第98話 対流の想起。4/5
——再びと中略。
また代わりにとその頃——もう一つのセティスの杞憂が
幾つもの群像、波打つような人の流れの中、ほんの少しは喧騒から離れられる街の休憩所の如き公園の脇を進む漆黒の仮面を身に着ける女騎士カトレア。
それは彼女が、何処かの花屋から出張してきたようなワゴンセールの前を通りがかった時の事。
『そこの騎士、何処へ行く。土産に花などは如何か?』
店舗に並ぶ華の薫りに入り混じるような静やかな男の声が耳を突き、不吉な黒い仮面を身に着けるカトレアの足を止める。その声には、聞き覚えがあった。
「……アナタですか。では、墓標に添える花束を一つだけ……本当に見守ってくれているようで感謝しますが、単なるお使いですよ」
そんな腕を組んで俯き、
『不審な動きが多いぞ。それと街の片隅で奇妙な事件が起きた……貴様らと何か関係はあるか』
そして語られた言葉は到底、商売の接客をするような態度の物では無く、むしろ問い詰める尋問担当者の如き印象を受けさえするものであった。淡々としながらも相手を
「その話は聞きました。関係があるかは断定が出来ませんが、今晩——少し騒ぎが起こるかもしれません。事件の捜査状況について詳しく調べる事は可能ですか」
対するカトレアも、淡々と男の声色に怯む事もなく話を進め、問いを返す。斜陽の光が途絶え始め、影は濃く花屋の品々も何処か儚げな赤い
『急ぎか? 不可能ではないが、内容による。どのような情報が必要だ』
「……周辺に怪しい人物を見掛けた者が居なかったか。例えば——目が細い背筋の正しい聖騎士の男の姿とか、その男の現在地」
丁寧かつ迅速に纏められる花の束、花屋の仕事を行いながら麦藁帽の店員の男との密談は顔色も変わる事無く粛々と進み、やがて花束は受け渡される。
『——……
最後に、オマケの如く花束の中に手を入れて何かを仕込む店員の仕草、それを見たカトレアもまた自然を装う為に
夜風に似た冷たい風が頬を小突き、いずれは美しく咲き誇っている花もその姿を闇に隠されるだろう。
「魔女レジータの家屋の予定です。状況に
『貴様が姿を見て身を
銅で作られた硬貨三枚と花束を交換し合い、女騎士カトレアは静かに
「必要ありません。人員を割けば気取られる恐れもある、私がアレを避けた理由は、
「——了解した。全ては国が為に」
「ええ。全ては国の為に……」
通り過ぎて行く歴史、決して記されぬ人々の魂の
買い物を終えて淡々と目的の場所に向かう騎士は、息苦しくなりそうな同胞の鋭い監視の視線を背中に浴びながら歩き、道すがらに買い取った花束の薫りに心を浸した。
「——これが私の生き様……間違ってはいないはず。間違っては、いないはずです。全ては……国の、国民の
ふと仮面を指先でなぞりながら口ずさんだ男の名前に、カトレアは対岸の流れを想った。
もう決して交わらぬ、沿う事は出来ぬ運命の流れ——それでも騎士は己の信念、信条を掲げて歩みを止めないのであろう。
***
だが——その事を、その憂いを、何処ぞで名を呼ばれた彼が気付く
「——以上が、作戦の概要となります」
自らが持ち込んだ依頼を受け入れつつあるカジェッタへ、聖騎士アディ・クライドはそのような言葉で締め括り、喉に詰まった
「……ふむ。思ったよりも狂った策を立てたもんだな。とても正気とは思えねぇ」
「今回のバジリスクの侵攻……奴等が要求する物が見つけられない以上、交渉は不可能。戦いは
和やかな隣室とは違い、神妙な雰囲気で追加で
ちらりと動くカジェッタの瞳、見据えたのは若き青年の誠実な瞳の奧にある何か。
「嘘はねぇ……だが焦ってんな。性根が真面目そうだし義憤に駆られた若さ故とも思ったが、どうして兄ちゃんはそんなに生き急ぐ……言葉にしたような、お為ごかしの理由だけじゃあるめぇ」
葉巻の火が消えた事を確認し、立ち上がる老体は室内に蔓延し始めた葉巻の残り香を気にして閉ざされた窓へと向かいながら若者へと言葉を
密談が終わり、開け放たれた窓から夜風に似た静かな風が舞い込んで。一応、警戒はすべきかとカジェッタは窓から顔を出して辺りの様子も少し気に掛ける動作も見せる。
その背をジッと追っていたアディではあるが、カジェッタの問いに想う所があるような素振りで目を逸らした。
そして——覚悟を決めるように、或いは第二幕に挑む為にか、瞼の帳が降りて。
再びとその双眸が開かれる頃には、いよいよと夜の闇。
「……戦場から、一刻も早く遠ざけたい方がいるのです。私的な感情を持ち込む事は一人の兵士、騎士としてあるまじき行為であるのは承知の上で、私は一人の男として愛した女性の為に今、動いています」
椅子に座り膝の上に置かれた掌が拳へと変りゆき、まるで彼の決意の固さを表すような出で立ち。カジェッタの横眼が静かに動く中で、アディ・クライドは己の胸中に秘められた彼の本当の願いを吐露するに至る。
通り掛かりの一介の老人ではあるが、誠実こそ己の願いを聞き届けて貰える為の最も重要な物であると信じ、彼は語るのだろう。
「その方は……確かに私などの手を借りずとも強い女性ですが、戦場を本来、好まない方なのです。そして花を育てる事がとても似合う女性だ。
だから私は——その方の為に争いを直ぐにでも収めたいのです。それしか……臆病で不器用な私には出来る事がありませんので」
真摯に、誠実に——しかし何処か寂しげに叶わぬ夢を想うような自虐的な微笑みを浮かべながらの複雑な口振り。紛れもない本心なのだと誰もが思う、そんな人間らしい表情であった。
「——……ふん。どいつもこいつも、しおれた老人が仕事を言い訳に無視してきたもんを自慢げにぶら下げやがるもんだ。いいだろう、兄ちゃんには協力してやる……先遣隊の出発は明日の昼だったな」
「はい。急がせてしまい、申し訳ありませんが改めて宜しくお願いいたします」
遠く——遠い道の先を眺めながら、過去の良き思い出を想いながら虚無に歩くような若者の淡い世界への期待を見抜くが如く鼻息を飛ばすカジェッタ。己の愚多き時代とは重ならないと嫌気を感じながら、爽やかな青年に嫉妬に似た後悔を口ずさむ。
自分にも、そういうものがあったのかもしれないと——遠い過去を思い返される。
誰しもに若さはあったのだから。
「じゃあ今日はもう帰んな……それと、不器用を言い訳にはしねぇことだ。これは無駄に年を重ねた老人からの余計な忠告だがな」
しかしながら、それがどうあがけど過ぎ去った昔でしかない、如何なる賢人であろうが時を戻す術を見い出す方法の欠片も見いだせないのならば病むも無し——老を受け入れて死にゆくばかリ。
そのような面持ちで息を吐き、老賢人は若さという光を持つ青年へ、節介とは解ってはいても助言を呈する。
すれば、アディは賢人の言葉を受けて異を唱えることも無く素直に椅子から立ち上がりながら改めた視線——カジェッタの背後で際立つ影を見る。
「……似たような事を、とある御仁に言われた事を思い出します。彼は、もっと口汚く語っていましたが……いえ、彼女たちにも宜しくお伝えください、失礼します」
それが思い起こすは影の如き嘲笑、
——。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます