第86話 山橋の街バルピス。2/4


一方その頃、


「そろそろアヤツラも街に着いた頃合いか」


山橋の街バルピスへと向かうセティス達とは別の道、広大な遮蔽物しゃへいぶつが何も無い野原を歩く首の無い馬がく馬車の御者台に置かれた頭部のみの美しい女の魔物クレアは、ただ広い光景の暫く変わらぬだろう野原の先を見据みすえ、静かな声を漏らしていた。


その声の行き先は恐らく彼女の背後で空気通しの様相で開かれたままの馬車内へと通じる扉の向こう。馬車の中には、男が一人。


「コホッ……んああ、山脈丸々を使って作られたデカい都市だって言ってたから、今頃は街の入り口を昇り始めた頃だろうさ。なんかの騒動に巻き込まれてなきゃな」


扉越しに座り込む白黒の髪を頂く男は、力なく項垂れ——それでも普段と変わらぬ様子の軽口で女の魔物クレアに言葉を返しながら笑み色のわらいを浮かべて。


ただ——言葉の前の乾いた咳の音に混じる湿り気が不穏を悟らせる。


「——再合流の予定まで数日ほど。人の街を経由する奴等の経路の方が安全である事は違いあるまい。くだらぬ杞憂きゆうをせず、貴様は己の心配だけをしておればよい」


故にクレアは、後方に意識を向けつつ始まったばかりの会話に早々に区切りを付けるようにまぶたを閉じたのだろう。


しかし——

「かっ……気遣い痛み入るよ。まぁ確かに、そろそろバジリスク討伐の本格的な準備もしなきゃいけないし、色々と気を回してる余裕は無いな」



馬車の中でユラリと、よろけながらも立ち上がった様子の音が響き、開かれたままの扉にもたれ掛かりながら白黒髪を頂く悪辣不敵な男イミトが馬車の御者台へと訪れて。


「コホッ……コホッ……ああ、くそ……ブザマなもんだ、他人様にゃ見せられねぇ体たらくで」


咳き込みを押さえる片手では抑え切れない吐血が御者台の床にこぼれ、或いは馬が牽く回る車輪が彼の血飛沫をねた。けれど、イミトはクレアの横にかがみ——不敵な笑みを揺るがさない。



腰を落としたクレアの隣で、彼は外に向けて血のつばを吐くのだ。


まるで自業自得を説く運命に悪態を吐くように格好つけながら。

そのような血だらけの滑稽こっけいに、クレアは辟易と息を吐き、言葉を返す。



「何がブザマか……当然のむくいであろう。ただでさえむしばまれておったのに、ミュールズの件から無茶を重ねおって


 強いてブザマというなら、不調を他の奴等に悟らせぬ為に別行動を提案した浅ましき見栄に他あるまい。アヤツラも、それに気付かぬほどの愚かではあるまい」



ここまでのイミトの行動、愚考に呆れ果てつつも然して批判的では無い平常な口振り。ポタポタとイミトの掌からこぼれる吐血の音に耳を澄ましつつ、再び小さな息。


「へっ……知ってて止めないお前も、知ってて黙ってくれてるアイツらも良い女たちだと心から思い直してる所さ、グハ……ゴホッ」


如何に止めようと如何に怒りで抑えつけようと、意固地に止まらぬ事を理解していて彼女は傍らの彼の消耗に眉をひそませるだけに留めた。


更なる吐血、慈悲も無く車輪に吐き出されたソレは、やはりビシャビシャと道なき路に刎ね潰されて野原に死出の旅路のわだちを残す。



「相変わらず減らぬ口よ……痛覚を軽減しておるとはいえ、今や指の一つ動かす事も難儀なのであろうが……そのように消耗した体で、本当にバジリスクを討伐するつもりか。二日三日で治るものでも無いというに」



