第113話 寒気の走る邪悪。4/4


 今は遠き——レネスの故郷に近い矢継の森に眠る遺跡を守護する役目と一族の長を務め、レネスの姉でもあるリエンシエールが妹伝いもうとづたいにイミト達に伝えようとした事柄は些かと周囲の空気に緊張をもたらした。


「——……き、何処ぞへと消えたと。これはイミトよ……であろうな」


「ああ……このタイミングで、そんな空気の読めない事をする心当たりは思い浮かばねぇ。こっちの方は確定と思って良いだろう。てなると、だな……動きが見えてこないのは」


「もしや何か……に心当たりが?」


ただ、レネスの予想に反して封印されたデュラハンの消息不明についての驚きはそこまででなく——むしろ既にその先や裏を見据えての言動が目立つ。レネスが、その問いを放つのは何も不自然な事ではない。



「貴様らが気にする事では無い、それは恐らく我らの問題だ。我らとは別行動でとりでから戦場に赴く貴様らには然して関係のない事であろうよ」


「それより貴様、今宵は我らと共にれ。夜闇を急いだ所で危険ばかり多かろう、少なくとも乗ってきた馬に休みを与えよ」


明らかに起きた出来事に対して何らかの事情を知っていて、或いは隠している様子が伺える。いや、隠しているというよりは関わらせまいとしているような——そんなふし


「——なんだ、その妙に気を回してる優しさ。また良からぬ事を企んで居そうな気配をビンビンに感じちまうんだが」


「……」


「ビンビンなのは貴様の心に反する下劣な下半身であろう」


「いや、今は微塵も勃ってねぇよ……ったく、レネスさんにセクハラで訴えられちまう。どんだけ興味津々なんだか。真面目な話をしようとしてるってのに」


川のせせらぎ、鳥のいななき、森の木々のざわめきを背に——時折と、レネスには理解出来ぬ言語で語らう二人の怪物は安穏と肩の力を抜いた気怠けだるい雰囲気をまといながらも、レネスには理解出来ぬ言語で話し合うが故に殊更と彼女に不安を与えゆく。


しかし——次に彼らが彼女に理解出来る言葉を発した時、



「……ふん。少なくとも、そこのエルフも貴様に抱かれるのは満更でも無さそうだがな」


「なっ——わ、私は、そのような……状況も状況ですから、あまりに不謹慎かと……その」


いったい何の話をしていたのかと、唐突な指摘に対する戸惑いがあらゆる不安を容易く凌駕りょうがした。不謹慎、確かに不謹慎——突き付けられたクレアの思いも寄らぬ感想と匂わせた話題に幸薄の暗い表情が慌てふためき、目を泳がせながらレネスはそれを否定するべくボヤいて言葉尻をにごらせて。


チラリと見たイミトの顔、真っ向から拒絶するのも彼に対して失礼——傷つけはしまいかと言った優しげな風体、或いは——ここで彼女以外が言葉にするは不粋が過ぎる感情の機微、迷い。


それを知ってか知らずか、さもすれば——コチラもまた男女の機微。


「レネスさんを困らせるなって……それに、今日のアレコレ——本人らがどう思ってるかは置いといても、生理中の二人を差し置いてレネスさんに先に手を出しちまったら機嫌を損ねるだろ、絶対。サークルクラッシャーでもするつもりかよ、お前」


