第111話 洞穴の闇に溶けゆ。2/4


***

そこから乾燥トウモロコシの粒たちの叫びが暫く続き、喉が果てて声色が変わった頃合い。


「トウモロコシ粉は、このくらいで——次はスープに入れる野菜の準備と行くか」


「使うのは人参、玉葱たまねぎと——そこらにあった香草をいろどりに」


山間の森の影、風そよぐ川原の風景に安堵の息を吐くイミトは、思いの外に掻いてしまった汗を厨房に置いていたタオルで拭いつつ水を溜めていた器で手を洗って心を整える。



「でも、……人参嫌いだからな」


「——楽しそうに料理しおるな。その間抜け面、久しく見た気がするわ」


そんな最中、労苦を嘆く口振りとは裏腹に無意識に浮かべた笑みに傍らで彼を見守るクレアは鼻息を少し漏らすように瞼を閉じた。暫くと別行動していた仲間との再会——或いは己の為でなく他者の為に思考と趣向を巡らす充実感を滲ませるイミトに、クレアの口調は些かと神妙。


「新しい包丁を見たらワクワクするもんでな、共感してもらえそうな例えだと……目の前に強そうな敵が出てきたみたいな感じだ」


するとイミトは怪訝に呆れるような彼女に対し、何とか共感は得られないものかと厨房の上の人参を一つ手に取りつつ、鮮度を確かめながら悪戯な笑みを溢すに至って。



「ふん、戦場でそのような間抜け面を我はさらさんわ」


「どうだか……にしても本当に良い包丁だな。最初は皮剥きじゃなく、刺身とかで丁寧に初卸したかった気分だ。ササミは切っちまってたし」


これから始める刃物作業に向けて、人参の鮮度を確かめた後は満を持してと言わんばかりに灰銀色をにぶきらめかせる包丁一振りを静かに音もなく眼前へと持ち上げ、改めて刃先の鋭さに高揚の眼差し。


それから我ながらとのたまうように贈り物ひとつで気分を変える浅ましさをわらい、再びと瞼を閉じて息と意気を整えつつ作業に真摯に向き合う。



「ん。良いな、やっぱ研ぎも良い——ちと気持ち武骨で刃先が固いけど、切り口さえ気を付けりゃスっと刃が入ってくな、乱れが無いし撫でるだけでけていく感じだ。魔力で創った物とは、やっぱり安定具合が違う……まぁ——良い包丁過ぎて扱いが繊細せんさいだけどな。気性の荒い武闘派お嬢様かよ」


「どんな例えだ。これまでで最も気色の悪い顔をしておるぞ、貴様」


あまり形がいいとは言えぬ凸凹でこぼこの人参の表面に沿うように包丁の刃を当てて、まるで化粧筆を滑らすが如く皮を剥く。


人参を掌の中で回しながら徐々に荒れた人参の表皮を剥ぎ、露になっていく乾いた表皮に隠された瑞々みずみずしいオレンジの奥ゆかしい輝き。


そんな光景を容易く創り出す包丁の手応えに、僅かな興奮を匂わせながら妖しく笑むイミトの初めて見た表情に、さしもクレアも密やかに驚いた様子で腹黒の思惑を疑うような嫌悪の混じった鋭い眼差しを向けていた。



「はは。ただ……強いて文句を付けるなら持ち手のつかが武器のソレだな。強く握り締めろって言ってくるみたいな、肌に吸い付いて来る感じが無い。へいっと——皮剥き終わり」


「早いな」


けれども、そのようなよこしまな思惑はイミトには無く——むしろ純粋な歓喜を邪と捉えられた事に苦笑すら浮かぶ一幕。剥いていた人参の連なる皮の流れを敢えて断ち切り、まな板の上に半端に剥かれた人参を置いて、いだ部分のみを包丁で斬るイミト。


「そんなに多くは使わねぇからな。よし、ササミの火を止めて——余熱で中に火を通しつつ冷ます時間にも茹で汁にササミの旨味がにじみ出てくる」


更に切り分けた人参をそこから二等分、そしてすかさずと煮えたぎり始めた小鍋をコンロから離して言葉の通りの事象を厨房の端に置いた。


「玉葱の皮をいて……人参も半分は粗微塵あらみじん、半分はり下ろす」


それでも尚、イミトの手は止まらない。次にイミトが手にするのは褐色の表皮を纏う玉葱が一つ。その玉葱を縦に二つになるように別ち、イミトは玉葱半個の乾燥した皮の表皮を今度は素手で剝ぐ。



