第88話 橋の上の出会い。1/4


ともあれ、まずは腹ごしらえか。


「ええ⁉ 普通だったら十五リアラくらいでが買えるのですか⁉」


 「——……結局、教えるのですね」


バルピスの街の関所を抜けた先、恐らく山を掘りて人工的に創られたのだろう広々とした洞穴広場の休息所に少女の驚愕と、騎士の嘆きの声がむなしく響く。自由に解放されたテーブルの一席を囲みながら、そこの屋台で買ったばかりの屋台飯をテーブルに並べての細やかな談笑。



「それじゃあワタクシサマ達は、あのお店の方にので御座いますか⁉」


顔布で顔を隠す少女デュエラは、驚愕の事実を今更と告げた覆面の魔女セティスに何故に教えてくれなかったのかと明らかな動揺を声と身に宿しながら疑問を詰め寄らせて。


しかしそれでも、


「——騙したのとは少し違う。お店の商品の値段は、流動的……つまり、その日の状況で値段が変わるの」


セティスは静かに教鞭きょうべんを振るうように腰に身に着けていた水筒を昼食が並ぶテーブルに仲間入りさせつつ、デュエラの問いに彼女なりに答えるのである。


語らうは勉学。社会学、経済学。


「旅の途中でも、動物が狩れる時と料理に使える野菜や果物が採れない日があるみたいな感じ。野菜が沢山あって、肉が少ししか採れなかった日は肉が食事の時にになる」


それら——詳細的確に理解するには多くのはげみを必要とする事柄を、社会的には無知なデュエラにも分かりやすいように、彼女の知識の範疇はんちゅうで理解出来そうな例えを用いて表現し始めるセティス。



「うん? えっと……な、なるほどなのです……」


すれば唐突に始まった講釈に戸惑いつつも、セティスの言葉の意味をデュエラは考え出して、取り敢えずの納得を言葉にして漏らした。


「例えば、この間のエルフ族の里で野菜ばかりの天ぷらが晩御飯の時あったよね? あの時に、もしも肉とか……デュエラの好きな料理を何でも食べられるとしたら?」


「あ……それは、とイミト様に御願いするのですよ‼ 天ぷらは美味しかったで御座いますが、あの日は肉が食べられなくて、少し寂しかったので御座いますです‼」


自らが体験してきた事柄を用いて進む見識の蓄積、有識者いわくだろう——それらが些か理解させたい概念から的外れていたとしても、場当たり的に漠然とでも如何なるものかと云ふ事を教えはぐくもうという構え。



——孤独の中で生きてきた彼女がこの先、人々の中で暮らすのならば、


「じゃあ、その代わりに、いつもは十五リアラのお金で作れる物だけど三十八リアラをくれたらデュエラにだけ肉料理を出してあげるとイミトが言ったら?」


金銭授受、社会の仕組み、経済観念、最低限でも生きる為に必要な常識を倫理に深く根付かせねばならない。騙されないように、いさかわないように。


「——なるほど……何となく分かってきたのです。貴重品ほど、払わなきゃいけないお金が増えるので御座いますね……皆様と同じ野菜料理の晩御飯なのに、ワタクシサマだけお肉を食べる為には特別なお金を払わなければならないと」



「そう……簡単に言えば、そんな感じ。この街では普通の食料品の数が少なくなっていて、珍しくなっているから普段より多くのお金を払わなきゃならない。


 お金というのは、食べ物以外の服や武器、料理の道具とかとも交換できる物だから皆、お金を増やしたり大切にしたりする……分かった?」



こうして地頭の良さを匂わせるように、セティスの言わんとする事を察するデュエラに講義の締め括りを送るセティス。小さく一息を吐きつつ、テーブルに置いてある商品の一つの包み紙を剥がし、少しパサついた見た目の具材を挟み込まれたコッペパンのような昼食の姿を露にさせた。


だが、しかしながら、セティスの講釈で大まかな事情を理解したがゆえに、


「——はい、でしたらワタクシサマの我儘わがままで、そんな大切なお金を御二方サマにに使わせてしまったという事……なのですね。分かったのです……少し、初めてのお買い物で浮かれてしまっていたのですよ」


セティスやカトレアが杞憂していたように、己が下手くそに買ったテーブル上の商品に向けられる面持ちには、顔布で見えぬと言えど後悔がにじむ。


賢く、優しいが故の、反省。



「いや……、それは——」


その様に女騎士カトレアは義憤に駆られ、彼女の後悔を否定しようとする。だがその前に、冷徹に突き付けられるセティスの説教めいた溜息が耳を突いて。


「——何も分かってない。食事は絶対に必要だし、これから街で色々な買い物をする上でデュエラにお金について教える意味もあった」


「……」


どうして、わざわざと損をしてまで無知なデュエラに初挑戦という冒険をさせたのか。その真意を冷淡な表情で語りながら、セティスはあの男のように批判的な口調の、それでも裏に他人の為をおもんばかるような言葉の続きを紡ぐのだ。



「最初から無駄なお金の使い方なんて無い。大事なのは、お金を使った物を無駄にしない事」



 「——割と美味しいよ。イミトの作る御飯よりは大雑把で確実に劣るけど」


先んじて協調性も無く、一口食べ始めた昼食。相も変わらないセティスの無機質な表情には、如何ばかりの想いと感情があるのだろうか。



そして——

「我々にとっては当たり前の物ですが、改めて経済観念の説明をするとなると難しい物ですね……ですが、セティス殿の言う通り、無駄な買い物では無かったと私も思います」


慌ててデュエラの認識違いを訂正しようとしていた女騎士カトレアも、セティスの冷静さに感化されたように落ち着きを取り戻し、デュエラへと己の考えをつづり始める。



「イミト殿やクレア殿は、この街に来た事は無かった様子ですしツアレストの文化にも見識が薄いようです。高い買い物で失敗した事や街の様子、食べた物の味や感想。土産みやげとは——お金で買える物ばかりではありませんよ、デュエラ殿」



「うん。特に食べ物の味や感想は、イミトが一番に望んでいる情報だと思う……土産話に丁度いい」


初めての買い物、初めての言葉たち。



「……、で御座いますか」


何も知らぬ少女は、湖に投げられたスポンジのように、一度は水面に浮かび、地に足が付かぬような雰囲気で揺蕩たゆたいながら徐々に、徐々に水を吸い込んでいくが如き様相。


何よりも少女は感じていた。


「兎に角、デュエラ殿はデュエラ殿のまま、この街での時間を楽しめば良いのですよ。分からない事や気になった事は遠慮なく我らに聞いて頂いて」



「土産話だけじゃない。イミトの料理道具とか、これから沢山……買い物をする事になる。お金は、それなりに用意があるから問題ない。デュエラにも荷物持ちとかで働いてもらうつもりだから、これからも我儘わがままの一つや二つは気軽に言うべき」



知なくとも、知はありて——人の情けや温かさ、何よりも頼もしさ。



「——はい。ありがとうなのですよ、御二方サマ。ご迷惑おかけするのです」


もはや少女は独りでは無い。その事だけは明確に、少女は悟り、穏やかに笑むのである。

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