第98話 対流の想起。5/5


そしてその後の後日談、

扉が閉まる音の少し後で、扉が開かれると同時にノックの音が家屋の中に響き渡る。


「あの兄ちゃんは帰ったぞ……で良かったかい、嬢ちゃんら。リオネル聖教のを気に掛けて居たろ」


湯立つ厨房で軽快に音を刻む包丁の音が止まり、カジェッタ・ドンゴは来客の退場を告げる。


余計な世話だったかとの伺いを、厨房に立つ二人の少女たちへの挨拶として。


すれば、包丁を扱う少女を見守っていた魔女の視線もカジェッタへと向く。


「うん、予期せぬ収穫。もう一度、お礼の請求額と何故ここまで協力してくれるか問いたい所……食事中にでも彼らの動きを聞かせてくれると有難い」


腕を組む魔女の平静な鉄面皮こそ相も変わらず揺るがないが、或いはそれ故に虚言や世辞などは無いように見えて、静かに閉じられる瞼はお辞儀のよう。



そして、もう一人の少女デュエラは——何故か少し困りげに首を傾げた。


「良かったのですますか? あれほどには行きたくなさそうで御座いましたが……行く事になってしまって」


彼女が気に掛けたのは、カジェッタの信念。或いは以前の彼が語った生き様。それを曲げたような行為言動が、整合性が無く、彼女には不思議でならなかったのだろう。



そんな彼女の無垢なる圧に僅かに気圧されながら、カジェッタは言葉を返す。


「——ああ、まぁ……新しい鉄の、生き様ってもんの叩き直し方を思いついたら試してみるのも一興よ、外様とざまの素人に叩かれるのとは違ぇさ。それに対価なら、とっくにようなもんだ」


己の性分に呆れるように項垂うなだれながら厨房に歩み寄り、胸ポケットから取り出すは折り畳まれた紙切れの束。それはかつて、デュエラがカジェッタへと手渡したものであった。


「あ、イミト様から頂いた。そう言えば返してもらってなかったのですね」


「そこらの奴には、しょうもない落書きかも知れねぇが——こいつぁ、職人にとって何にも変えがたい財宝のようなもんだ」


記されているのは、確かにカジェッタの言うように大したことも無い落書きのような包丁などの調理器具を種類別に幾つも絵として描き、その説明を乱雑に書き殴ったもの。


少女の初めてのお使いに際して、買うべきものを忘れたり迷わないようにと気を回した単なるメモ書きに過ぎなかった。


けれど、【技】の賢人——いや、鍛冶職人カジェッタの慧眼には、それは単なるメモ書きでは済まなかったのである。


「道具を使う人間の要望とでも言えば良いのか……考え方や、やりたい事が詰め込まれてるに違いねぇ。この鉄叩きに人生費やした俺にも用途が解らねぇものもある……この家の厨房を見たなら分かると思うが、俺は料理をしねぇからな」


近代文明——魔物や敵と対峙するこの世界で、鍛冶職人として主流となるのは剣や槍などの武具に相違なく、包丁などの日用雑貨などの発展はないがしろにされる事も多いのが道理。


だが、そのメモ書きに多く記されている包丁などの調理器具の数々には、その本来であればないがしろにされているはずのものをに追求したような享楽きょうらくと熱意に満ち満ちていて。



「包丁を作れても使の気持ちは実感したことも無い。考えたことも無かった……だからよ、こういう細かい所での目新しい発想は思い浮かびもしねぇんだ」


「分かるかい、嬢ちゃんら……これはな、確かに世の中を劇的に変える革命を起こすような斬新な発想じゃねぇんだ……だが、より良質——より深く物事を極める為の追及、そういう多くの細かい試行錯誤が詰め込まれてる」


