第87話 初めてのお使い。4/4


当然なのだろう、無垢にして無知——野生の中で生まれ育ち、良くも悪くも世俗の事など学ぶ機会すらなかった少女が歩み出し始めた新たな世界で、


「どうしたの? デュエラ」



「わ、ワタクシサマ……お、というものをしてみたいのですが‼ 向こうのは、お買い物が出来る場所なのですか⁉」


満を持してと少女は眠る前に聞かされていた御伽話おとぎばなしに記されていたような事柄を見つけて、僅かに照れを淀ませつつも嬉々としたきらびやかな雰囲気を弾けさせる。


夢にまで見たと少女が指差した先には、小さな軒先の簡易な移動販売店のような建物。けれど常人からすれば、そんな何の事は無い街の一般風景に導かれるままに視線を流し、カトレアは少女の夢に怪訝な反応を示す。



「——街の屋台……いや、しかしは……」


 「いいよ。お金は出してあげるから一緒に行こう」


だがカトレアが言葉を言い終わる前に上書きするようにセティスが一歩前に歩み出て、言葉をさえぎって素知らぬ顔でデュエラの要望を受け入れる構え。


「や、やったーなのです‼」


すれば嬉々と跳び上がらんばかりに両手を上げて、出店の屋台に向けて踵を返したデュエラ。一方で、言葉を遮られたカトレアは慌てた様子でセティスに思惑を問うのであった。



「せ、セティス殿……しかし恐らく——」


まるで、今まさにデュエラが向かっている屋台がなものであるかのように。


「大丈夫。これもまた、経験……ちょうど小腹も空いてるし」


しかしカトレアの危惧する何かを承知の上な様子で、ふところからジャラジャラと小銭の音が少なからず響く革袋を取り出したセティスも、デュエラと離れ離れにならないようにカトレアを急かしつつ屋台の方へと歩んでいくのである。


そして——、屋台の前に辿り着き、



「へい、いらっしゃ……いらっしゃいませ。何かご注文で?」


店前に人が訪れた事を察した店主の男が、一行の顔を隠す怪しげな格好に戸惑いつつも心整えて接客を始めた頃合い、



「……ほら、デュエラ。ここに書いてる欲しい物を伝えるの」


屋台での買い物を希望していたデュエラは、いざその時になって知らぬ人と関わる事を怖気づいたのか、自分よりも背丈の小さいセティスの後ろに隠れ、様子を伺っていて。


その様をセティスがなだめるような口調でそそのかせば、胸の動悸どうきわずらうような振る舞いで恐る恐ると様々な商品名の記された看板の前へと腰低く、歩み出る。


「は、はい……えっと……この串焼きの……リュリュリカ? で御願いするのですよ」


「うん、良いと思う。他に欲しい物は?」


 「あ、えっと……このパンの……この文字は——ま、マリ……シカ?」



「マリュシカ、ですね。ココとココの文字並びで少し発音が変わるのです」


 「あ、はい——じゃあ、それで」


見守っている背後の二人の反応を気にしつつ、戸惑いながら看板の文字を眺めるデュエラ——カトレアやセティスと覚束ない会話をしながらに初めての買い物で買う商品を品定めていく。


やがて、買う商品も決まり、注文の時——


「ちゃんと店員に自分の口で伝えて」


 「あう、は、はいなのです‼」


セティスに促され、臆してしまった店主との応対をせざるを得なくなったデュエラは改めて背筋を伸ばし、僅かに顔布を揺らしながら息を飲んで店主と向き合った。


「「……」」


——緊張の一瞬。

デュエラのが店主にも伝わり店主の頬にも戸惑いの冷や汗が一筋流れていそうな雰囲気。僅かにも長く感じる沈黙の時間。


「リュリュリカとマリュシカを下さい‼ なのですよ‼」


単にそれだけの事が、デュエラにとって一世一代の挑戦であるかのようで。


されども、

「へい……それで数は」


やはり店主にとっては、これからも何千何万ともこなしていく出来事でしかなく、威勢よく一気呵成いっきかせいに声を放ったデュエラの声量に戸惑いはしたが冷静に対処し、接客を続けていく。


「え、数……えっと……」


傍から見て比喩として有り余る温度差であった。これで終わりかと思い込んでいたデュエラは、店主の落ち着いた指摘、或いは単なる確認作業に出鼻をくじかれた様子で慌てふためき始める。



すると、その様子を見かね——助け舟を出すように、少女の困りげな表情を顔布越しに向けられたセティスが、デュエラに向けて提案と共に了承を贈った。


「数は人数分、ずつ……いや、ずつにしよう」



 「は、はい‼ 四つずつ御願いするのですよ‼」


そうして困惑の気配を一瞬にパアと明るく忙しなく切り替えて、改めてと初めての買い物に向き合うデュエラ。


しかし、彼女にとっての難解な試練はまだ続く。


「かしこまりました。マリュシカのは如何なさいますか」


 「え、え……と、トッピング?」


何の事は無い事なのだ、知ってさえ居れば、経験して居さえいれば、人の世で生きてさえ居たら——そのような事が、デュエラには難しい。何を選ぶかというより、選べるという事実すらも。もはや未知の経験。


