第98話 対流の想起。1/5


「……本当に悪人だとは思わない? 私は……魔女界では問題を起こす異端の魔女を輩出はいしゅつすると言われている、アナタもがあると言っていた」


嵐の前の静けさのような空気感の建物の一室で、と謳われるセティス・メラ・ディナーナは冷静ながら僅かに不安げに腕を組み、家主のカジェッタ・ドンゴに尋ねる。


疑問であった。


通りすがりの只の他人、それどころか——妖しげな仲間を引き連れ、彼を騙した別の魔女と由縁ゆえんがある自身に、何故なにゆえに親切心を働かせるのか。



彼女には判らない。故に、興味もあった。


すれば、その少女のような背格好でありながら真理を問う機械的な眼差しを向けてくるセティスへとカジェッタ・ドンゴは語りゆく。


「——そうだな、十年以上前……俺も今よりは若かった。の持ち込んだ計画と技術の目新しい発想に一人の職人として心をおどらせ、目先の仕事のに浮かれていた」



「だが——みるみると発展していく街に。次々に変わって行く街、住みやすく便利になっていくが、何かを取りこぼしていっているような気もした」


火のくすぶる葉巻の煙を口に含みつつ灰皿へと葉巻の先端を押し付けた後、ゆるり吐き出す一幕。座っていた椅子からおもむろに立ち上がれば、彼が向かうのは家屋の柱。寂しげな歩幅でカジェッタは家屋の天井にぶら下がる白い魔石の照明を灯し、途絶えてきた夕焼け斜陽が告げる夜に備えた。



「それでも住人の多くは便利を求める。職人も良い物を作る為に懸命に働く——俺も住人たちの為にとを見ねぇ振りして働いたもんよ」



「……しかしアナタは知ってしまった。この街の発展の闇を」


老人は過去を振り返り、魔女は現在をおもんばかる。

遠くの街の喧騒が起こす衝動的な振動が家屋に吊り上げられた照明を揺らし、照明が生み出した影も呼応するように踊る。



——わらって、いるようであった。



「ああ。発展の為に無様に殺されたダチ公と、その仲間の死を隠して街の発展の為に町中の人間全員を騙してる詐欺師になったダチ公だった男の姿をよ」



「——【力】の賢人を殺したのは、もしかして【栄】の賢人?」


未だ残る斜陽の余韻もあって際立たぬ照明から生まれた影——されども家屋の中の神妙な雰囲気も相まって存在感をハッキリと示す様相。


同じく照明を灯し始めた発展を遂げつつける山橋の街バルピスの影もまた、そのように揺らめいているのだろう——セティスとカジェッタの恐らく往来では語れないような密談に、惨憺さる雰囲気が滲むのが、或いはその証左か。



「どうだかな。だがバミラの研究……橋の下の魔物の魔力を利用した街の発展が及ぼす影響に脳筋馬鹿だった流石の奴も気付いたのかも知れねぇ……そこであの馬鹿と言い合いになったのは確かだ。問い詰めた時にそんな感じの雰囲気だった……がな」


開かれたままの家屋の戸から失われていく熱を求めて流れくる冷や風に当てられながらも、続けられる会話。それは橋の下に潜む真実がもたらす忌むべき事象についての話。


「橋の下の魔物の魔力で街は活気づくが、副作用も当然あった。どうしても余剰分として僅かに外に漏れちまうで、周辺の他の魔物が——或いはが上がる」


「当初から懸念はあったが、俺に知らされていたものよりも影響は、より深刻で甚大じんだいだったのさ」


「——瘴気しょうきの濃度が上がってが進行し始めてるという事?」


本来であれば発展や開発に苦慮するだろう高層の山脈地帯の頂点に位置するはずの、発展した街を更なる発展へ——そして文明を維持し、生活を駆動させる為に街の住人が選んだのはとも思える危険な技術。