「その玉葱とやらの斬り方はよな。先に刃を幾つか半端に入れて最後に望み通りバラバラにするのは見ていて心地いい」


「ただ、斬った時の目に辛味がツンと来る感じが腹立たしいが」


そして——改めて包丁を手に取り、クレアの感想が言葉となったように手際よく包丁を踊らせて玉葱の身に幾つもの刃を入れていく。



「はは。そりゃ大部分が鼻の嗅覚で感じてるモノみたいだぞ。そういう性質がある飛沫が斬った瞬間に周りに弾けて呼吸から体に入って反応するんだと。もちろん、目に直接作用もしてるらしいけど」


「目に見えぬ魔力が影響を及ぼしているみたいなものか」


縦横に刃の入った玉葱を仕上げの如くパラパラと刻み、そこからササミの沈む小鍋を熱していたコンロにキャンプ道具でも良く使われる小さなフライパン——スキレットと呼ばれる道具を代わりに置いて熱し始める。



「そんな摩訶不思議な響きでもねぇがな。砂漠の砂が目に入るみたいなもんさ……玉葱半個分の大きさのスライスを一枚——粗みじんの人参と玉葱と一緒に薄くバターを敷いて炒めて熱を通しとく」


そして瞬く間も無く濃いベージュ色のバターを一切れ投げ入れて、カタリカタリとスキレットの表面にバターを溶かしながらに広げていって。



「そうだ、夜になったらさっきの湿原の方に出掛けるつもりだから、その間は他の連中の事、任せても良いかクレア」


香り立つ塩気の混じった油の匂い、その最中にも人参を包丁を用いて粗く微塵に斬り砕きつつ、おもむろに何かを思い出しながら斬ったばかりの粗微塵の人参を包丁の腹ですくい上げる様相で熱せられるスキレットに流し入れて、クレアとの会話に口を走らせた。



「む? なんぞ、やはりどもを狩りにでも行くのか」


人参が隠し持っていた水分が熱に煽られ、バターの油分と喧嘩してジュウと騒ぎ始めた頃合い、唐突な要求に玉葱の飛沫を嫌って瞼を閉じていたクレアは眉をしかめ、僅かに開いた双眸を流す。



「いや、だ。男の子は、たまに一人で冒険に行きたくなるもんさ。明日になったら、また考える事が多くて忙しくなりそうだからな」


「——分かった。好きにせよ」


料理につとめながらも回る並行思考、またもやイミトが何かを企んで居ると察したクレアは、イミトが再び玉葱を扱い始めた事も相まって頷くように瞼を閉じる。



或いは、それを踏まえてのタイミングであったと言えば些かの大言なのだろうか。


「頼むわ。セティス、そっちの方はどんな感じだよ」


同時に進行していく群像劇に目を配り、肩の力が抜けている様子を装うイミトは人参に熱を通すスキレットに玉葱の微塵切りとスライス一枚を放り投げ、恐らく作業が終わったのを見計らって少し離れた位置から歩み寄っていたセティスに言葉を投げ掛けた。


「完成した。食後に、白湯さゆと一緒に飲ませると良い」


「……粉タイプか。持って行ったお湯は何処に行ったんだ?」


「お湯は薬草の毒抜きに使っただけ。かなり苦いから、お湯に溶かして飲むより、溶ける前に一気にお湯で流し込めるように魔法で乾燥させて粉にしてる」


声色軽く、あたかも周辺の万物の位置と動きを把握しているかの如く、慧眼けいがんを冴え渡らせるイミトは興味深げにセティスが両掌に抱えてきた濃い緑とだいだい色が織り交ざる粉末状の漢方薬を興味深げに眺め、そして、またもと指で一摘ひとつまむ。



「なーる……まぁ、良薬口に苦しってな——オブラートも無いんじゃ我慢するしか……いや、作ってみるか、


ペロリと漢方らしき薬の付着した指を露にした舌に押し付け、少し眉をひそめながらの味見。すれば苦さに目が覚めたのか、ふと何かに思い至ったイミトは厨房に置いてある食材たちに目を向ける。



「なに、オブラートって」


「正確に言えばまた、オブラートだけどな。試しに作るのも面白そうだ」


冷淡な表情のまま首を傾げる鉄面皮のセティスの問いを尻目に、浮かべるは少し楽しげな悪戯いたずらな笑み——また悪癖が出たのではないのかと、傍らのクレアは些かの杞憂、そして今日も何度目かも分からぬ鼻息漏れる呆れの吐息で時を過ごす心持ちを定め始めていた。

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