些末なホットドックに似た商品の具材を選ぶ、トッピングという言葉すらも耳慣れない概念。意味不明な言葉。


故に、セティスは再び向けられた救援を求める視線に少し考えを巡らして、背後で待ち始めた新たな客の気配に視線を動かしながら、ここから先はと思惑を切り替える。



「そこは流石に、まだ難易度が高い。定番ので」



 「合わせてお飲み物などは」


「——今は必要ない。合わせて幾ら?」


そして——ここに至り、何故にカトレアが当初、デュエラの純無垢な願いに難色を示したかの理由があらわになる事になるのだ。


「……になります」


「さんじゅっ……はちっ——‼」


店主の告げた商品の合計金額に、覚悟はしていても、やはり思わずと声を荒げようとするカトレア。この時、もしもセティスが咄嗟にカトレアの服のすそを引っ張るような行動を取らなければ、カトレアは屋台越しに店主に掴み掛かっていたかもしれない。そのような剣幕。


けれど服の裾は引っ張られ、衝突は避けられて背後の客の貧乏ゆすりのような軽い足踏みの音が僅かに耳に届いたのだろう。


「じゃあ、デュエラ。この中から、お金を払って商品を受け取って来て、私たちは少し離れて見てるから」


「あ……は、はいなのです……‼」


こうして、カトレアやデュエラの戸惑いの中、セティスは持っていた金銭の入った革袋をデュエラに手渡し、会計を任せてカトレアへ誘うような眼差しを送って暗黙の内に屋台から少し距離を取った。



「——……良いのですか、セティス殿。幾らデュエラ殿の経験になるとはいえ、あの量と品で合計が三十八リアラはが過ぎます、恐らく正常な価格の以上ですよ‼」


やがて、会計を済ませて商品の受け渡しを待つデュエラを他所に、ひそひそとしながらも語気を強めるカトレアの言い分がセティスの耳を傷めつける情景がハッキリと顔を覗かせ、


「それが、今のこの街の。それが吹っ掛けられるくらいの状況という事、あの財布の中身はほとんどイミトの持ってたお金だから気にしなくていい」


屋台の通常では考えられない料金設定に対し、様々な考慮と言い分をセティスに答えさせるに至るのである。


「いや、ですが……旅費は節約に越した事は——この分だと、今晩の宿代も相当の価格になると思われますし、値切りをするなどの交渉の余地もあったのでは?」


それを受けて尚と堅実な性格であろうカトレアの、もっともな意見。

しかしセティスの平静は揺るがない。



彼女の言い分は、こうだ。


「まぁ、後ろにが待っていたとしても、あの店主の顔色を見れば幾らかは安くなっただろうけど……いきなり値切り交渉をを楽しみにしてたデュエラに見せるのは教育としても、どう? あの子の性格なら買い物を望んだ事そのものを後悔するに決まってる」


「うぅん……それを言われると胸が苦しい話ですが、しかし」


これもまた、正論。経済学、或いは経済観念においては合理的では無い感情論ではありそうではあっても、価値観の違いで生じる。とりわけ真面目なカトレアにとっても、経済状況と善人としての道徳をはかりに掛けられ、良心の呵責かしゃくに悩み気圧されてしまう理屈なのである。


加えて——

「御二方サマ‼ ちゃんと買えたので御座いますよ‼ 一リアラ銅硬貨が七枚しか無かったので四枚の十リアラ銅硬貨で払って、えっと……お釣りが二リアラ‼ お釣りの数も数えられたので御座います‼」


「——ん。間違いない、良くできたね」


商品を抱え、あまりにも輝かしいゴキゲンで走り寄ってくるデュエラの雰囲気に水を差すような事はカトレアには出来ないのであろう。


「へへへ……セティス様が色々と旅の間に教えてくれたから出来たので御座いますよ。ありがとうなのです‼」


 「——……勝てませんね、ホントに」


三十八リアラという金銭を惜しみ、この笑顔を失えるかとカトレアは己に問う。そして彼女は、小市民な己の浅はかさを自覚しながら肩を落として呆けの息を漏らしゆく。



「? どうしたのですか、カトレア様?」


 「あ、いえ……では早速、デュエラ殿の買ってきた物を食べませんか。そこらのベンチにでも座って休みたくも有りますし」



そうして様々な思惑や出来事を纏い、絡み付かせながら、デュエラの初めてのお使いが終わり告げ、いよいよと山橋の街バルピスでの彼女たちの冒険が、前途多難な和やかさで始まるのだった。


——。

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