勘違いをしてしまいそうな己をいさめるように頭を悩ましげに抱えて吐いた息ののち、辟易とクレアを窘めるイミトの言葉には余りある徒労の面持ちが滲み、


そして——


「「……」」


「やめてくれ……この空気。とにかく、レネスさんは休んでてくれ。馬にも餌が居るなら、馬車の中に野菜とかあるから馬車に居るデュエラやセティスに頼んで——」


彼の反応をジックリとうかがうような二つの面立ちには針の如く心を掻きむしる威圧を感じる。


——憔悴しかけていた。


「はぁ……もう、。気まずすぎる。ちょっと待ってろ」


そろそろと限界が近いと深い息を吐き、己が本能の内に潜む獣のよだれを自覚しながら彼は並べようとしていた言い訳を切り上げて黒い厨房の傍らにきびすを返す。


そして川原の砂利が寂しく踏まれて叫び往く一幕が幾つか続き、やがて何やらと道具を持ってクレアやレネスの下に帰ってきた男は演説を始めるのだ。


本当に、しょうもない演説を。


「——よし。セティス、デュエラも聞こえてるか? この際、ハッキリ言うけどな……今、目の前に居るレネスさんも含めて、俺はお前らの事が好きだし、抱かせてくれるって言うのなら今すぐ全員に襲い掛かって抱きたいとは思ってる。お前らは自分だけ抱かれたいとか夫婦になりたいとか、思うかも知れねぇが……俺には無理だ」


掌に握り締める黒い魔石が、にわかに輝きを放ち始め、イミト・デュラニウスは男らしく情けない言い分を語り出した。身の丈に合わぬ評価を拒絶しながら、己の内に潜む醜き獣のうめきを伝えるように清々しく、憐れむように。


「誰か一人を選ぶなんて事ぁ、出来ねぇ。俺からしたら全員が同じくらい大切で今の状況や環境を失いたくねぇ。絶対に浮気する、どうしようもなく優柔不断で欲張りなクソ野郎だからな。そのクセに、自分が浮気されるのが嫌な、心が狭い嫉妬深さもあると来てる」


吹き荒ぶ一陣の風が、神の慈愛の如く彼の醜態を隠すように流れるが、彼の言葉は止まりはしない。


——憔悴しかけていた。


「だから俺は、誰かを特別に扱うなんて事をしない。遊びでも女は抱かねぇ。こんな俺みたいなもんを誘ってくれるお前らの中の誰かが悲しむのを解ってて、誰か一人を選ぶなんて事は出来ない。抱くなら俺を好きで居てくれる、俺が好きで居れる女全員だ」


理性をむしばむ本能の牙が嗜虐的に心の内に突き刺さっていく。他者を傷つける事を己の尊厳を傷つける事に等しいと自己愛に満ちて、身に食い込む呪いの鎖をきしませるが如く彼は誰にも目を向けず——或いは誰にも見られぬように遠くの空に視線を流した。



「ただ——言っとくぞ、それでも良いと俺みたいな最低な人間の女になりたいと頭がおかしくなるくらいに思うなら、もう少し待て」


ほのかに輝く掌の中、握り締める魔石に儚げに語らいながら、やがて彼は瞼を閉じるのだろう。


邪知暴虐——我ながら寒気の走る邪悪と自覚しながらも、沸き立つ欲望に身を任せ——身を任せるが故に滑稽に崩れ行くのだろう己の未来を嗤って過ごすばかり。


度し難い人の欲の愚かさに悩む己が未だ人であると嗤うばかり。



それでも——つたなく歩こう。


「残念な事に一番最初に抱くと決めた女の身体が、この旅の先にある。それまで俺は、誰も抱くつもりはねぇ」


「——だろ? クレア……他の誰もが俺を見捨てても、お前の事だけは絶対に抱かせてもらうぞ。他の女と同じく、お前の目の前で存分にな」


そう言った面持ちで嘲笑の末に、己をここまで追い詰めたものへの復讐がてらに彼は人生に興じて悪戯いたずらに笑った。如何に己が醜き生き物であろうとも、真摯に謳う嘘臭き愛の調しらべ


「……変態めが」


「かっ、寝取らせ趣味の奴に言われたかねぇよ」


後に魔石は語るだろう。


『——……それをと言うのだと、誰もがアナタに言うと思う』


仕方のない、仕様もない、情けなき男の不器用に、細やかながらの慈愛を漏らし。

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