第84話 未来なき世界。3/4

***


そのように再びカトレアとイミトの思想が衝突しそうな話題が生まれた頃合いと等しい時の中、とある街の荘厳そうごんな施設の白き廊下を、のような礼装をまとう屈強な一人の大男が静かに足音を立てながら歩き、やがて到着した廊下と通じる部屋の扉を開ける。



「——……やはりからの報告は途絶えたままだ。に潜入している他の者からの報告と合わせて考えれば……」


この世界にうごめく暗躍者は、当然とイミト達だけでは無い。

開かれた扉の更に向こうの扉を越えて、恐らくに作られている絢爛豪華けんらんごうかな風呂場の浴槽よくそうに浸かる半裸の男の姿を見つけた宗教家の大男は土足で近づきながら、挨拶も無く言葉を送る。


か……またしてもが台無しという訳だ」


すると濡れた黒髪の下——閉じた瞼を開かぬままに褐色の肌を動かし、話し掛けられた暗躍者アーティーは風呂の水音を揺らしながら眉根をけわしく寄せて不穏を口にした。


「だが——考えにくいな。俺達の中でも、かなり特殊なの彼女が何の報告も出来ないまま捕らえられたか——……というのは」


しかしながら己の口でアーティーにへと通じる報告をしたとはいえ、にわかにも信じられぬ事実に声色と口調をにごしながら宗教家の大男サは疑念を返すに至る。


「ああ……やはり信じ難いが僅かな手掛かりから、こちらの思惑を全て読み尽くされ、裏を掻かれたのかもしれない。思いつく限り、を倒す方法はの破壊か、又は合成——普通に考えればするすきも無く魔力核を破壊されたと考えるべきだが……」


そうして重ねられる戦況分析、静かに揺れる風呂の水面が彼らの胸中を表しているようで更に加えて静寂の風呂場の天井から堕ちる結露の音も際立つ。



「アレは元々、まで至らなかった曖昧あいまいな存在であるがゆえに、我々のような一般的な半人半魔より魔力核の耐久が弱い。何らかの簡易な術法でさせられた可能性も高いだろう……デュラハンとのであるならば、こちらも十分に有り得る話だ」


その感情は、如何なる物か。少なくとも悲しみに暮れているモノではないのだろう。


「……なんというむごい事を」


未だまぶたを開かずに放たれたアーティーの推察を聞き届け、彼の背後に立つ宗教家の大男バルドッサのぶら下げている両腕の先で拳が強く握られて、豪華な風呂場の床タイルに砕けた石の音がカタリと響いてアーティーの耳をピクリと動かす。


、か……もはやコレは我らと奴のだ。我々が世界を憎み、野心を抱いたから——など我らが叫べる筋合いは無いのだろう。我らをにした奴等と同じ様に」


その意味に彼を宥めるように言葉を紡いだアーティーは、酷く冷静に浴槽に沈めていた片腕を持ち上げて透明な水をすくい上げ、掌の中の液体を重力を無視したゲル状に操り始めて風呂場の床タイルに落ちたのであろう小石を探させ始めていく。


そのような歪な事象を目の当たりに——バルドッサは少し目を伏せた後、意を決した様子の声色でアーティーの背に重い口調の言葉を掛けた。



「……大丈夫なのか、アーティー。はお前の」


すると、

「私の涙は私の身体だ。今さら何を流すという……目も臭いも触れた感覚もない体で、もう——最後に見たの姿すらもおぼろげな記憶で……このような怪物の身体で、などと何故言える」


ゲル状に操っていた液体では足らぬと、は指先から溶け出して同じ透明な色合いのし、小さな波の如くバルドッサの足下にまでゲル状の液体を押し寄せさせて落ちていた小石を液体の中にさらい、落とし主のバルドッサの手に落とした石を返す振る舞いを魅せるのだ。


そして——更にアーティーは、



「それよりバルドッサ、を奴等の追尾と監視に差し向ける。それからを呼んできてくれ。レザリクス様も同意済みだ、直ぐに手配を頼む」


事も無げに、何事も無かった様子で平常を保ち、仲間の死など意にも介していない振る舞いで停滞気味であった話を進めた。だが、それはバルドッサも同じような物である。


まで動かすのか……いっそ、奴等を放置しておいては駄目なのか。あまり奴等に比重を置くのは計画にをきたすと思うのだが」


仲間の死に対し、それ以上の追及をする事も無くアーティーの指示に対しての疑義を唱えるばかりで。


「どちらにせよだ。奴等の狙いであるの件もある……なにより今回の件で、事の詳細は未だ分からないが、魔王石の消失の情報が操作、隠蔽いんぺいされている」


「奴らがロナスの政治を通じて、今度こそツアレストに我々の勢力の情報を流し、協定を結んだ恐れがあるとなれば、放置は危険だ。あのが、これから何を仕掛けてくるかも分からないからな」


