第113話 寒気の走る邪悪。2/4


——さて、


「——さて。どういうつもりだ、クレア……いや別に良いんだけどよ。倫理観とか貞操観念とか、とっくの昔にドブに捨てて来てるから」


或いはクレアが未必の故意で差し向けた展開に彼は別に怒ってなどは居ないとのたまうが、荷物を抱えて遠ざかっていく直向きな少女の背を眺める瞳には僅かばかりの真剣みが暗く鋭く光り、


目線はサラリと傍らに黒渦を巻いて作られ始めている黒き台座へと感情を押し殺している様子で淡白に流される。



「捨てきれておらぬから、そのように迷っておるのだろうが。貴様は口ばかりよ」


「……とかいって、実はセックスに興味があるだけだろ。この中学男子張りの助兵衛すけべえめ……据え膳食わぬは男の恥って言葉があるけど、据え膳食うにも順序とマナーがあるんだよ」


まぁ——怒っていても致し方なしと、イミトが思っている事は言葉の裏も無く事実なのであろう。


クレアの指摘に辟易と、己の情けなさを自覚しながらの諦観の溜息が深々と世界に溶けていく様には、厄災を振り撒く災禍の魔物と繋いだ手が振り回されているような徒労が如実に滲んでいて。


「ふん。否定はせんがな……どのみち貴様の今の状況は、日頃の貴様の軽薄さが招いた事態よ。責任を負うのを嫌っておるのだろうが、もはや逃げきれはせぬ。アヤツラも貴様に少なからず好意というものがあっての反応であろう」


「……人の昔話を知りながらあおりやがる。どのみち俺の残りカスみたいな良心が生理中は手を出すなって言ってる。こりゃ完全に死亡フラグか寝取られフラグが立ったぞ。面倒なこった」


神妙と言うよりは、些かの険悪。周辺の空気さえも忍び足で逃げゆくような重い雰囲気をかもしながら会話を交わす二人。その中にあって、やはりイミトは怒りやら不快やらを通り越した呆れの感情で自嘲の笑みを溢すばかり。


「あ、あの……私は、その……どうすれば宜しいでしょうか?」


そんな二人の間——少し背後に挟まれて、使命を持って彼らの下へ訪れたエルフ族のレネスは居心地の悪そうに恐る恐ると空気に割り入る。下手に触れれば火傷は必至とは解りながらも振り絞った声は震えていた。


だが——当然と、イミトの不機嫌が彼女に向く事は無いのだろう。



「ん……ああ、レネスさんも休んでてくれ。急いで来てくれたみたいだし、疲れもあるだろうから風呂も入ったらいいさ」


むしろ彼女も巻き込みかねないと、心を入れ替えるような息を吐いて苛立つ心を抑えた様子で彼女も遠ざけようと試みる。


しかし、レネスにとってはそうも行かない事情があるようで。



「い、いえ……私はそれほど——積もる話も御座いますから」


確かに甘言、この居心地の悪い場からは些かと逃げ出したい想いは有れど、胸の内に抱える使命感を持って戸惑いに目を逸らし、イミトの善意を直視できぬままに心ばかりを急かして自分が話すべき本題に話を動かそうとする。



も話の中身に入っててくれたら有り難いんだが……少し予定が狂ったみたいだしな」


すればイミトも渋々と、黒い厨房での行われている夕食の支度に手を動かしながらその話題に乗り上げて、一旦とクレアが持ち込んだ男女の機微の話を胸の内の棚に置く。


そして一転、そんなイミトの態度から許可を得たと感じたレネスは戸惑う意を残していた雰囲気を吹き払い、真剣な瞳を彼の横顔へと向けて瞼を閉じた。



「——。私を含めて謎の集団を追って早馬を走らせ、バルピスに入った者たちの報告によるものが朗報、悲報が混じり幾つか。大きな事柄から申しますれば、エルフの同胞を含むロナスの兵はバルピスに滞在中であったに接触、謎の集団の次なる目的地と推察されたも見据えてを敷く事になりました」


語るは本来であれば人里から遠い平原を駆けて山を渡り川の流れを追うイミトたちでは知る由も無いだろう世の動き——世界の流れについての話。


絹衣きぬごろもの佇まいをサラリと整える身振りを行いながら賢人に教えを欲するが如くこうべを垂れて、つらつらとソレらを報告するレネス。


されど報告に耳を傾ける彼は然して驚く事も無く、



「なるほど、結果的に都合の良い事にはなったみたいだな。最初は——の存在を話として世間に広めるくらいになりゃ良いと思ってただけだったんだが」


世の動きをある程度は予見していたかの如く川の水で洗っていたのだろう芋の皮を、密やかに運ばれる暗躍の渦を作るようにほどきながら淡々と言葉を返すイミト。


同じくイミトの傍らで黒き台座に鎮座するクレアも、取るに足らない世の些事に辟易とするが如くと退屈の相手をする気は無いと瞑想めいそうの面立ち。



「……リオネル聖教軍の作戦に協力する為にロナスの兵と共にバルピスに残ったエルフは半数、私を含めた残りの半数は調という名目で、ジャダの滝との境にあるを目指しています。バジリスクとの戦争の最前線——ツアレスト軍の本陣にも、そのむねが書かれたふみが既に走っているとの事」


それでも尚と、ここまで背後の馬にまたがって胸に秘め抱えていた情報をエルフ族のレネスはせきを切ったように報告をつむぎ続けて。



も万全か……油断はしない方が良いけどな。まだ、ツアレストとが揃ってる訳じゃねぇから」



「それで? 悲報ってのは、悪い知らせだよな」


やがてイミトが情報を把握し、料理工程を踏みながらも僅かばかりとレネスのもたらす話題に興味を湧かせた雰囲気を感じ取って彼女は神妙に、最も彼らに伝えておくべき予定想定には無いであろう世で起きた不祥事について満を持して告げる。


「——はい。セティス殿らが正体を暴き、リオネル聖教軍に身柄を抑えられた……ラフィス・カリズがを受けて、その後のとの事です」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る