抱いた敬意に偽りは無い。預かていたメモ書きをセティスへと返し、厨房の椅子に腰を落とすカジェッタの振る舞いや言動にも嘘は無い。



「こんなもん魅せられちまって……腕がさっきからうずいて仕方がねぇ……武器作りを辞めて、それでも未練がましく鍛冶職人としての腕がびないよう誤魔化しの為に包丁や調理器具を適当に作ってきたが……今は、このメモに書かれた全ての道具を作りたくて仕方がねぇのさ」


ドワーフ族特有の太い手足の指先を見つめて微笑むはカジェッタの白髭しろひげ、その面立ちには己の性分を自嘲する感情と、紛れもなくこれからの未来を想う嬉々とした武者震いが入り混じる双眸そうぼうの光があった。



「まるで——この時の為に、職人としての腕を鍛えて来たんじゃねぇのかと年甲斐もなく、思う程にな。馬鹿みたいに何度もだまされようが、結局……俺は根っからの職人なんだろうさ」


「「——……」」


絶望に絡み取られた動かせなくなった老いたてのひらが——希望の獣が雄叫びを上げて鎖を解き放つが如く拳へと変わる。


、紛れもなく

自虐的に己をあざけりながら、それでも世界を諦観した瞳にともしびが宿り、老人は老人とも思えぬ野心を静かに燃え上がらせたような雰囲気を帯びたのである。



「……。アナタは間違いなく既に【の名に相応ふさわしい人物、このメモは気にせず受け取って欲しい」


そのさまに、とセティスは思った。副作用として危険な結果となってしまっては居ても、山橋の街バルピスの凄まじい発展に多くの功績を残し、


御伽話おとぎばなしの登場人物となって語り継がれる事になるだろう賢人——たくみの、職人としての気概に、称賛を込めてカジェッタが返却したメモ紙を差し出す。



「ふん……呼ばれ方なんざぁどうでもいい。ただガキが新しい玩具を手に入れてハシャいでるようなもんよ。それより——あの兄ちゃんが居なくなったんだ、嬢ちゃんらの敵も動き出すんじゃねぇのかい?」


様々な想いや信念が交錯し始める大河の如き運命の流れ。

人の数だけある利害、信条——譲れないもの、守るべきものを取捨択一しゅしゃたくいつすれば如何なる想いであろうともぶつかり合うが世の非情。



「夕食を作って食べる時間くらいある見込み。アナタも一緒に食べましょう……今はスープを作っている所」


「汚ぇ厨房で悪いな。マトモな食材も無かっただろう、自前の食材を使ったのか」


「ええ。この街で買い込んでた食材を少し……でも、カジェッタさんの土産で、かなり手間もはぶけた。とても感謝している」


今回もまた、幾人もの人々の流れ——ラフィス、アディ、カトレア、或いはこの場に居るカジェッタやラティス、デュエラや——その他の様々な人物が息づく、山に橋を掛ける街バルピスを舞台に荒波の如き物語を紡いでいくのである。



「あ、そうなのですよカジェッタ様。コレが別れる前にしたセティス様ので御座いますよ。確か、興味を持っていたで御座いますよね?」


「ん? ほう……ちょいと見せてもらえるか——あんまり良い鉄では作られてねぇな、安物か——だが、なるほど……ふふっ、コイツは面白ぇ」


「安い製法の鉄なのにが見えねぇな……丁寧に、均等。無駄な研ぎも多くはねぇ……研ぎ跡の刃紋に性格が出てる。用意周到で慎重丁寧な男だな……俺の研ぎに負けねぇって嬢ちゃんの言葉もあながち間違いじゃないかも知れねぇな」



想起される複雑な魂の対流、その中にあって未だ世界は静寂。


「刃物一つでそこまで分かるのは理解出来ない。それから安物は余計な指摘、私は気に入っているから問題ないとの偉そうな講釈を思い出した」


されども、一本の鉄のナイフのきらめきは——純粋に、己の役割を果たす色合いを魅せている。



まるで、世界を——強欲に塗れた人類を愚かとののしる彼のように。

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