第115話 晩秋の如き月色。3/4


『くだらぬ与太話であったな。まるで威嚇で体を大きく見せる獣のようだ』


「へへ、全く以って。それで——についてだったか……レザリクスの方の動きは感じられないな。監視は続いてるのかも知れねぇが、戦いも近いし向こうさんも慎重になってるんだろ」


夜の闇の向こう——心許ない月明かりが照らす湿原に、鳥の羽ばたきの水飛沫。


一区切りの呼吸の後に語らいを再開したクレアの指摘に、的を射ていると出店の店主の如く彼は薄ら笑いをカクリと溢し、火に炙る鍋の中身を掻き混ぜ続けながら世に昇る月の奮闘を遠目で眺め続ける。



『臆病風に吹かれておるだけであろう。さもすれば、先ほどの貴様の一撃で金玉が縮み上がったやもしれぬ。貴様と同じでな』


何かに突き当たることも無い平坦な湿原地帯からの向かい風に揺れる彼の頭に頂くクレアとお揃いであるとも言える白黒の髪。風に乱れたその髪を、僅かに愛しく額に滲んだ汗ごと掻き上げて彼女の言葉に耳を傾けて。



「あら、素敵な下ネタ。楽観は出来ないし、するつもりも無いけどな」


『それで、レザリクスの方はと言うのは、どのような意味だ。が動いておるのか』


無為の時を心穏やかに過ごしながら、休息を吐いて作業の手を止め、鍋を掻き混ぜていた黒い柄杓ひしゃくを厨房の傍らに戻す。その際に、カンカンと柄杓の端に僅かに溜まった飛沫を叩き落とす音は湿原の何処にまで届いたであろうか。



「ああ。だと、潰した大豆を煮始める頃にはに立ってんじゃねぇかな……気配を隠す気も無いし、むしろ敵意が無い事を伝えてる感じだ。後ろからよ」


『正々堂々と立ち合いを望んでおるのかもしれぬぞ、少し興味があるな。我もおもむくとするか』


そして厨房を照らす魔石の光を黒い半球状の器に沈む水浸しの大豆に向けながら、彼の視線は言葉の中にある存在の気配の方角に首ごと動くに至る——魔石の光に明暗を際立たされ、殊更に深く見える闇の中、まるで逢魔おうまが時の慟哭どうこくが耳を突く。



「ていう方便で、俺の腕の中に納まりたくなったか?」


『そう思いたいなら黙って思っておけ』


しかして魔とは誰が事か。薄い月夜の陰りに浮かぶ妖しき笑いに歩みの音が迫るとなれば、どちらが魔と出逢う迷える子羊と言えるであろうか。



「——いや冗談はさておき、お前はそこで堂々としていてくれねぇか? お前がそこに居るだけで、他の奴等が安心して夜を過ごせるだろうからな……頼みたい」


青年は作業の合間に再びと一休み、鍋をあぶる火の魔石の様子を確かめて黒い火ばさみなどで調整をした後にリクライニングな椅子の場へと戻って雑多に座り直す。クレアからの提案に暫し思いを巡らして、一度は雲に隠れて改めて姿を現す月のいきに晴れ晴れしく言葉を返した。


そこまでにあった意味深き余白、独白どくはく——



『——……良かろう。話し合いをしに来るような虫けら一匹かもしれんからな、戦いの愉悦ゆえつを期待するだけ無駄であろうよ。これまでを鑑みれば尚更』


伝わるのは、些か珍しい真剣みを帯びた真摯しんい。優しげに夜の闇にソレを溶かす様に閉じた瞼の裏でクレアの声は男の身勝手な愚かさに呆れ果てるような色合いを想わせる。


「助かる……アイツら、飯を食べ始めたか?」


そして短き話し合いの行く末——折り合いは着いたと、椅子の肘掛に吊るしてある水筒を手に取り、先ほどの作業で掻いた汗の分の代わりにと中身を飲む。その最中に、沈黙を産まぬように先んじて会話のキャッチボールを交わすべく彼は話し相手に唐突な空気感の問いを投げつけた。


『ようやく手洗いを済ませ、スープを温め終えて具を選んでおる所だ。この手の食事は初めての様子のレネスが滑稽に目を動かしておるわ』



「ああ……そうか。最初の奴は普通に菜食主義者用のサルサ風ソースか、豆とキノコ、カシューナッツを使ったトマト煮込みが良いんじゃねぇか。サルサに使ったピクルスとかはエルフ族の里で手に入れたもんだしな」


遠く、遠く——されども目視せずとも思い浮かぶ光景。黒いテーブルを囲む者たちの目線が動く顔を想像しながらに椅子の背もたれに存分に背中を預けて首を傾け、ダラリと水筒を持ったままの手を肘掛から溢す脱力具合。


『うむ——少し待て。』


「粉にしたチーズ、動物の乳で作ったのが大丈夫ならそれを掛ければ辛味や酸味もまろやかになる。セティスやデュエラには、鳥つくね——普通にチキンステーキでも良いけど、鳥の挽肉に野菜を混ぜ込んで固めてからカリっと焼いた棒みたいな肉を野菜と一緒に挟んで好きな味付けで食べてみてくれと言って欲しい」


それでもつらつらと、つらつらと。


「真っ赤なソースは唐辛子ペーストだ、かなり辛いから気を付けろて言っといてくれ。小さいスプーンの奴は少量、逆に大きいスプーンの奴はメインで生地から端っこくらいしか見えなくなるくらいまで遠慮なく積んでから両側の端を包むように二枚に折って溢しながら豪快に食うのが一番うまいな、少しマナーが悪い気もするけど」



『待てと言っておろうが、説明に面倒な物を作りおって』



「そうだ……味見にトルティーヤを揚げ焼きして固くして食べやすいサイズに割ったトルティーヤチップスが黒い箱の中にあるだろ、それでディップか……軽くスプーンで乗せて味見とかすればいい」


恐らくは彼の代わりに、彼の作り残してきた物についてを彼の言葉が聞こえない他者に伝えているのだろうクレアに対し、彼は空気読まずにせきを切ったように言葉を並べゆく。


『——ちっ、それを早く言わぬか馬鹿者』


「口が一つなら伝え忘れはあるもんさ、独りの夜に寂しくなった時に話しかける話題になるなら尚更な」


やがてその後——不服を唱えつつ、にわかに忙しないクレアを他所に——確かに彼は少し寂しげで、また龍の如き流雲に姿を隠す月が皮肉か、


当たり前の如く影落ちる夜に再び己の作業に戻るべく椅子から身を僅かに乗り出す彼の猫背は、些かと辟易と月光ではない——己が不甲斐なさを責めるような自虐ばかり撥ね返しているようであった。

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