 「は……どちらにせよ、負ける為に戦ってるつもりはねぇから、安心してくれ」


二人の旅路——先に見据えるは巨大な蛇の魔物の巣。



「——ちゃんと俺ぁ、お前と生きる為に生きてるよ。クレア」


因果の渦に飲まれて、奇なる運命に導かれるまま。

原点に立ち返るようにイミトは、今は遠く感じる出発点の愛しい記憶を呼び起こすように嗤いながら思い起こすのだ。


強がりか、見栄か。女を口説く軽妙な物言いに滲むそれらに、やはりクレアは性根は変わらぬと怪訝な顔で辟易とした徒労を感じるのだろう。


しかしながら、


「ふん……生臭い血の匂いを漂わせおって。その言葉にどのような重みがある事やら」


「……さっさと我を抱えよ。今は貴様の治療が最優先であろう、我に触れておる間は貴様を蝕んでおる瘴気の影響を緩和しておいてやる」


そういった不快感に完全なる拒絶を魅せるまでは無く、仕方なさげにイミトの体調を気遣うげんを吐く様を見れば、まんざらでも無いのかもしれない。



「血生臭いこの手でか? 肌が荒れるぜ?」


或いは、何も反応を示さない事が最も適した反応であると理解しての事。

悪戯好きの悪童を容易くいなすように、



「——今さら慣れた香りよ。貴様より、我の身にこびりついておるものの方が酷かろうさ。人で例えるなら産湯うぶゆのようなものだ」


クレアは時と世の流れに身を委ねるが如く再びと瞼の裏の聡明な双眸を闇の中に浸し、過去を思い返すが如く答えを是と語る。


すると、イミトは少し考える間を置いて——


「へっ……くだらない傷の舐め合いは避けとくよ。けど、まぁ……こういう時間も良いもんだ。世辞でも何でもなく——お前と居るのが一番、心が落ち着くからな」


「……」


己をヘラヘラと嗤いつつ、許諾を得て重い体を動かしながら横にあったクレアの頭部を丁寧に顎下から抱えて御者台に座る己の腿に彼女の頭部を納めるイミト。


時の流れは静かに、歩き続ける首無し馬の速度も相まって穏やかな陽気の風を運ぶ。もうじきに真昼の太陽が世界を満面なく照らす中で、それでもやはり影はある。


「ふん、阿呆な事ばかり吐きよる、今回、貴様が奴等との別行動を思案したのは我と二人になる事でも、くだらぬ見栄が暴かれるのを防ぐことでもあるまい」


 「——主な狙いは他にあろうが。デュエラの独り立ちなどのな」



「なんだ、嫉妬でもしてんのか? 全部、ホントの話だぞ?」


 「真の狙いもクソもねぇ。俺ぁ、お前と二人になりたかったし、こんな無様に血反吐を吐く姿をアイツらに魅せて心配されたくなかったし、確かに世間知らずのデュエラに世界の様子を出来るだけ多く経験させたかったからでもある……他にもエトセトラ、エトセトラでな」



イミトと同じクレアの白黒の髪や、触れられている肌から通じて静やかな闇色のがクレアの頭部からイミトの身体へと流れ込んでいくような光景が、不吉な旅路を往く首無し馬の御者台で繰り広げられ、そんな最中にも片手間で彼らは会話を続ける。



「ふぅ……ジャダの滝でバジリスクの事が終わったら——いや、俺達の旅が終わっても、アイツには多くの道を残してやるつもりだ。本人が望もうが望むまいが」


やがて至る様々な岐路を想い、先を見据える彼らを運ぶ首無しの馬。



「戦う事が当たり前で、戦う事だけが、奪い合う事だけが生きる道だと無意識に刷り込まれてるからな、アイツも——色んな仕事や、生き方が世の中にあるってのは、ちゃんと分かってた方が良い」


今は歩みを共にしない者の道を夢想に描く彼らは、広大な眼前の世界に寂しげな恩讐の色合いを滲ませて。


「……ふん。大人ぶりおって、そう都合よく行けば良いがな」


「はは……確かに、期待は出来なさそうではあるけど、良くも悪くも経験だ。セティスやカトレアさんも居るし、酷い事にならない事だけを期待してる所さ」


幾つもの群鳥が、野原に転がる死体に群がるような——とても残酷で無関心で原始的な世界の光景を横目に眺めつつ、首無し馬もまた無慈悲に更なる道なき道を進み往く。



「なんにせよ、俺達ばかりに依存するのは、アイツの為にはならないからな。丁度いい機会、って奴さ


 ——それにしても、死にたくなる程に良い天気が続くなぁ、今日も」


それでも死体を漁る群鳥たちが遠くから走り寄ってきた別の獣に飛び掛かられて散り散りに飛び去っていく結末を眺めながら——


イミトは、とても穏やかに腿に抱えた断頭されたばかりの如き彼女の絹のような手触りの肌を愉しみつつ、口角の端から伝うよだれの如き赤色をぬぐって御者台の上で日向ぼっこに勤しみ始める。


相も変わらず罪深く、のんびりとした気の抜ける旅路であった。


——。

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