疾病編

第97話 奔流の予兆。1/5


——大河は流れ続ける。


時に押されて、橋の上での出来事などに気を遣ういとまは無い。


だが——物語を語るべく、少し時をさかのぼろう。

物語の舞台は山橋の街バルピス——山の谷間を塞ぐような遠目から見れば高層ビル状に複雑多彩に入り組む橋の街。


夕焼け前の斜陽にあぶられたように、昼の慌ただしい観光客や旅人、働く者たちの為であったとは少し違う——住人たち自らの為に仕立て上げられていく、平穏な夕食の支度の気配が街の所々に染みかおり始めた街。


そのきたる夜に備えて静かに眠る準備を整え始めたせわしない街の路地裏のすみで、又は誰も周囲に存在しない橋の軒下のきしたで、影がうごめくような淡い闇は暗躍を目論んでいた。


、余計な気は起こすなよ。どのような事態にあってもにのみ集中しろと以前も釘を刺したはずだ。分かっているだろう……お前の抱えているは、我々の計画を確実に成功させる為のだ』


いや或いは、別の思惑の為に暗躍の動きを緩和させているのだろうか。


ラフィスという男が手に持つ通信機となった漆黒の魔石の向こう側から届く声は、何らかの報告を受けて一段落と椅子に背中を預けた様子の声色。


あたかも先走ろうとする者をなだめる様な文言を放つ。


だが——

「奴等がの存在に気付いていると? 悲願の成就じょうじゅを前に少し神経質になっているように思えますよ、アーティー……それに気付いていたとて隠し場所までは分かりようがない、奪われる心配などありません」


魔石の向こう側から届く危機感を前に、ラフィスと呼ばれた男はイマイチと認識を共有できなかった様子で声をひそめる事も無く、むしろ杞憂をいさめる様な吐息を漏らすばかり。


「それよりも、アナタがそこまで警戒する敵方のが別れている今こそ、戦力を削る好機ではありませんか。駒が無い策士ほど、滑稽こっけいなものは無い」


『欲を出すな、ラフィス。油断が許されない敵なのだ……僅かな情報から、糸を手繰たぐるようにコチラの全てを見透かし我々にとってとなる結果を残す……推察ではあるが、ただゴブリンの軍勢をまで戦局を動かした男だ』


ラフィスは知らなかった。何故に魔石の向こう側に存在する仲間アーティーがそこまでの警戒をうながす相手の正体を、と思える程に常識外れな思慮を尽くす存在である事実を。



彼はいまだ、身をって知らない。


『今頃は、お前との接触——聖騎士の動きの報告を仲間から受け、我々のバルピスの目的を含め、お前が持っているものの存在を気取られている恐れすらある……だが状況を見てコチラが手を出さなければ奴等から手を出してくる可能性も薄い』


『絶対には手を出すな、これは命令だラフィス。そして友としての頼みでもある……奴等の事は監視役のガレッタとブロムに任せて任務に集中してくれ』


そんな実感の沸いていなさそうなラフィスに対し、魔石の向こう側からアーティーと呼ばれた男はラフィスに危機を伝えるべく語気を僅かに強めつつの力説を重ねた。


狩るよりも守らなければならない時——何やらと意味深な言い回しでと称する物は、アーティーの口振りからも彼らの直近の敵よりも優先すべき重要な物なのは間違いない。


けれど、吊り目で細い眼を僅かに見開くラフィスにとって——



「……私より、のガレッタとブロムの方が適任と。あの顔を隠した女の正体を明るみに出来ればベルエスタのかたきつ絶好の機会でもあるのに」


さもすれば、アーティーの言葉の節々に滲む臆病から来ていると思える不安や杞憂の方が彼にとってはだったのかもしれない。


さびしさ故の嫌味がこぼれたように、口ずさんだラフィス。


『ラフィス‼』


すると、その言動に何かを察したアーティーの怒りが飛んだ。ねてわざとらしく語弊と誤解を行ったものの子供じみた態度をいさめ、悪ふざけを行う子を叱るが如く飛んだげき


今は冗談を言っている時ではない——その名呼びには、そのような想いと感情が潤沢じゅんたくに込められている。


されども、足下の分厚い橋レンガの——経年劣化で砕けたのだろう欠片をラフィスは表情を変えぬ静やかさで蹴り動かす。


「——何度も言われずとも分かってますよ……そこまで信用頂けませんか、任務は確実に遂行すいこうします。だ、そして——アナタが我々のリーダーなのも変わりない、……から。そろそろ連絡を終えます、あまり単独で動き過ぎるとに思われる」


それからラフィスは、ゴロリと不貞腐ふてくされて転がったレンガの欠片を、ひまを持て余していた足で踏みにじり、前後に転がしてレンガ調の橋に擦り付ける動作。


口にする言葉は神妙を装っては居ても、冗談の通じない堅物を笑うように飄々ひょうひょうと流れ、重みは無く、何処か軽い。


『……頼んだぞ。全ては、を果たす為だ』


「ええ。まで——は一つだ」


まるで、心にもない事を語っているが如くの様相——しかし、それを怪訝けげんに思えども確かにラフィスの言い分通り、時の浪費は避けるべき。


加えて仲間を信頼すべきかとも思い、或いは信頼を損ねている訳では無いとラフィスへ示す為にもアーティーと呼ばれた男は魔石越しに渋々と最後の警鐘を放つに至る。



そうして、黒い魔石が放っていた淡い光は途絶え、それを持っていたラフィスの腕はだらりと脱力して体にぶら下がり、場に訪れるはしばらくの無音——


やがてラフィスの首が持ち上がり、吊り目の細目が再び僅かに開かれて彼の視界に入るのは山橋の街バルピスのくらくらい橋の裏。



「——…アーティー、アナタは変わってしまった。もうアナタは、私すらも信じてはくれないのですね。勇猛で大胆、仲間への侮辱は絶対に許さない……薄暗闇の中から我々を光へと導こうとしたアナタはもう……」


寂しげに嘆くラフィスは瞼の裏に似た橋の裏の光届かぬ闇を見つめ、やがて陰鬱いんうつな過去を思い返すように項垂うなだれて悔恨かいこんの息を吐く。


それでも彼は、闇をはらうが如くきびすを返し、バルピスの街の路へと強い覚悟を抱え背筋を正して歩みを始めた。やはりアーティーと呼ばれた男の忠告、命令など何処吹く風。



「これも魂ののせいか……ならば成し遂げる他はない——待っていてください。アナタの……我々のうれいを、この私が見事に晴らして差し上げます。この身に宿る忌々いまいましい力を用いてでも」


己が抱える自負心や信条、独善。

果たして誰も信じていないのは、誰の方であろうなどと聞くまでも無い。


「全ては——あの日の約束を果たす為に」


冷ややかな細目の奧に灯る妄信もうしんほむらは、平穏を装う橋の上の雑踏の向こう側へと贈られて、いずれ橋の上を飲み込む大河の奔流を予感させた。


これもまた、運命——しゅでありながらと相成る命が運ぶ、魂の一滴いってき

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