第110話 秋の風入る季節の変遷。2/4


その川沿いの山大樹の根に守られながら雨風に晒されて穿うがたれたのだろう洞穴は、少し湿っぽく土臭くはあったが軽く清掃はしているようで。


昼間でも休めるようにと掛けられた暖簾のれん代わりの白布をめくって中に押し入れば、洞穴の内部は自然に溜まっていた埃などを掃き捨て、清潔とは言えぬまでも木の葉ひとつも落ちていない綺麗な地面が広がっている。


「ごほっ、イミト殿……クレア殿、真に申し訳ない。このような時に」


そして、その中にあって並べ積まれた草のベッドに横たわる白髪の若い女性は、熱に魘されたような疲労困憊の顔色で咳を溢し、震えながらも立ち上がろうとしていて。


「「……」」


「やっぱりクレアの言った通りだったな、


高熱に赤らむ顔に白い獣の角が際立つ、意識の朦朧とした様子の疲弊の表情。それでも尚と立ち上がろうとする真摯で賢明な姿は些かの滑稽。


呆れの息を思わずと吐いて左腕の中に居るクレアへ、己の代わりに足下で這いずる堅物に冗談の一つでも見舞ってやれと仕事を押し付ける様相のイミトである。


とは何だ。馬鹿者が——貴様も、そのような無様な格好で転がっておるでは無いわ。寝ておれ」


「ぐぅっ‼」


すれば白黒の美しきクレアの髪はうごめき、コチラもまた辟易と不快を正直に口にしながらまるで塵芥ちりあくたを掃くが如くむちのように動いた髪で、熱に意識を侵されているのだろう病人の女を草のベッドに叩き返すに至って。



「乱暴な事で——まぁ、確かにあのままじゃ、頭を踏み付けたくなってたろうから助かるよ」


「……の毛布、だな。バルピスの街で買ったのか?」


そこからは阿吽あうんの呼吸とでも言えばよいのか、倒れ伏したカトレアという女の弱る様子を尻目に、クレアの頭部を左腕から突如として傍らに噴き出した黒い渦によって創り出された台座に置き、イミトは横たわるカトレアに歩み寄って彼女の体に乱れていた布を掛け直す。


その毛布代わりに掛けられていた布に描かれていたのは、膨大な手間と時間を掛けて作られたのだろう刺繍ししゅう


「すみません……これは、殿が街で気に入ったもので……本来ならばこのような使い方は不本意なはずでしたのに使って頂いて」


「龍の柄か……って、前に言ってたし……昔、クレアがデュエラのって言った時もアイツには珍しく言い直してたからな。今にして思えば、相当なこだわりがあるんだろ」


布一枚全てに壮大に刻まれた龍の畏敬は、些かと病人の毛布には似合いはしないが、一旦と別たれた旅路で彼女たちが持ち帰ってきた土産の一つにイミトは穏やかに微笑み、カトレアは罪の意識に駆られた表情。



「——そのような事もあったか。ずいぶんと時が経ったような気がするな」


黒い台座の上で聞こえてくる世間話に素知らぬ顔色のクレアであっても、その瞳には僅かな興味が滲み、彼女もまた遠目から密やかにカトレアの寝込んだ姿勢の上に広げられる見事な装飾に目を配ってはいるようだった。



だが、それも束の間——思い出話は、後でゆっくりたしなむと、


「汗は掻けてる……けど凄い熱だな。水分補給はしっかりしろよ」


カトレアに歩み寄ったイミトはその場に屈み込み、セティスの時と同様に彼女のひたいに生える角を避けながらも手を当てての触診。それから早々に彼女の傍らにあった水筒を手に掴み、中身の量を軽く振って確かめつつカトレアへと手渡す。


しかし、カトレアには今は水筒や己の身よりも気掛かりな事あった。



「そ、それより——イミト殿、私の荷の中に例の王国からの物資が——」


、なんてもんはねぇんだよ馬鹿が。人を冷血人間扱いすんなっての、当然そっちの方も後で処理するつもりだ。今は大人しくしてろ」


されども、龍の描かれた布から体を起こして気掛かりを払拭しようとしたカトレアの弱った身体は、軽々とイミトの右手で押し返されて言い伏せられもした。



「……本当にすまない。に、——足を引っ張ってしまって」


そのイミトの説教じみた気遣いを理解出来る程度の意識は今の病に伏せたカトレアにもあったのだろう。イミトの言葉を聞き、己の焦りを省みて再び僅かに乱れたデュエラの気遣いの布の端を些か悔しそうに握り締める。


「ケツの軽い女の一人や二人、背負ってたって空気と同じだよ。たとえ重かろうが足を引っ張られようが、その重さも頭に入れながら目的を果たす方法を考えるだけだ」


「……」


普段は真摯しんし直向ひたむきに、責任感に燃えて誠実に生きる者であるがゆえに満ち満ちる罪悪感や憔悴しょうすい——それらを横目に、茶化すように——或いは気負わせないようにイミトは水筒と共にカトレアの傍らに置いてあった食べ物に目を向ける。


そこにあったのは、確かに瑞々みずみずしい黄色の果物であった。


柑橘かんきつ系の果物だな。ビタミンは良い……水分も採れるし、味も爽やか甘さ控えめ。食欲の無い奴や病人食として別に間違っちゃいないが、酸味の刺激もあるし食物繊維が多くて消化に少し悪い。そればっかにかたよったら逆に食欲や体調を悪化させかねない」


丸い果実であったのだろうは、一欠けらの大きさから見るに六等分の切り分け方。しかし皮付きの果実の食べた形跡は一つのみで、残りは二切れ、手つかずのまま。



「クレア、の方はどうだ? ユカリ……の感じは」


それを食欲が無いのだろうとセティスからの報告と合わせて判じ、果実の一切れをカトレアの横に座りながら味見するイミトは次に瞼を閉じながらも様子を伺っているだろう近くのクレアへと声を掛けた。



「——術式自体にゆるみは無いな。魔石も表面上は問題も無かろう。……」


黒い台座に鎮座する頭部のみの彼女の周囲に漂う神妙な気配——触手の如く白黒の美しい長髪を操りカトレアの胸元にそれらは繋がり、恐らくとカトレアの中に宿る内なる魔力や肉体の様子を探っているらしい。


そして——そんなクレアの言葉に洞穴の天井に真っ直ぐな瞳を向けて、カトレアは思い返す。



「最近……ユカリの気配を感じないのです。彼女の魔力を用いる冷気も使えなくなりました……彼女は——彼女は大丈夫なのでしょうか」


自らの内に潜む——もう一つの命、額から生えた白角しらつのの本来の持ち主である兎の魔物ユカリの存在を彼女はここ数日と感じていなかった。さもすれば自らの異常と何か関係があるのではないか……ここに来て、自らの体について己よりも詳しいかもしれぬ二人の怪物を前にカトレアは胸中に密かに湧き立っていた不安を吐露するに至って。



ってのは、いつまでの話だ。最後にユカリが出てきたのは」



 「……確か、数日前。バルピスの街を出てから少し経ってからだと」


頬伝うのは、発熱による汗ばかりでは無いに違いない。イミトの問いに覚束おぼつかない思考を回しながらも、出来得る限り過去を振り返りつつ答えるカトレア。


すると、そんな不安げなカトレアと思慮を巡らし始めたイミトを他所にクレアが言葉で会話を穿うがつ。カトレアの胸元に触れていた彼女の髪が、その合図であった。



「アヤツなら問題なかろう、むしろ貴様の——に戻りつつある肉体に影響を及ぼさぬように瘴気の吸収をしながら外に魔力が漏れぬように閉じ込めておると見える。我の干渉すら受け付けぬ覚悟があるようだ」



「……ユカリが。本当——なのですか?」


その思いも寄らぬ物であったかもしれない。人と魔物、人や世界を害するばかりの存在であるはずと思い込んで来ていた常識は、ここ最近のカトレアを取り巻く環境や出来事で随分と揺らいで来ては居たのだろうが——それでも尚と、彼女は弱った体を飛び起こしたいと言わんばかりに拙く動かし、


「寝てろ」


その途中、またしてもイミトに抑えられるまで、朦朧もうろうとする視野を目一杯に広げていたのだから。

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