第115話 晩秋の如き月色。2/4


***

を向けられた男は今——湿原の湿りを踏みにじり、まるで退屈な映画を眺める観客の如く黒い座椅子に仰向けで寝そべるように雲の薄い夜の、毎夜と新鮮な心持ちで躍る月明かりの夢舞台を嗤っていた。


「アイツら、美味いって言ってくれっかな……久々だから褒められてぇガキみたいにハシャいじまって落ち着かねぇ。少しくせのある味付けの奴もあるし」


遠く背後を振り返らずとも穏やかへと月に微笑みかけるその表情は、まだ恐らくと頂上に至らぬ月ではない何処か別の場所を見ている事は直ぐにでもうかがえる。


まぁ、雲の隙間から何やらと鳥のような生き物が月の前を颯爽さっそうと通り抜ければ自然と目線はその生き物の行く先に向かう集中模様である。



『——そう思うなら早う帰って来ぬか。何故なにゆえに我が貴様の代わりに料理の話などせねばならん』


「素敵な思い出作りの為じゃねぇか? こっちはようやく下準備が終わって作業を始めた所だ、マジで暫くは動けねぇよ」


そして脳裏に響くクレアの指摘や不服申し立てに、さりげに却下と茶化し述べながら彼は傍らで音もなく湯気を放つだけ灰銀色の黒い寸胴鍋へと散り散りな意識を向けて、ついでに座る椅子の肘置きに吊り下げていた余裕綽々と水筒を持ち上げて中身を口に含む。


『何をしておるのだ一体……の完成は近いのか』


「ん。ああ、技の方は取り敢えずの形にはなったし……そもそもでも問題ねぇよ。今やってんのは余った野菜くずと鶏ガラ煮詰めてとこだ。白湯ぱいたんラーメンでも作ろうかと思ってな」


昼過ぎ辺りまではクレアらが野営をする山中の川のほとりに建てられていた黒い厨房は、まるで彼に付き従うように背後に控え、程よく小高い湿原の丘にて彼と共に月見に興じていて。


「それから豆腐だな。こっちも、もう少し時間が経ったら水に浸してた大豆を潰して煮込んで豆乳を搾り取る作業だ」


グツグツと音は響かねど鈍く耳に密やかな鼓動を与えるような感覚に包まれつつクレアの問いに応えて鍋や厨房に異変は無いなとリクライニングな座椅子に背中を改めてと預ける。


『……また貴様は。その程度の事なら別に離れる必要も無かったであろうに』


「馬鹿言えよ、どっちも長時間だし作業中はがするからな。近くでやってたら気になって休めねぇだろアイツらが。密室を創って体に染みついた臭いで嫌われるのもゴメンだしな」


「昔、豚骨スープを家で作ってアパートの大家にどれだけ嫌みを言われた事か……とにかく俺は明日の朝に滝で水浴びでもして素敵に返ってくるからよ。心配すんなって」


そして月の灯りも降り注ぐ丘から見下ろせる湿原の端々で夜の闇に包まれた密やかな自然の営みが僅かに耳を突く中で、魔石ひとつの光源で椅子の肘掛に頬杖を突き辟易と恐れも知らずに脳裏の指摘に、のらりくらりと薄笑いの言葉を返すばかり。


『——はどうなのだ。そちらから何か感じる事はあるか』


『貴様の事だ、旅で疲れて病にも伏せたコヤツらから敵を遠ざける為に単独で敵の注意を惹く役割もになおうとでも考えておるのだろう』


相も変らぬ誤魔化しの幕間——口軽の裏に隠されたさび付きの酷い鉄の扉。そんな彼の胸の内を、幾ら魂で繋がろうとも知る事の出来ないクレアは問い、彼女にとっては今更と然して重要ではなくなった話題を早々に投げ捨てて本題——彼の思惑の内を探る。


