第97話 奔流の予兆。5/5
先ほどデュエラが声色を真似た人物に似た年月を重ね、酒に喉を焼かれたような渋い声。
顔の下半分を覆う程に生え揃う
老人はセティスらが戦略を練る為に観光案内図を開いていたテーブルに荷物を雑多に置く。
「これはカジェッタ殿、何やら先ほどの客人が慌てた様子でしたが街で何か起こったのですか?」
老人の名は、カジェッタ・ドンゴと言った。
山橋の街バルピスの歴史の中で【技】の賢人と称される程の鍛冶職人であり、現在セティスらが身を寄せる古びた家屋の持ち主でもある。
カトレアが述べた通り、数刻前に家屋を訪れた慌てた様相の客人に手を引かれるように、家屋を留守にしていたカジェッタは客人の持ち込んだ用件を済ませて街から戻ってきたようであった。
そしてカジェッタは、カトレアからの声掛けに疲労した様子で椅子に座って
「ああ、周辺地域と魔石で連絡を取る為の魔素周波の
カトレアの質問に答えながら、葉巻に火を付けるか否かを迷うカジェッタではあったが、黒い顔布で顔を隠す少女が興味津々に葉巻を見つめているような視線を感じて小箱の中に葉巻を戻す。
語られた言葉は、街で起きた明らかに重大そうな事件の概要。
「……連絡手段を断たれた。襲撃は確定に近付いたと推察」
「関係があるかもしれません。そしてカジェッタ殿、申し訳ありませんが既に貴殿を巻き込んでしまった恐れがあります」
それ故にか、多少なりとも気分よく情報を求めたいセティスは、テーブルに置いてあった駒代わりの灰皿をカジェッタの近くへと
だが、カジェッタは葉巻を吸わなかった。
「そうかい。だが、俺は看取る家族も居ない老いぼれよ……別に今さら何かを失う事に怯える執着もありゃしねぇさ。街の施設を真っ先に破壊するような連中が相手なら、嬢ちゃんらが悪者とも思えん。
汚ぇ油まみれの工房だが、このまま好きに使ってくれて構わねぇよ。何だったら好きに爆破してくれ、ここはもう殆んど使ってないからな」
テーブル伝いに差し出された灰皿を押し退けて息を吐き、代わりに椅子から立ち上がって近くに置いてあった水差しを手に取り、コップに水を
そして彼は、やがて一飲みの水で喉を
どうでもいいと口では突き放しながらも、滲むは愛着。
「そう……凄く助かる。カトレアさん、リダとあの子供の警護に。カジェッタさんとはもう少し話をしておきたい。
簡単な地図を描いた。それから念の為……これを使えば、あの強盗をしようとしたダナホって男の居場所が分かるようになってる」
不器用な男の背に、何処か懐かしさを感じつつセティスは話の一段落に一枚の紙切れと魔法の道具——そして説明の言葉をカトレアへと贈る。
カジェッタの善意と滲む街への想いに対して、彼女なりに時を無駄にはしていけないと改めて思い至った部分もあったのだろう。
「——
それはまた、女騎士カトレアも同じ、セティスから幾つかの道具を受け取って意図を組んだ彼女は、セティスの用意周到さに呆れながらもデュエラへと視線を送ってこの場を頼んだとでも言いたげに己の役割を果たす為に歩き始める。
動き始めた暗躍——扉を開くカトレアの足音は淡々と静かで最早振り返ることも無い。
「それでカジェッタさん、破壊された塔の様子と壊れ方を聞きたい」
そうしてセティスは見送りの言葉も無く、カトレアの動きに目線を動かすカジェッタに向けて情報の提供を更に求めた。
同時並行の暗躍、それぞれが己の役割を適時果たさなければならない。仲間一同を指揮する立場として責任をもって立ち振る舞うセティスは、いつもの無感情な声色に殊更の真剣味を織り交ぜて不安や迷いを自制しつつ、冷徹に尋ねるのだ。
すれば——その意も
「——……魔素周波の増幅装置の機械部分が滅茶苦茶に破壊されてやがった。ありゃ修理するより新品に換えた方が早い。
鉄を一瞬で溶かすような高熱の魔法を小さな球体か
コップに注いだ水を飲み干して改めて椅子へと戻り、腰を据えて街の片隅で起きた事件について語らうカジェッタ。
彼は
それゆえの平静——。
「目撃者は? 重要な施設なら警備の一人や二人は居たはず」
彼女たちだけであったのだ。
その一見、彼女たちには無関係に見える事件が、どれ程の悲劇に繋がるかの企みに辿り着ける者はこの時点で、この街には彼女たちしか居ない。
「残念ながら術者を見た奴は居なかったようだ。いつの間にか侵入されて、いつの間にか破壊されていたそうでな。施設内の魔力感知、魔素の移動の計測結果も見てきたが外部から魔力が侵入していた形跡はあっても逃走した様子は無かった」
「構造上、考えにくいが外部から魔法かなんかを放って監視を掻い潜った上で、複雑な施設の通路を迷わずに重要な部分だけを手早く破壊したようだ」
「街の連中は、入念な準備と計画性を感じて施設の関係者を疑ってるようだが——嬢ちゃんたちの様子を見るに、違うんだろうな」
「……とても有益な情報。感謝する」
しかし、そこへ辿り着くまでには天上の高みから広く状況を見渡さなければならないのだろう。
何処まで聞いても足らぬ情報、不透明な運命の流れ。
人並みに断ずるは余りに早計な展望、或いは病的な妄想。
そもそもと人の視野には限りがありて。
「——ただ、少しマズいかもしれない。デュエラ、今すぐにカトレアさんを追い掛けて伝言を頼みたい」
「え、ああ……はいなのです。なにをお伝えすれば?」
「予定に変更は無し。けど魔女に塔の破壊の犯人だと疑われている恐れ、私の武器が原因——直ぐに戻って来てもいい。判断は任せる」
ここに人心を
兎にも角にもと直ぐ様に思い付いた可能性をデュエラへ伝えたとしても、不思議とセティスの胸に込み上がる不安、不穏の感覚は晴れない。
まだ何か見落としている——そんな漠然とした予感が胸の内で
——私も、さもすればあの男の
「えっと……はい、分かりましたのです‼ 直ぐに行ってくるので御座いますよ‼」
そんな杞憂で足りぬ己を
「——他に何か手伝える事はあるかい嬢ちゃん」
すると、苦労人を
開けたままにされた扉から差し込む夕焼けの赤、デュエラが去った事を確認した鍛冶職人のカジェッタは改めてと
「今は特に思いつかない。けど、何故そこまで協力的か疑問、金銭の取引も拒否された以上——何かしら別の思惑があると推察」
「ふっふ、疑り深いもんだ。なんのこたぁねぇ……単なる気まぐれよ、この街の仕組みや人間どもにウンザリとしていたって、この街は俺が生まれた街に違いねぇ……」
「そんな街で困ってる奴が居て、街の事を何とも思わねぇ連中が暴れようとしてんなら止める為に動く事に何の不思議がある」
こうして確かに夕焼けの赤に似た
そこから口に
斜陽に不規則に揺らめく静かなる紫煙は、やがて人々の吐息で吹き荒れて何処ぞへと行くのだろう。
予兆——再び、全てが一つの結果に歩みを進めた。
まるで大河の水が海へと流れ行くように、当然のような顔色で。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます