第110話 秋の風入る季節の変遷。3/4
だが、カトレアは驚いたとはいえ——クレアが嘘を吐いて居るとは思っていない。
戦場にて生まれ生死強弱のみを絶対の指標とし、虚栄謀略の欲望渦巻く俗世に染まらずに戦場のみを駆けてきた魔物デュラハンのクレアの言葉には、少なからず虚飾は無い。
今までもそうであったように、これからもそうなのだろう。
「ふむ。しかし、我が貴様にやっておったように瘴気のみを分けて体外に排出しておった訳ではない。瘴気の人体への影響を最小限に留める代わりに、貴様の産み出しておる魔力も余分に吸っておるようだ、よって魔力の欠乏も起きておるな」
現に白黒髪による触診によって得た情報——カトレアの内部で起きている状況を淡々と周囲に伝えるクレアの言葉口調には揺らぎも無く、ただ単に純然たる事実を伝えてるように見えていて。
「なるほどな……だから余計に、体の回復機能が上手く働かなかったって感じか。まぁ体が弱ってる所に瘴気の毒気に飲まれるよかマシだったかもな」
隣のイミトもまた、クレアの伝言を素朴に受け取って己なりの解釈をこなしゆく。口元に当てている手が、カトレアの朦朧とした意識にも聡明に映る一幕。
しかしながら、カトレアは直ぐに——洞穴の天井に視線を戻すに至る。
「ユカリが……そうですか。私は——色々な方に迷惑をかけてばかりだ」
内に潜むはずの命がそこにあるかの如く、遠くを見つめ、そして瞼を閉じる。
瞳に映る闇の中、思い出に浸る心、浮かぶ表情には自嘲の笑みと心に課していた重荷や不安が溶けていくような安堵も滲む。
「弱ければ当然であろう。徒党を組めば、弱い輩の足手まといが浮き彫りになるのは道理よ」
されども未だ、クレアの言うように弱き己を甘やかす事は許されない。許しては置けない。
だからこそ一つの安堵を越えて、誠実な彼女はまたも真摯に瞼を開き真面目に暗き洞窟の影を刮目して行くのだろう。
「——アディに会いました。正体も悟られ、半人半魔の——魔に堕ちた力を全霊で使っても、奴の足を止め切る事が出来なかった。アレほどの好機であったにも拘らず魔王石を奪われたのは、全て私の責任です」
いっそ責めさえくれれば、如何ほどに楽であろうか。そう願うように果実の果肉を皮越しに絞り、果汁を開いた口に無作法に注ぐイミトへと向けられるカトレアの静やかに眉に
「さっきデュエラも似たような事を言ってたよ。自分が敵に夢中になったからアンタに無理をさせて、油断して魔王石を奪われたってさ」
それでも彼は、そのような優しさや甘えなど許しては置くものかと嘲笑うように口角を持ち上げて、果実の酸味の強さに僅かに顔を歪ませつつ馬鹿馬鹿しい水掛け論だと軽々しく言い捨てるのだ。
悪魔は、望む物を望むようには明け渡さない——そう宣うように、或いはカトレアの密かな甘えを見透かすが如く嘲笑って。
「……そんな事は。デュエラ殿には何度も助けられました……彼女が居なければ、我々は街から脱出する事が出来なかったのは揺るがない事実です」
「いや、誰が頑張ったとか一等勲章を贈りましょうって話をするつもりはねぇよ。責任の無い奴なんて居ないって話だ——あの街に魔王石があると思いつかなかった間抜けな俺も含めてな」
「……その場に居なかったアナタに責任など有る筈がない。あの状況を事前に読める者など居りはしませんよ」
そこから始まったのは、二人の間に責任が実物としてあるかの如き奪い合い。己の情けなさに罪を引き受けようとするカトレアに対し、イミトはそれでも、
「責任はあるだろ。誰にだってあるもんさ……そもそも魔王石を奪われた奴等も、奪った奴等も、知ろうともしない奴も、考えもしなかった奴も。全員が罪人だ」
誰しもに罪はあるという己の持論を
「自分を責めて許しを求めて一人で健気に同情誘って気持ち良くなるのは構わねぇが、一人の責任である事なんて絶対にありえねぇ」
己を見る罪人の、贖罪を求めて縋るような瞳を休ませる為に己の掌を彼女の瞼の代わりとするが如く彼女の顔に多い被せ、小さく浮かべる優しげな嘲笑。
「我には何の責任も無いがな。責任転嫁も
「……空気は読んでくれよ」
しかし傍らで、そんなイミトの言い分を不遜な態度で斬り捨てるクレアの言動に嘲笑は呆れ嗤いへと変り果て、真剣で重苦しい雰囲気だった場は何処か砕けて。
何気なく話しの区切りも一つと着いた。
「ふ……そちらは相変わらずのようで。お二人なりの励まし、痛み入ります」
「ったく、痛み入るなら少しは眠る努力をして悪夢に
自分とは違い、久しぶりに見た二人の怪物の相も変らぬ姿言動に、弱々しくもカトレアは微笑む。
懐かしく頼もしき、強者の風格——或いは余裕。
己の掛ける迷惑など心の底から意にも介さぬ振る舞いは、やはり熱病に弱り切った朦朧とした意識には心強いのかもしれない。
「……ありがとう。信頼しています、料理の味もアナタも……たとえ、アナタが私を信用していなくとも」
本来であれば垣間見せたくは無かったろう幾つもの優しさに触れて、彼女は素直にイミトへと感謝を告げる。
焦りを連想させてばかりだった洞穴の薄暗闇が、今や仄かに安らぎを与えてくれているようで見方を——味方を得れば、こうも世界が変わるのかと感心の声を漏らすようでもあって。
すればイミトもその表情を横目に、肩の力を少し抜いたような表情。
「——それだけ弱れば
ここまでの様子を鑑みて、そこまでの重症では無いのだろうと僅かばかり杞憂は解け、よっこらせと立ち上がらせた体の
「……——はい。そうですね」
その彼の背を、横顔を、チラリと一瞥したカトレアは己が今為すべきを定め、ようやくと心穏やかに洞穴の天井に視線を流して目を閉じゆく。
それでも浮かべる小さな笑みは、不器用なのか小器用なのか分からない
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