要約すれば、橋の下に封印を施された魔物と呼ばれる存在に地上や周辺の地域にを吸い集めさせ、その魔力を吸い取って街のエネルギーに転用するというもの。



「ああ……にな。今はバミラや他の魔女たちが開発した浄化装置と対魔物用の自動迎撃装置で何とかしのげているがの影響は予想を遥かに超えて、徐々に大きくなっている」



「この街に入る時、階層エレベーターには乗ったか? アレの計画が途中で頓挫とんざしているのもそれが理由だ。下層に行けば行くほどに魔物の出現とまでは行かねぇが瘴気の濃度が上がってる……多量に取り込んだら相当の健康被害が発生するからな。状況は悪化は、もうそこまで来てると言っていい」


その吸収利用は結果として幾ら試行錯誤を重ねようと、人の害となるである原子——瘴気しょうきから生まれる魔物の身体をで大なり小なり当然と、をもけがしていくのであろう。



「元から山に囲まれてるから……それが外に瘴気が漏れない理由でもあるけど、それ故に内部はまで至りやすいとも言える」



「そういう事だ……だが、それが解かった所で十何年前の不便な生活——手に入れちまった便利を捨てる事は住人達には出来なかったのさ。俺も含めてな……街が便利になって救われてる奴も多い。そういう現実を突きつけられて俺は言葉を返す事が出来なかった」


照明を灯し終わり再び椅子に腰を戻していたカジェッタの説明に、セティスも思考を続けながら論議を重ねる。つむがれゆくは人の愚かさか、今そこにある彼女らの影によく似た悪魔も、そうのたまうに違いない。


セティス、は街の大まかな状況と背景を理解し、組んでいた腕を解いてそっと徒労の息を吐く。



なんて呼ばれる資格もねぇ……とんだ愚かもんだよ、俺達は。事実を目の当たりにした今となっちゃ街の発展に協力こそしなくなったが……それでも未だに未練がましく手に染み付いたから離れられやしない。みっともねぇたらねぇ」


その一見と年端としはも行かぬ少女とはいえ、人の世をあわれむ世俗から離れた——これまでの立ち振る舞いからも賢者の如き賢明さをにじませる魔女の大人びた溜息にカジェッタも思う所はあったのだろう。


それゆえに零れる皮肉、覆面の魔女セティスからそむけた眼差しに映るは、己を卑下する自虐に他ならない。



けれど、彼女は


「そんな事は無い。賢人とは——己が愚かである事を自覚する者の事、私の師匠せんせいの教え……愚かであると知るからこそ考える、求めるものの為に学ぶ事を止めない」


「……」


己もまた——何にも至らぬ愚か者であると。

セティス・メラ・ディナーナが、ゆるりと閉じた双眸そうぼうの裏に想い刻まれているのは一人の——を極めたような賢人という呼称が程遠くすら感じる悪魔の薄らわらい。



「少なくとも私は——そういう人間を一人、知ってる」


それでも、すべからくを知り尽くしているような【愚】の賢人を、不服ながらも認めざるを得ないと言った風体で不満げに語るセティスである。



「アナタが技術を提供したこの街の行く末がどうなるかは分からない。けれど一つだけ断言できる事がある——アナタがは必ず私たちを笑顔にするを創り出す。それは間違いなくほこるべき事」


こうして純粋なる知の探究者、セティス・メラ・ディナーナは【技】の賢人とうたわれるカジェッタ・ドンゴに教えを説く。傲慢もなく、過信もなく、ただ存在する純然たる事実と己の求道を語りて自らをも戒めるのだ。



「技術も知識も……使う者の性質によって大きく変容するもの。包丁で人を殺せるように。私のが武器であるように」



「だからこそアナタも賢人であるべきだと思う。カジェッタ・ドンゴさん……生まれながらの賢人など世界の何処にも居ないのだから」


それ故に——カジェッタに例えとして見せる為に腰の裏に納められていたを取り出し、静かなる眼差しを己の武器に向けるセティスの双眸には、揺らめくような葛藤かっとうが滲んでいるようであったのだろう。

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