第111話 洞穴の闇に溶けゆ。1/4


 川のほとりに建てられた到底と野営のとは思えぬにて、料理が趣味と自称するイミト・デュラニウスは気合いを入れる腕捲うでまくりの代わり肩を回して厨房の上に用意された幾つかの食材と向き合い始めていた。


という物を作るのか。パンを使うのは明白だが——かゆとはなんだ」


傍ら、イミトの作業の邪魔にならぬ程の距離を保ち、黒い台座の上からクレアが尋ねる。食事を不要とする故に食についての知にとぼしい彼女が、それを尋ねる事に驚きは無い。


「うーん、まぁ米……豆とかの穀物を柔らかくなるまで煮込んだ料理だな。噛む必要が無いくらい柔らかくするから、腹の中でも溶けやすくなって栄養として吸収されやすくなる」


ただ——粥と聞かれれば彼に染み付いた常識として、これから作ろうとしているものを粥と述べるのは些か躊躇ためらいかねる代物で。それでも尚と同系種の料理だと胸の内に言い聞かせつつ、クレアにも分かりやすいような表現を考えながらに言葉を紡ぐ。



「今回は朝に焼いたパンと、適当な有り物で作る。小麦も元は穀物だからな、パン作りから始めなきゃ、一番手軽な粥の一種だ」


「噛む事すら難しい病人や老人の為の嚥下食えんげしょく、子供の離乳食……母親から母乳を受ける時期を終えて、歯が生え始める頃の赤ん坊に段階的に固形の食事に慣れさせていく時なんかに食べさせる事が多い」


「ほう……まだ歯も無き脆弱ぜいじゃくな人の子の為の飯か」


厨房に置かれた材料の一つである掌に納まるサイズでありながらも、何処か重厚感のある褐色のパンを手に取りつつ、時を経て如何ばかり香ばしさが失われているか確かめる為に少し花に近付けるイミト。


「とはいえ、カトレアさんは大人だし多少は噛める物を入れるつもりだけどな、噛むってのはそれだけでストレス解消効果がある……と思う。ただでさえ弱って体の熱が上がってストレス状態の高い状態だから気休め程度のもんだが、物を噛む事で脳内に作用する満腹中枢が安眠効果を生むかもしれないしな……まぁ、そこら辺も大して詳しくねぇが」



そして最後に味見を一つとパンの端を僅かに千切って、自身にも仔細は及ばぬ知識の説明を投げやるような気楽な摘まみ食い。自嘲の笑みで些か下がったまゆではあるが、知識を文字として正しく記せずとも、経験によって構築した成果物の味にはそれなりの満足をしているのか心持ちは沈んでは居ない様子。


「訳の分からん言葉ばかりよ。まぁ良い、さっさと作れ」


そんなイミトの曖昧に揺蕩うが如き喜怒哀楽に興味を持った己が間違っていた言わんばかりの口振りでイミトの説明を理解するのを辞めた言葉をクレアが吐く。


すればイミトも特段と、尾を引く理由もなく——


「あいよ。ま、簡単だ——味付けは色々あるが、パン粥でポピュラーなのは牛乳を使った物なんだが——」


それでも厨房の上に摘まみ食いしたパンを戻し、説明口調の余韻を残しながらイミトは作業を始める息を吐いた。流される目線には、厨房に改めて使う食材や道具が揃っているかの確認をする静けさが秘められて。



「牛の乳だと? 貴様、先ほどの野牛どもから盗んで来ておるのか。あの少し目を離した隙に」


「いや、流石にそんな暇は無かったよ。だから今回は、この二つをメインにして味を調ととのえてみようって話さ」


一旦は退いたはずのクレアの訝しげな問いを他所に、黒い長方形のトレイで水気か油を照り輝かせる薄桃色の鳥肉と、乾き切った様子が見て取れる黄色の粒が幾つも積まれた器を手前に滑らすように動かすイミト。


「乾燥したトウモロコシと、先日の鳥の肉の残りか」


「イミト。お湯、貰っていく」


「おう。まずは肉の処理からだな。これはササミって部位で、比較的にだが脂が少なくて筋肉の栄養になりやすいタンパク質が豊富。サラダとかに良く使ってるから知ってるだろうけど、こっちも沸騰した湯を——拝借っと」


背後でスラリと声を掛けて淡々と己の職務を全うしているセティスの声掛けに意識を奪われる事も無く、黒いまな板の上に既に切り分けられていたササミ肉を並べるイミトは、次に小さな小鍋に背後で沸いていた湯を注いで厨房の傍らに持ち込む。



「軽く塩を入れて、コッチの火の魔石コンロでササミを茹でとく。五分くらいだな」


そこから赤く燃える魔石が中で煌く三脚の台座の上に小鍋を置いて手早く、何よりも手慣れた様子で白い塩の粉末を雑多に投げ入れ、ゆっくりと湯が撥ねないようにササミ肉を湯気の漂う鍋の中に沈めていく。


「その間に、乾燥トウモロコシ。コレを粉にするとコーンミールになる……アメリカのコーンブレッドとか、メキシコのトルティーヤ生地の材料にするのが主流だな、でも今日はササミの茹で汁と一緒にパン粥のベースにするつもりだ」


そうして忙しなく動き始めるイミトの作業には無駄を感じない。つらつらと言葉を平常時のように語り並べながらも、ササミ肉の隣に置いてあった乾燥トウモロコシの積まれた黒い茶碗サイズの器を手に取りつつ、空いている左手に魔力で構成される黒い渦を灯すに至る。


「コーンミール単体でも、そもそも煮詰めたら粥みたいな感じにもなるんだけど……まぁ、食材の節約って奴だ。今日のコーンミールは、結構前に作ったコーンスープみたいに、かなり緩めのスープ状に近い……少し薄味にしときたいし」


黒い渦が創り出すのは、。そこにイミトは乾いたトウモロコシの粒たちを注いで、更に再びと黒い渦を右手の掌に作って円柱の器に蓋をするように掌を覆い被せた。


すれば、ゆっくりとした湯気が傍らのササミ肉を沈めた小鍋の上で踊る中——その穏やかな雰囲気をぶち壊すように突如としてガリガリと叫ぶようなトウモロコシの悲鳴が円柱の器の中で爆発的に震え出す。



「……ふん。貴様も我からすれば十分に材料を作れる者だと思うがな、呆れたものよ」


これまでの彼の話からクレアが眉間にしわを寄せて己の髪で耳を塞ぐ程にけたたましい音の放つ理由はトウモロコシを粉にしているからなのだろう。


イミトが片手で尚も円柱の器の蓋代わりに黒い渦を押し付け、もう片方の手で円柱の器が逃げ出さないように押さえつける様を分かりやすく表すれば、まぁ粉砕ミキサー、或いはフードプロセッサーのような事象が円柱状の器の中で行われているのである。



そんな騒音が暫くと続く中で、集中するように掌の黒い渦の様子を眺めるイミトはクレアの皮肉交じりの称賛に僅かな苦笑を浮かべた。


「はっ、謙遜してる訳じゃねぇさ。精度は高くねぇ、ちょっとだけ……にわかに料理が出来る格好いい好青年止まりだよ、どうやったってな。俺は」


自分では何一つと生み出してはいないと冗談を交えながらに紡ぐ自己否定。それでも器の中で回っているだろう黒い渦には、イミトなりの見栄が蠢いているに相違は無いのだろう。

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