言うなら、人生はプラスマイナスで最終的にはゼロになる。そんな何処かで聞いた愚痴も俺を不安に駆り立てる訳よ……プラスになるって奴も、マイナスで終わるって奴も居るけどな。アンタはどう思う、ガラルの爺さん」
しかし気がしただけに相違なく、イミトの話は未だ続く。
「ほう……面白い問いではあるな。貴殿に言わせれば天上で
されども、ここまでの一人語りの様相が一転して相手に語り掛ける疑問調になった所を見れば確かに会話の曲がり道にも思えて。そして焼き魚を食べ終えるまで、もうじきか——酒を飲むガラルの横顔と少し下にある食べ掛けで背骨が露になる姿に目を配り、ふとイミトは何かを思い付いた様子で問いを投げ掛けて早々に立ち上がったのもまた会話の折り目。
「いや、愚痴を聞いてるだけじゃ暇だろうと思ってさ。別に答えは求めてない……どうせ性格の悪さが折り紙付きの俺じゃ、どんな答えだろうと受け入れられないだろうし」
「随分と己を卑下するものじゃ……それに故に、傲慢とは程遠い醜悪で厄介な怪物とも言えるのだろうが」
言葉を返しつつ唐突に動き出したイミトの背をガラルの視線が静やかに追う。彼が向かう先は傍らの厨房、先ほど紅茶を淹れる為の湯を沸かしていた場所。
「……慎重すぎるってのも弱点だ。何事も行き過ぎは良くねぇって話だよな」
「でも考えちまうんだから仕方ねぇ。例えばさ、いつか誰かを……誰かを選んで夫婦になって、男はその内——父親になるのかも知れねぇ」
「……」
僅かにガラルとの距離が離れ、カタカタと徐に始めた作業——湯沸かしの鍋を赤い魔石の炎で再びと
「女は良いよなって表現は凄まじい語弊があるけど、十月十日だっけ? それこそさっき話に出た『受胎』があって長い間の妊娠期間……『実感』があって母親になる」
そこから彼が脳内で並行して厨房の上から取り出したるは小さな黒い箱であった。彼がそのっ黒い箱の上張りを撫でると奇術の如く黒い煙が奇々怪々と天へと昇り、彼は箱の中から暗がりでは良く見えぬ何かを取り出して厨房に置く。
「対する男は、口頭で言われ続ける訳だ。実感もないまま、明日から父親だ——心の準備をしておけ、覚悟をしておけ……さぁ産まれたぞ、お前は父親だ」
そして淡々と、ガラルの視線を背後に浴びつつも包丁を手に取って箱から取り出した何かを小刻みに刻み始めたのだ。月明かりが暗雲に奪われた暗い、暗い夜——怪訝に酒の器を傾けながら尚もイミトの背に釘付けにされるガラルの視線。
「子供を作って幸せな家庭ってのに憧れや興味はある、種を付けといて最低な言い分だってのも理解してる。たださ……これまで恋人だった相手が、急に母親に変わる——突然と恋人だった相手から出てきた赤ん坊、言うなりゃ——よく知らない人間を愛せと言われる」
そうしてる間にも、刻み終えた何かを沸いた鍋に包丁で
「女は腹の中から子供に蹴られたり陣痛やら産みの苦しみで痛みを感じて苦労してるから多少なりとも愛着も湧きやすいんだろうけど、男にはそれが無い——ただ適当に耳障りな洗脳電波を浴びせられてるだけ」
見事という他は無かった。ソレとコレとは話は別と、延々と一人語りをしながらも的確に作業を進めていく様は、まるで機械のようでもあり——まるで残酷な人間のようでもあって。
しかし、ふと次の言葉を放つ時——さしも彼も手を止めて。
「俺ぁ……もしそうなった時、どんな顔をすればいい。お手本になりそうな父親の顔を知らねぇ、人を疑ってばかりの俺に、子供や——変わっていく恋人を愛し続けられるか? 歯を食いしばって困難に向かうヒーロー面で戦い続けられるか?」
タンッと何かを頭上で斬り捨てられたまな板の悲鳴に周囲の空気が些か驚いたような余韻の最中——彼は酷く、酷く切実に遠くの誰かに、遠くの何かに投げ掛けるようにその問いを紡ぐ。
或いはソレは背後で座ったままに彼の背を見つめるガラルでも良かったし、さもすれば心内——魂で繋がる相手でも良かったのかもしれない。
「器が小さい、心が狭い、自己愛、身勝手……好きに
そして地面に突き刺さる木の枝に吊るされた魔石照明の灯りの向こう側の、何も見えぬ未来に似た漆黒——それ故に彼は、やはり諦めたのかもしれない。
「そういうもんを背負わなくていいから……子供を産めない魔物のクレアの事を愛してるって言って自分や他を
再びと手の止まった作業を再開して、否——作業を終えた様子で中身の少なくなっているのだろう黒い水樽を軽々と片手で持ち上げて、半球状の器に水を流し入れながら少量の水での手洗い。
「——……先ほどから、何を作っておいでか」
少し寂しげな背中に、答えを返してくれるものは居ない。彼は諦めていた、話題逸らしの問いをくれたガラルも——或いは魂の繫がりで会話を聞いて居るかもしれない魂の片割れが、何と答えてくれればよいか——どんな答えを欲しているか己にも分からぬ問いに、答えを返しようも無いのだろうと諦めていた。
分かっていたのだ——その問いが、己で、己自身で答えを定めねばならぬ難題である事を、分かっていたのだ。
故に——
「
彼は物寂しげに、穏やかに振り返り、あまりにも優しげな表情で、切なげな面持ちで——やはり、嗤うのだ。
いつものように、出来る事で誤魔化しながらに。
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