第86話 山橋の街バルピス。4/4


唐突に始まった競争、野生の中で生まれ育ったデュエラにとっては初めての事柄。

逃げるでもなく、獲物を捕らえるでもなく、ただ追い付き、追い越すという行為。


「……——なるほどなのです、に速いのですねセティス様」


カトレアやセティスの行動を目の当たりに、その意味を、遊戯ゆうぎ漠然ばくぜんと理解した少女は——それでも焦る事無く、少しかがんで履き慣れぬ靴を整える。


「お靴を履いて本気で走った事は無いので御座いますけ……ど——‼」


他の者たちが生んだ暴風に煽られ彼女が身に着ける顔布が揺れて、露になるのは野心を感じさせる小さな笑み。腰を低く構え、踏み出した一歩は余りにも静かに、しなやかに弾ける。



そうして彼女の姿も、一瞬にして立ち止まっていた休息地から消え去った。


***

そんな頃合い、誰よりも先んじて勝負開始に飛びついた女騎士カトレアは今も尚、決して手を抜いている訳ではない。崖に小さな氷の足場を魔法によって創り出しつつ、最小限の消費で最大限の移動距離を稼げる多段ジャンプを右や左と繰り広げている。


「——出発から数秒の差。これでも、以前より格段に空中歩行の速度は上がっている筈なのですが……魔道具を用いているセティス殿はかく——」


そんな最中、常識的に見れば圧倒的な差とも思える下方との距離であっても、カトレアは不穏を肌で感じ取り、移動を止めぬまま冷や汗を一筋流して。



「振り返るまでも無いですね……二人とも、もう直ぐそこの背後まで——」


何かが迫る——腹の底が締め付けられるような気配。


「——お先」


カトレアがそれを感じた瞬間に通り過ぎるは猛烈に推進力の根源であろう魔力を噴き出すセティスのほうき。すれ違いざまに投げられた短い言葉が、やけに鮮明に印象的で。



「いやいや、話し掛ける余裕まで魅せつけてくれますか」


返事をする暇も無く遥か頭上へと過ぎ去った背に、思わずの苦笑いを浮かべてしまう始末のカトレア。そして更に——



「——【行軍龍歩サティアフル・メデュラッサ】」


どういう訳か、セティスの空飛ぶ箒のような魔道具を用いていない彼女の声が一歩ほど遅れて耳を突き、彼女の断崖を駆る黒豹くろひょうの如き四足歩行の肢体がカトレアの真横を通り過ぎる。


更に、

「デュエラ殿の空歩——しかし、この数は」


そうカトレアが驚く程に、デュエラの得意魔法である無数の透明なまるい足場が突如として無数に周囲、進行方向に無造作無作為に出現し始めて。


「——カトレア様、お先に往かせて貰いますです」


刹那——カトレアの先に回り込み、言葉をつむぎながら崖から飛び出す黒き四足獣。重力に身を委ねつつ、猛烈に回る球体に見える程の勢いで前転した少女は、別れを告げたにも関わらず何故か一度は登った崖を唐突に回転したまま降りゆく。



すれば、その少女の動きに呼応するが如く頭上に幾つも創り出されていた透明な円い足場も下方に落ち始め、少女の向かう崖の下へと収束し始めた。



「なぜ下に——いや、魔力で創ったを、バネのような構造に——‼」


 「【弾龍飛翔リグロ・グランティアラ——‼】」


それは目を凝らせねば見えぬ透明な足場の層——肢体を回転させる事によって生まれた重力加速で足場をきしませるデュエラは、足場の臨界点に際し、腰を低く跳躍の構えを魅せ、


やがて——跳び立つ。



「……魅せつけてくれます、本当に。幾ら怪物とそしられようと、未だ私は凡人と‼」


あらゆる力を受け止めた足場の反発は一点に集約し、一瞬にして少女の身体を先を飛ぶセティスの元まで運ぶ。女騎士カトレアは、その刹那の衝撃に更なる苦笑。



だが——それは脅威を感じると同時にされる事柄でもある。



、貴方の力——少し借ります【氷柱水砲ツララ・リュシフェッド‼】」


様々な試行錯誤にカトレアもまた、新たな挑戦を始めるべく両手に蒼白い光を灯すのだ。


***

「——目標まで数十秒。だけど、充填した魔力はギリギリ……」


 「セティス様ぁ——負けないので御座いますよぉ‼」


そんな事とは露知らず、固く重装甲に変貌を遂げている空飛ぶ箒がそれでも限界を迎えそうな震えを魅せる様に視線を落としたセティスへ、再び透明な足場の魔法を次々に発動させて追い付いてきたデュエラの嬉々とした声が飛来する。



