第114話 不安、震えて。1/4


世界に夕焼けの薫りが漂い始めていた。まだまだ蒼いはずの空色に何処か名残惜しさが染み出してかたむく陽光がにらむのは真逆に忍び寄る群青ぐんじょうか。


或いは、彼らにもうしばしの時間を与える為の切実な苦悶であろうか。


いいや、そのようなはずもなく——黒い厨房と共に彼の姿も失せた川のほとりに、一人の小さな魔女と黒い顔布を纏う少女が首を回しながら砂利を鳴らして黒き台座の上に歩み寄る。


「……イミトは?」


口にした名の男を探しながらに魔女セティスが尋ねるのは台座の上で静やかに瞑想をするが如く瞼を閉じるクレアであった。そこにあったはずの黒い厨房が消えて、夢か現か分からなくなる程の平穏に残されているのはかすみのような手掛かり、或いは残り香。



「飯を作ってから荷物を持って。何処ぞへ散歩に出掛けると言っておったが行き先は知らぬ。には戻るらしいぞ」


セティスからのたずねを受けて、瞑想をさえぎられて不機嫌そうなクレアが視線を流すのは黒い厨房の代わりなのか自然界で同様に異彩を放つ黒いテーブルである。その上に並ぶのは砂埃や風に舞い散る木ノ葉に汚されぬように黒い籠に覆われた——恐らく彼が作り終えたのだろう食事の数々。


「そう……困るとは思ってなかった。反省してる」


クレアの視線に引っ張られるように、そのテーブルを一瞥いちべつして椅子に座って休んでいたレネスと軽い会釈を《えしゃく》交わしたセティスは、改めてと彼の行く先を知るクレアに顔を向き直して声を掛ける。



「ふん。元々は奴が撒いたたねよ。貴様らが負い目を感じる事ではあるまい」


冷淡な無表情に近くはあるが伏し目がちで、小さな背丈に何処か寂しさが滲む。しかし、その身に抱える罪悪感に呆れるようにクレアは反吐を掃くが如き鼻息を漏らし、セティスの反省を否定した。


先程までの久しき再会で、離れている合間につのりゆき先走ってしまった想いが僅かばかりに関係性の歯車をきしませる。しかしそれも、回そうとするが故か。


「……ワタクシサマ、イミト様の御話は良く分からなかったので御座います。もしかしてワタクシサマもイミト様に迷惑になるような事をしてしまったので御座いましょうか。交尾はで御座いますものね」


「「「……」」」


薄青髪のセティスと黒いテーブル近くの椅子から立ち上がるレネスの間に挟まれる形で会話に入る少女もまた、円滑に回らない関係の歯車のきしみが放つ不協和音に耳を澄ませて原因を探ろうとしている様子であった。


しかしながら、何やらと物言いたげな沈黙が彼女を包み、周囲に少女の言葉を否定も肯定も出来ぬ神妙な雰囲気が漂って。


まるで純粋無垢な少女に、それを伝えるべきか否か——或いは如何に説明すべきかを迷っているような賛否折々な風体で。


だが、いつまでも沈黙にとどこおるのも、また別の軋轢あつれきを生じさせかねないのも事実に相違ない。


「——デュエラ様、先ほどおっしゃっていたというものは、本当に実在しているのでしょうか。エルフの里に引きこもり、見聞の狭い私からしても聞くもおぞましい響きなので御座いますが」


そこで座っていた椅子から立ち上がって近付いて来ていたレネスは、あたかも話半分で耳に挟んでいたといった様相でサラリと幸薄な色合いの瞳を持ち上げて、ジワリと話題を変えていく。


すれば、やはり純粋無垢な少女。


「はいなのですレネス様……ワタクシサマは、そこでルルッコとピーチャンに出会ったので御座いますよ。ワタクシサマと目を合わせてしまって、石に変えてしまったで御座いますが……」


「人も家畜は飼うであろう? 別に何の不思議もない」


話題逸らしに何も気付いた様子を見せずにレネスへと振り返り、応える。その僅かに語る過去のいましめの所為もあったのだろう、黒い顔布の端を少し片手で引っ張ってうつむき気味のその表情。


そして何を疑問に思うのかと人の傲慢に辟易とする想いを空気に吐き溶かし、先程までの会話の流れも然して愉快にはならなそうだとレネスの目論見に乗り上げるべく言葉を紡いだ。


「——正直、出産数も少なくて生育に時間の掛かる人を家畜とするのは些かのように思うけど、バジリスクの視点から見ればそうは思わない?」


「イミトが言っておった……人で言う、のようなものだとな。何ら不思議はあるまいよ、貴様らが喰らうモノ、あの阿呆が作るモノ、食事を必要とせぬ我からすればそれもまたというモノに相違ない」


薄青髪の魔女セティスもまた同じく会話に入り、ふと密やかに探究心の強い彼女らしく道徳や倫理を何処ぞの棚に置いた疑問をていせば、クレアは静かな瞳で世の道理を説く。


「……なるほど。家畜では無くという考え方」


「ともかく、貴様らは奴の作っていった飯を食い、今は英気をやしなえ。カトレアのように病に伏せられて今後の戦に水を差されてもかなわぬのでな」


川の少し涼しげな風、流水の音色が奏で続けられる美しの風景に隠れた残酷な理を背に、交わりゆく人と魔。理解と納得は別として、そこはかとなく話は逸れて先ほどの後悔が滲む暗い雰囲気は僅かばかりと緩和した。


それでもそれは、セティスとクレアのの話。

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