の事ばかり——今、世界に息づきうごめきを続けるに対応する為だけの思考を続け、自らの目的を叶える為だけの野心を静やかに燃やしている様子。



「——なるほど……逆に言えば、ここからはレザリクス殿も、それに追随ついずいする我らもが増々とされるだろうな」


「ああ、今は情報の整理が急務だ……ロナスの件の詳細次第では、大きな計画の変更を余儀なくされる。すぐにでもコチラ側から魔王石の消失や隠蔽工作の噂をも考えたが、辿たどられれば我らの首元にまで調査の手が届きかねない。警戒はすべきだろう」


しかし、それでもやはり——内心は互いに怒りと悔恨に心を燃やしているようではあった。


「うむ。それも有り得るな……むしろを狙っている可能性すら大きい。が、相当のなのは間違いないのだから」


バルドッサとアーティーが見据える先に居る同じ男の姿を思い浮かべ、それが仲間を殺して目的の邪魔をする相手であればこそ、なおさらしたたかに復讐心をたぎらせているようにも見えなくは無いのだから。



そして——バルドッサは此処ここに至り、そのような僅かばかりの下心を口にするのだ。


「もう一つ。はどうする……アレのこまは、あの男の——という話だ。使


それは幾つかとうごめく別の勢力の存在と、復讐計画における手段を匂わせる物であった。しかしながら、それは窮地における楽観に飛びつくが如き愚行、あせりに他ならない。


「アレの目的が分からない以上、から接触をはかるのは足元を見られかねない。まだ様子を見る段階だろう……それに、と報告したのは……お前自身だ。相手のじょうなどに期待するな」


故に、彼よりも冷静に——今まさに身を浸す水面のように揺らがぬ平常で仲間の焦りをいさめるアーティーの声が、またしても音もなく天井から水の結露が堕ちる音と共に空気を揺らすのである。


だが、バルドッサは

水面を揺らさぬアーティーの心情が、も荒ぶっている事を。



だからこそ——仲間の為、道化を演じて愚かな問いで事をいたのかもしれない。


「——……そうだな。ともかく名の出た三人に私は伝えに行く」


しかしながら、それ以上の節介は無用と彼は仲間に背を向けて来た道を折り返すべく踵を返し、湿度の高い風呂場の湯気の中を歩き始めた。



「あまり、こんを詰めすぎるなよ……アーティー」


最後に、床タイルの水溜りを踏まぬように踏み止まった機会を得て振り返らぬアーティーの半裸の背中を横目で眺め、そう告げてから。



「ああ。貴様こそ、あまり杞憂きゆうをするな、悪いクセだぞ」


 「——」


そしてアーティーも言葉を返し、僅かの静寂。

バルドッサが去った扉の音が聞こえて暫くの時が流れて。


——、沸き立つ。


「イミト・デュラニウス……貴様が我らをはばだとしても、我らは貴様の血肉を扉の鍵穴にじ込み、必ずを開いて見せる」


閉じられていたアーティーのまなこは徐々に開かれ、あらわになるのは水色で埋め尽くされた到底——、人の眼球とは思えぬよどんだ液体。見る見るとアーティーの目から流れでて鮮紅の赤へと染まるは浴槽に流れ着いて更に沸き立ち始めていた浴槽をも染め汚していって。


——いつの間にか、心をしずめ、身を清める為にあるはずの絢爛豪華けんらんごうかな浴槽は、暗躍者アーティー・ブランドの怒りに呼応するが如く沸点を越えて室内に濃霧を産み出し続けている。


「待っていろ——。あの日、通り……我々は世界にさらし、お前を含めた仲間たちを必ず迎えに行く。



そして——その完全に開かれた赤の涙を垂れ流すアーティーの眼球は確かに、悪辣な笑みを浮かべる復讐相手の姿を明確に見据えているのであろう。

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