第110話 秋の風入る季節の変遷。4/4


***

 そしてその滑稽な男は、洞穴の出入り口から歩み出て川のほとりの砂利や落ち葉を踏み鳴らしながら二人の少女に迎えられる。


「イミト様……カトレア様は——」


黒い顔布の上からでも分かる不安げな面持ち、声に滲む感情は暗い未来を憂うように重い。


無知であり、無垢ゆえに不安に染まりやすく、或いは数の少ない経験の再来を予感してしまう少女。されどもデュエラは、無知であると自覚するが故に、縋るように己よりも知に長けるイミトへと尋ねた。



「心配する事はねぇよ……会話も成り立ってたし。それより、綺麗な水が欲しい所だな。馬車の飲み水も生活水も汲んだのは三日くらい前だし、残り少ない。新鮮で綺麗な水を探してくれねぇか」


すれば少女の頭を右手で撫でて、イミトは少女に杞憂が過ぎると楽観的に笑い返して話せば話すほど鬱屈うっくつになりかねない話題を変えて、行うべき事を脳裏で整理し始める。


「そこの川の水でも良いけど出来れば、川の流れを遡った川の始まりくらいにある天然水が欲しい。汲む用の器と保管用のが二つくらいあれば取り敢えずは充分か。往けるか?」


「……はい。ワタクシサマ、バルピスの街でカトレア様に酷い口の利き方をしてしまった事があったのですよ。たくさん、たくさんゴメンナサイをしないといけないのです」


「……」


だが、イミトの指示を——黒い渦を掌に作り出して創り上げられる給水貯水の道具も手伝う話題を変える努力も虚しく、少女は不安い尾を引かれているかの如く雰囲気を曇らせていくばかり。


洞穴の中で病に伏せるカトレアへの心配、或いは少女がカトレアに対して抱えている罪悪感はそれ程に大きい物なのだろう。



「大丈夫で御座いますよね、カトレア様、大丈夫で御座いますよね⁉」


そんな彼女のすがるような面立ちに、どうしたものかと神妙な顔色のイミト。

その時——イミトの傍ら、左腕に抱えられているクレアが救い舟を送る。



「——そのように心配せずとも良い。魔石には異常は無かった。人の体の事は知らんが、そう思うのなら、そのように悩んでないでさっさと水を汲みに行かぬか愚か者」


耳障りな声に訝しく眉を潜めるような風体ではあれど、イミトの代わりにデュエラの問いに淡と答え、彼女なりの気配りも見方によっては感じられて。


「……はい。そうで御座いますね……直ぐに、直ぐに行って戻って来るのですよ……はい」


言い分としてはイミトと同じものであったものの、クレアとイミト——尊敬する二人の言葉に従順な少女は不安のほこを一旦と納め、俯き顔で無理矢理に己を納得させた様相で頼まれた仕事に取り掛かろうとした。


「——デュエラ。」


そんな彼女を見かね、声を掛けたのはイミトである。


「イミト様……」


「大丈夫だ、カトレアさんの方は俺に任せとけ。魔物も居るかもしれねぇから焦って油断だけはするなよ、急がなくても良い。戦いながら水を汲んでもにごっちまうからな、静かに慎重に頼む」


再三と念押しするように振り返ろうとしたデュエラの足を言葉で止めて、穏やかに彼は笑う。自身の不安に駆られずに、目の前に居る仲間を信じろとでも言うような——ある意味では彼らしく無い面持ち。


「——はい‼ 分かりましたのですよ‼」


しかしながら、様々と積み重なり効果は確かにあったようである。妄信とも言える程にクレアやイミトを信頼する少女は、再三に渡る励ましに己の内に満ちかけていた不安を払拭ふっしょくするに至り、河原の砂利を蹴散らすような勢いで背筋を真っ直ぐに整えた。



