第87話 初めてのお使い。1/4


未だ、あたかも夢幻ゆめまぼろしを見た後のような気怠けだるい寝起きの如き様相で。


「——ふぅ……だいぶ体が楽になってきた。体の内側が傷だらけなのが治ってる訳じゃないけど、贅沢せいたくは言えねぇわな」


まりよどんでいた息を吐くように小首をかしげて馬車の御者台の支柱に寄り掛かるイミトは、セティスらの旅路が最初の難関に差し掛かった事も知る由もなく、さりげない感謝を太腿の上に抱えているクレアの頭頂部に告げる。


すると、クレアはその回りくどい言い回しに侮蔑ぶべつの鼻息を漏らして。



「ふん。治癒魔法の一つでも使える者でも恩を売ったエルフ共の中から連れて来れば良かったであろう。


 特に、あのという小娘ならば貴様に嬉々として着いて来たに違いあるまい。何故、守られるかも分からぬ潜入任務だけ与えて去ったのか」


そして——合理効率と掛け離れていたイミトの過去の判断を静かに糾弾きゅうだんするが如く、ひと摘まみの嫌味を交えつつ、判断の意義を問う。もはや戻れぬ過去、魔法に長けたエルフ族の窮地きゅうちに助力を送ったイミトであれば確かにクレアの言うように義理に厚いエルフ族の恩義を受ける事も容易かったかもしれない。


しかし、その助力が——


「……そりゃお前、俺達とリエンシエールの血族が繋がってると疑われない為だろ。万が一にでもエルフ族とロナスの街をが接触しているのを見られたら、も台無しだ。人目は避けるのが最良ってな」


表立って世間に公表できないを抱えて居なければの話である。当然、それを自覚するイミトはそれゆえに当たり前の如くクレアの述べたような甘言に近しい後悔を否定するに至るのだろう。


無論、クレアもまた——それを解った上でリスクを受け入れメリットを得るべきだったのではという細やかな言い分なのも承知の上での否定。


むしろイミトが気になった事と言えば、


「ていうか、。お前が旅に同行する奴を増やせば良かったとか言うの」


クレアの発言が意味している批判そのものよりも、彼女の性格からは考えられなかった他者の力を借りるという思考回路の存在であろうか。個の力に長けて、孤高に誇り高く生きてきたデュラハンという魔物の変化の機微をイミトは感じ取る。



「別に、我は最も合理的だと思った判断を精査しておるだけだ。そこに好きや嫌いの介在する余地など無いわ。阿呆が」


それが例え、一瞬の気の迷いだとしても——それは紛れもない変化には違いない。故に不遜に瞼を閉じて反吐を吐くが如く否定するクレアの態度に、イミトは興味深げな笑みを浮かべた。


そして——敢えてその事実を深く掘り下げずに、


「確かに、一見すると治癒魔法なんて言う便利能力は、よだれが出るくらいには素敵な蜂蜜はちみつ色をしてるからな。けどまぁ、甘いだけが美味しいとは限らないのが世の中の面白さだよ、クレア」


エルフ族に対する判断の是非についての話をイミトが続けたのは、クレアの変化が茶化すべき事柄ではないと思っていたからであり、円滑な会話を勧める為に触れるべきではない事だと悟っていたからなのであろう。



「……どういう事だ」


些か鼻に突く悪辣不敵な余裕の笑み、己の片割れが悪しき思惑を抱いている時にまま漏らす声色にクレアは怪訝な一声を突きつけた。


すれば、

「こうして——お前らに心配されて、両手で綺麗なっぺた抱えてても殴られないなら、治癒魔法なんて物の魅力は、そこらに生えてる雑草と同じ程度だって話」



 「——聞いた我が阿呆であった。もう少し苦しませておった方が良かったようだな、やはりは不愉快極まるわ」


崩れていた本調子が徐々に歯車を噛み合わせて行くような軽口、真面目な話に茶々を入れられ不機嫌なクレアが眉を顰めるのも道理。されども、イミトの対応に辟易としつつも本気の怒りを放つでもなくあくまでも不機嫌——淡々と男の悪癖に呆れ果てる様子でクレアは声を押し返すに留めるのである。



「かかっ……まぁ真剣な話……今回、エルフ族を置き去りに出発して二手に分かれた理由は、大きく分けてある。意地やら見栄やら気遣いやらは置いといてな」


 「——……」


何故ならば、やはり男の悪ふざけは無視に限る。下手に噛みつけば、じゃれつく事を了承したと言わんばかりに増長して何処までもふざけ始めるのだから。


そうして未だ平穏に野原を進む馬車の上、イミトは暗黙に努めるクレアの対応に場を整え直されて、イミトは一息を突いた後に話を再開するに至る。



「まず一つ目は、さっき言ったことに関連してるけど、敵に俺達がエルフ族を利用してジャダの滝で先にバジリスクと戦ってるツアレスト側の情報を探ろうとしている事をようにする為だ」


血に塗れていた布切れが陽の下にて渇き始める中で、遠く馬車の進行方向の景色の変わらぬ野原を眺め、影深い瞳孔に浮かぶや暗き思惑。



「……ふむ。確かにエルフ族の潜入前に先手を打たれるのは美味くは無いな。考えてみれば出張でばっておる戦場だ、間違いなくも潜入しておるだろう。かなり危険な役割とも言えるな」


いさかい、争い、くだらぬと分かっていても尚——馬車が掻き分け、野原に吹き抜ける風の壁を突き破りながら止まらぬ時の中で運ばれて、徒然なるままに挑まされるいくさ



先を見据え、失いがたい物が為に回す思考。


「ああ。エルフ族との連絡と連携は、の時にレネスさんに渡したままにしたで取れるし、過剰な接触でコチラの思惑をに事前に知られるリスクを避けた訳だ。


 まぁどのみち、前回の件でエルフ族を助けた時点で先読みはされるかも知れねぇが、それでもな」


最善を尽くす。最良を求める。最善とは何か、最良とは何か。


気怠く首を傾げて己や世界に問うが如く、斜に構えたイミトはクレアとの協議にて見解、見識を改めて己の中で構築しているようでもある。



「んで二つ目は、情報収集。主観じゃない第三視点からの情報が欲しい。国全体としての動きとか雰囲気、を割と自由にする事で、と繋がっているツアレストの王族からの返答や結論を待つ時間の猶予ゆうよの意味合いもある」


何故なにゆえに旅をするか、何故なにゆえに旅をさせるのか。



「そういう意味じゃ、貿らしいパルピスの街は丁度いい場所だと俺は思ってる。やっぱり商人は情報通や時事ネタに敏感で詳しいのが多いから、頼んだセティスの働き次第でジャダの滝での戦況とか有益な情報も多いはずだ」



 「うむ。それらは事前に聞いておった……して三つ目は何ぞ」


だがそこまでは、皆々を納得させて既に過ぎ去ったに過ぎない。



問題は此処からであった——それは、敢えて別行動を取らせたセティスらを含め、クレアにも未だ語る事を憚っていた理由なのである。

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