「はっ、そりゃ過大評価だろ……そんな御頭は有りゃしねぇったら。まぁ敵さんが来たら新技の一つでも試せるから丁度いいくらいにしか考えてなかったよ」


しかし有耶うや、またしても無耶むやか。或いは話の前置きに、茶化しを入れずにはいられない——いや、さもすればクレアの堅苦しい問いに肩の力を抜いた物言いを並べて。


『それこそ考えておるまい——先ほどのを人如きに使う為に試行した訳では無かろう』


「はは……なんで人間が戦争するか考えた事があるか、クレア」


『——……くだらぬ問答だと、たった今時分に思った所ではあるな。なんぞ答える、強欲ゆえか。或いは世の理に刻まれた勝利の美酒、生の実感、闘争の悦楽か』


やがて彼はうたうのだ。辟易と呆れ返ったクレアの興味を引きながらに生まれた時から何一つ変わらぬような顔をする月の灯りに優しげな瞳を向けて、他愛もない月光ごときでは払えぬ世の陰りを嘲笑いながら。


「そういう理由も無い訳じゃないだろうけどな、一番は面倒だからさ。何時まで経っても平行線のままの会話に飽き飽きして、面倒だから強引に話し合いを決着させる為に戦争は起こるもんだ」


リクライニングの座椅子からおもむろに重い腰を持ち上げて、カサリと足下の雑草を嘆かせる、ゆるりと歩き出しながらの言葉には青年らしからぬ人生の疲労と悲哀が満ち満ちて、煮立ち始めた寸胴鍋の前へと足は赴いた。



「言葉を交わせるだけの中途半端なケダモノ共が、背筋伸ばして憧れの賢者ぶりゃ堅苦しい挨拶で解決出来そうに見えるから話し合って見ても——いずれは気付く。プライドやらなんやら本当に折り合いを付けなきゃならん所が譲れなくて、散り散りになった種火が他に燃え移るようにアレやコレやと、ジリジリと広がって——」


 黒い厨房、赤き炎が灯る幾つもの魔石にあぶられる鍋の傍ら、半端に転がったままに制止した汁物を掬い混ぜる調理器具——柄杓ひしゃくを手に取って彼曰くと鳥の物だという白骨の沈む寸胴鍋の底に眠る何かを引き摺り出すように静かに搔き回し始めて。



「相手が会話の出来ない獣だとののしって黙らせるのが一番早いってな。勝算に少しでも分のある国、集団なら尚更——逆に感情論ばかりで自分の話だけを聞けとばかりの耳なし脳無しな聖人様も尚の事。咲き誇るのは香ばしい薫り漂うテロリズムの華ばかりさ」


立ち昇る蒸気に混じる鳥油のなまめかしい薫り、唇や肌に油の質感が塗着とちゃくするような不快感。それでも尚と淡々と鍋に目線を降ろし続け、彼は鍋の中身を意味深く穏やかに、じっくりと混ぜていく。


煮沸のぷつぷつとした泡立ちは円弧の動きが生み出す渦に飲み込まれ、透明だっただろう水は暗がりの夜にあって、世界からすれば僅かな月光や魔石の光源でも薄く白くにごっていくのが見て取れた。



「結局、詰まる所——野蛮で乱暴な手段ばかりを取りやがる。手段を考える事を放棄する」


「何が言いたいかっていやぁ、俺だって何も言いたか有りゃしねぇが。戦争で人間が作る兵器ってのは、ソレと同じく面倒臭さを排除する為の効率化が施されてるって話だ」


されど、この世界の流れや動きと同様に鍋を掻き混ぜる男は見据えていたのかもしれない。


——イミト・デュラニウスはわらっていた。


「手段は選ぶが、俺は選ぶときゃ——虫けら一匹にだって大量破壊兵器を使う選択肢を外しはしねぇんだよ、いと素晴らしい人間様の俺も——面倒くさいのは嫌いでね」


今も尚と地獄の業火に炙られるような鍋釜の中身が、まだまだ薄く、見識甘く——真の姿や本性を引き出していない、決して白濁とは言えぬ状況である事を知っているかのように。

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