「……単体で出せる速度が常識外れ。ジャダの滝で生まれてバジリスクの群れに追われながら独りで逃げ回って生き延びてきたと言うのも頷ける」


「でも——長い時間の中で人々が紡いできたも、甘い道のりでは無い、から‼」


——怪物。一個の生物としての性能に驚嘆を漏らしつつ、セティスは己が誇る人類の叡智えいち——空飛ぶ箒の柄を強く握り直し、空を見た。



「——⁉ 加速するので御座いますか⁉ そこから‼」


再びセティスの掌から溢れ出た魔力の気配、威圧感。巻き起こる山風では無い突風に揺れるデュエラの身に着けている黒い顔布の裏で、金色の瞳孔は見開かれる。



そしてその刹那——世界を知らぬ獣は、本能にて何らかの別の脅威を直感したのだ。


「⁉ 下からも何か……は、カトレア様⁉」


瞳孔開かれたままに振り返った少女が目撃するは、蒼い氷のつばさと水と冷気を吐き出す筒二つを両肩の背に備える騎士の姿。



「ユカリが秘めているの記憶と、セティス殿の魔道具の機構を基に温めていたを、こんな所で使う事になるとは——思いませんでしたよ、私も‼」


漆黒の仮面を身に着けた変貌の騎士は、僅かに速度をゆるませた少女の隙を突き、彼女の傍らを通り過ぎる。


さぞかし少女には、それら衝撃な出来事であったろう。



「……凄い。はは……凄い、凄いのですよ、御二方サマ‼ アハハハハ‼」


「ワタクシサマ、何でしょう……こんなに胸が高まってるのに、苦しくないのです‼ ハハハ」



「今なら——何処までも、何処までも走って行けそうなので御座いますよ‼」


己よりも肉体的に劣ると思っていた者たちが、己の先を往く。

故に、小さき場所、生まれた場所に居たままでは決して試される事は無かった限界のその先を直感する少女は、視界が開かれたが如く笑うのである。



浮かぶ満面の笑みは——或いは共に遠慮も無く同じ速度で歩んでいける同志を見つけられた感動によるものか。


「……——鎖が解けた。本当に、哀しい子」


 「頼まれていた事なのですか、セティス殿。あの男に」


「——別に。でも、そういうつもりだろうから、そうしてるだけ」



「セティス様‼ カトレア様‼」


走る、駆ける、跳ぶ、飛ぶ。懸命に走り、先を往くものに追い付く充足感が、孤独だった少女に興奮と歓喜の声を解き放たせる。



「世界は——広いので御座いますね‼ イミト様と初めて出会った日を思い出したのです‼」


 「「……」」


速度は異様、それでも並ぶ三人の姿。


「もう随分、上まで来た。良い景色だよ、見てみると良い」


 「はは、本当ですね‼ これは絶景だ」



「はい、地面の端っこまでハッキリと見えるのですよ‼」


険悪な雰囲気は最早なく、なごやかな微笑みが断崖山脈の対面——広大な世界の水平線に向けられている。


が、それもつかの間——

「——隙アリ」


 「あ、ズルい‼」


視界の景色に他が気を取られた一瞬に、空飛ぶ箒の魔力を振り絞ってセティスが再加速。それに遅れて気付いたデュエラも追い掛け、



「まったく……まだ加速できるのですか、お二人とも」


足並みのそろった三人は再びバラバラに別れ、女騎士カトレアは、己の限界に息を吐くばかりであった。


***

そうして瞬く間の勢いで辿り着く山橋の街バルピス。


「——大人げないけど、勝負は勝負。私の勝ち」


飛行する者が街に入る為に作られた崖から伸びる先の無い橋の上、箒で飛行してきた魔女セティスが競争の勝者の如く、盛大に箒から跳び下りて変形していた箒に溜め込まれていた余力を掌で回転させる事によって解消する。


「セティス様‼ 相手の邪魔は禁止だったはずで御座いますよね⁉」


 「攻撃では邪魔はしてない。私は景色を見るのを勧めただけ」


次に橋の上に辿り着いたのは、遥か上方に飛び上がった後に降り立つ黒い顔布を纏う少女、デュエラ。競争の結果に不服を申し立てる彼女は、乱れた衣服を冷静に整えるセティスの下にズカズカと歩み寄り地団太を踏んだ。


そして——

「はぁ……はぁ……何故あの速度で飛んできて、そのように……元気に喋れるのでしょうか……高地で空気も薄いというのに……」


魔力の多大な消費のせいで疲弊した様子で息を切らすカトレアも到着し、セティスやデュエラの近くで片膝を突いて敗北を漏らして。


一行の旅路は、ようやくとか一区切り。


辿り着いた山橋の街バルピスは、そんな彼女らのな登場に、


『動くな‼ 何者だ、貴様ら‼』


多勢の人員を用いて盛大な歓迎の色合いを魅せ始めていた。


「……少し目立ち過ぎたけど、まぁ何とかなるよね」


 「少しで、この数は集まらないと思うのですが……はぁ……」



多くの兵士に途切れた橋の先に追い詰められた格好で、それでも平穏。


「うーん‼ もう一回、始めからやり直したいのですよ、ワタクシサマ‼」


 「駄目。私の勝ち、するから少し大人しくしてて」



こうして荒々しい彼女らの旅路は、次なる展開の様相を忙しなく彩っていくのである。むしろ、ここからこそが彼女らにとって本当の冒険譚になるのだろう。


天上にそびえる山に掛かる橋の街バルピスは、とても悠大に人々の思惑を巨大な橋の下の暗がりに抱え込んでしまっているのだから。

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