「それから、カトレアさんは寝てるから少し声を小さくしろ」


「あ……はい、なのです……あ、そうなのでした。イミト様——を」


そして、心の余裕を取り戻しつつある少女は思い出した。イミトの注意にハッと声を潜ませながら。デュエラは腰裏のかばんに押し込めていたを取り出すのだ。


「高そうなだな……なんだ?」


うるしを用いたような黒塗りの——金装飾が施された長方形の箱。デュエラからソレを受け取り、小首を傾げながら目の前の黒い顔布に素朴な問いを送るイミト。



なので御座います。これから御飯をお作りになるなら先に渡した方が良いと思いまして」


すればクレアの頭部を左腕に抱えている為に自由の利かないその箱を、イミトの代わりに開くデュエラは背後に控えているセティスと僅かに顔を合わせ、旅の思い出の一つと言わんばかりに静かに笑むような趣深おもぶきふかいい口調で改めてイミトへとソレを贈った。



そこにあったのは、鋭くも鈍い光を放つ重厚な灰銀色。


「——良いな。良い仕事だ、これなら直ぐ使ってもいい。さっそく使わせてもらう、これの話も後でな」


箱から取り出され、箱との入れ替わりで手渡された一振りの刃物は、柄を握るイミトの視線を誘うように山間に注ぐ陽光に妖しく輝き、品定められて。それでも尚と柄を握るはイミトに相違なく、小さく満足げに口角を持ち上げたイミトは、感謝を示すようにデュエラへと言葉を返した。



「はい。ではワタクシサマは、水を汲みに行って参りますのですので」


「気を付けて行けよ」


やがて片手に持つ包丁の鋭さを尻目に、傍らに置かれた貯水道具を儚げに抱えて動き始めるデュエラを見送るイミトら。河原の上流に向けて飛び立つ少女の背に、様々な想いを映し見届け、周辺に漂い始める僅かな静寂。川の流れの騒音が殊更に際立つ一幕。


「——……まったく、相変わらず忙しない事よ」


少女が去ってしばらくして、溜息を吐くようにそう告げたのはクレアである。何処と無く残された者たちの気まずさに居心地悪く告げた言葉は、辟易と呆れ果てる思惑が明確に滲んでいて。



「そういうなよ……デュエラの母親がが理由だからな、嫌でもちまうんだろ。アレの場合は、少しでも働かせて気をまぎらわせておいた方が良い」


それをキッカケに、イミトも会話を再開し——或いは己の果たすべき仕事へと歩み始めて気楽を装う自嘲の面立ちで言葉を返す。


すると、それに補足のような言葉を返すのは——ここまで去ったデュエラの背後で作業を続けていた魔女セティスである。


「体を壊した母親の為に隠れていた場所から飛び出してバジリスクに見つかった。昨日、カトレアさんが倒れてからのあの子はしてたから。イミト、もうすぐ湯が沸く——調理台を創るなら、もう一つ調合用にテーブルを創ってくれると助かる。それから煮沸しゃふつしたお湯は少し分けて。調合に使う」


作業の一区切りがついた様子の彼女は薄青髪を揺らしながらガスマスクに似た覆面を抱えて、純朴な少女デュエラが胸中に抱える過去を端的に振り返りながら、伝達事項と自身が進めている作業の報告を淡々とイミトへと告げた。



「ああ、一応——日持ちが良いなら三人分くらいは調合しといてくれ。念の為に、お前らの分もな。今の所は熱が無くても、疲労が溜まってるのは見てたら分かる。倒れる前に、最後のひと踏ん張りしてくれ」


「——日持ちはしない。作り方は紙に書いて置く」


哀愁の漂う傷跡に染み込まんとする風には、まだ熱き夏の気候であるにも関わらず、山間の木々に隠された川のほとりである故か、何処か涼しげ——季節の変わり目、秋の薫りが僅かに混じる。


「了解。さてと、んじゃあ——良い包丁も手に入った事だし、こっちもゴキゲンに始めるとしますかね」


それでも——まだまだ遠い、冬の予感に肩を透かしながらもイミトもまた、見えている遠き未来に敢えて瞼を閉じて、他人の心配性など笑える人間では無いと些かに嗤いゆくのだろう。

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