第113話 寒気の走る邪悪。3/4


レネスの持ち込むその情報の性質も相まって、緊迫の風が吹き込んだような一時。


「脱走か……仲間想いか、の能力や持ってる情報を必要としてか。まだセティスたちにソイツの詳しい話は聞いて無いんだよな」


芋の皮剥きの作業を終えて、水の入った器に包丁を入れて濡らした後に乾いた布で包丁の汚れを簡単に拭き取りながら、想い馳せるように呟くイミトはその後に包丁を濡らした水の器に己の手を入れてついでにと洗い、手を振って飛沫しぶきを川原に向けてビシャリと弾く。


「報告によれば、状況的に脱出の方法は別の能力者の力によるものとの事です」


「……面白いな。か、か?」


レネスのもたらす情報を片耳に、包丁と同様に己の濡れた手を布で拭いながら思考を回している様子で問えば、


「? いえ……そのような報告は。少なくとも水と土、二つの系統の魔法を用いられたとの事で、バルピスの捜査網そうさもうの考えはセティス殿ら……謎の集団が逃げたと思わせて、を持つラフィスの、或いはという見方のようです」


何故なにゆえにそのような結論に至るのかと少し眉根に疑念が寄ってレネスの首はかたむいて、そしてイミトの予想を否定して捕捉のように途中であった報告を結ぶ。


——考えている事は分からない。


「かっ、情報を隠しつつ見事になすり付けられたな……動きが速い。どう思うクレア」


「ふん、朗報であろう——少なくとも、セティスにとってはな」


レネスの視点では事件の実態が不透明な情報——しかし目の前に居るクレアとイミトの視点では確実に全体を見据え、何かしらの実体が見えているのは明白な様子で。


やはりこの二人こそが陰謀の渦巻く世界を笑う猛者——人里遠い山の中で世の動きを眺め、未だ正体を現さぬ野望を砕くべく策謀を巡らす者たち。


「アーティー・ブランドと、もう一人はバルドッサ……だったか。時間的に転移魔法を使ってるならルーゼンビフォアも一噛みしてるかもな。わざわざ二種類の力を使ったのは俺達へのメッセージ……たぶん過剰に警戒しろよって話だとは思うけど」


「参戦してくるかねぇ、考えとかなきゃならねぇ事が増えたらしい。山積みだよ、まったく」


「ま、考えても仕方ねぇ事はそこそこ隠し味程度にな。やるべき下ごしらえを一つずつ、だ」


そうレネスが改めて確信を抱く程に、そばに控える彼女を置き去りに状況の分析を進めていく二人。黒い台座に鎮座し、背後に凶悪な気を放つ骸骨騎士を従える災禍の魔物、クレア・デュラニウス、或いは不穏を良き隣人の如く扱い、朗らかに食事でも振る舞おうかというイミト・デュラニウス。


「それで、貴様……今度は何を作っておるのだ」


「——これの事か? 良い水源で水が汲めそうだったからに挑戦してるんだよ。牛乳の代替品として豆乳も美味く作れるようになっておきたい」


やはり何度見ても自然豊かな川のほとりに馴染まぬ黒い厨房にて、既にレネスが戸惑う暇すらも与えられぬままに話題は別の物へと移り替わり、彼らは先ほど険悪や緊張の雰囲気が嘘であったかのように平穏に言葉を交わし始めていて。


「……この前、貴様が言っておった気がするな。海水がどうとかいっておった」


「まぁを使うのが普通だけど、にがりの代用は塩で良いからな。今は大豆を水に浸し始めたばかりで時間が掛かるし、初めて作るから今日の晩飯に出すつもりは無いけど」


黒い半球状の器の縁の近くまで水は張られて、沈むのは大量の豆粒——些か緑が濃くあるがイミトの言うように大豆に似たものなのであろう。


遠巻きにそれを眺めたクレアが何の意味があるのかと分からぬ気持ちが分かる程に変化なく水に浸される大豆の暗黙は、何処か拍子抜けするレネスの表情に似ているような気さえする。


されど、その変化の機微きびがイミトには分かるらしく——


「——あっと、悪いレネスさん。話は分かった、向こうの馬車の方で休んでくれよ、ジャダの滝での作戦の擦り合わせはコッチの情報を整理してからにさせて欲しい」


クレアとの会話の中で思い出した様子でレネスに振り返り、彼はレネスの役目をねぎらうように言い捨てて、今は料理をさせろと暗に語らう。



「……我々が掴んでいる情報では、ツアレストとリオネル聖教軍の作戦が開始されるのは遅くとも。距離的にも、あまり時間が無いとも言えますが」


しかしそれでも、まだ引けぬ。肩の荷はまだあるのだと食い下がるようにレネスは彼らへと、料理などよりも優先して考える事があるのではないかと忠言を遠回りに走らせた。



「そうくでないわ。我らは予定通り、この山を越えた先の湿原を抜けてジャダの滝に向かう回り道とはいえ鈍間のろまな貴様らと違い、早ければ一日で着く距離よ。何の問題もあるまい」


「いや、コッチに問題が無い訳じゃないけどな。むしろ焦って心配してるのは自分の方なんだろうさ。バスティゴ砦に向かってるエルフ族は、今どの辺りまで?」


だが尚も杞憂とののしるが如く、真面目な堅物に辟易と息を吐き、彼らは何も動じない。


まぁ——使命と刻一刻とじきに迫る戦争の気配に心を急かれるレネスの気持ちも分かるからと、もう少し会話で宥めてやろうかとクレアの言葉の補足を漏らし始めるイミトであって。



「……順当に行けばには到着するものかと。出来れば私も仮にとはいえエルフの代表として、その前に合流を果たしておきたく……事前に示し合わせている合流地点で待機の指示を出しておりますが」


イミトの問いに神妙に応えを返すレネスを他所に、灰銀鈍光はいぎんどんこうに静かにきらめく包丁を再び手に取り、彼は黒い厨房の上で彩り豊かに皮の抜かれた野菜の調理をこなしゆく。



「すぐにでも馬を走らせたいって訳だ。うーん……絶妙にがズレる」


トントントン、まな板の上——迷いもなく別たれていく野菜を尻目に並行するイミトの思考から漏れる独り言。何度と分からぬ説明なきボヤキに、レネスの首は傾く。


、ですか……いえ、それよりも私の重要な報告はまだ終わっていません。これはなのですが」


されど説明を求める事を今は不粋と、彼女は未だ胸の内に残るシコリを彼に解き放つ。不安を煽る実像掴めぬ世の情事——これでも彼らは驚かないかと試すが如く。



「——の? まだロナスの一件の後始末してるはずだよな、今回の件に関わってくるのか?」



「私には判断しかねます。ただ、急ぎ報告はしておくべきと姉も言っておられた」


「——先の矢継の森、にて何者かによる襲撃が発生。重傷者や死傷者は無かったようですが、遺跡の奧——を封印した痕跡のが消失との事です」

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