第84話 未来なき世界。2/4


「……ともかく、アナタの気持ちは受けとっておきます。しかし私も、何度も何度でも言いますが彼女を容易に斬り捨てる事は、もう出来ない。私は奇跡を信じますよ、禁忌を犯した身とはいえ……どのような試練を課されようと償う機会と救いがあると信じて歩き続けます」


そしてカトレアの言うようにかくと暗黙の了解で、この話題は二人の間に存在するような棚の上へと上げられて終わりを告げる。背もたれが斜めに倒れたような長椅子から背を向けて、改めて遠くに見えるロナス街の喧騒に視線を動かすカトレア。



「……そうかい。なんだか余計なお節介を焼いちまったな、悪かった」


イミトも再びと長椅子に背中を預け頭の後ろに回した両手を枕代わりに、話題を潰すように謝罪を口にした。


やがて、話題が変わり——或いは戻り、


「——……していきますね。本当の意味で、ですか」


再びと気まずい二人きりの空間で淀んだしまった空気を吹き払いたいと嘆くようにカトレアが投げかけるロナスの街の


山の如くふくれ上がった紫色の巨大な肉塊が崩れ落ちて気化していくような壮大にも思える終幕に漏れ出たカトレアの感想。


だが——それはカトレアの感想でしかない。


、局面を一つ終えただけ……戦いなんて永遠だ」


満面と雲に途切れさせられながらも世界を照らす太陽の下で、温和な日向ぼっこに身をひたしながらイミトは、カトレアとは違う色合いの未来これからを見ていた。



「エルフ族とロナスの兵士が共に手を取り合って戦ったとして、それは一時的な共闘だ」


「種族の違い、風習の違い、価値観の違い。打算、利害、自尊心……歴史の中で生じた事案は何にせよ未来に禍根かこんを残し、将来世代を呪う茨であったり、先人の罪を子孫にまで都合の良いように着せて貶める為の剣や盾にもなる」


「どのみち今回も、俺達がやったのはかかえてる問題の棚上げ、先送りでしかないからな。根本の差別は消えやしないし、数年後——もしかしたら数か月後、酷い時は明日にでも、また不満が溜まって民族間で衝突して問題化するかもしれないぞ」


延々と垂れ流される長い時の流れの中で、つながれ続ける因果を見届ける太陽に同意を求めるように、彼は言葉をつむぎ続け、ただ文字がつづられているだけの歴史書を読み上げるように淡々と語らう。



も……レザリクスたちも、それを利用しようとあおっただけ。今回のエルフ族の衝突も、遅かれ早かれ起きていた事だろうしな」


「……」


降り注ぐ斜陽に影を作るそんなイミトの横顔に、カトレアは物思う表情を浮かべる。


それは——そうであろうか、


「どうすりゃいいのか思い付けば、その為に宗教の一つや二つ開きたい所だが……生憎あいにくと、俺様にはそんな御立派な御頭おあたまが育つような環境が整ってなくてね。世間様には申し訳ないったらないよ」


「それに——いや、止めとくか。くだらねぇ話だな、……


常に、ふとした瞬間に魅せるイミトの遠くを見つめて、そして仕舞いには深々と疲れ目を癒す事を望むように瞼を閉じる意味深な所作が、彼女は異様に見えるのだから。



「……アナタは、何処まで先を見据えているのですか。いえ……違いますね。今、私が言いたいのはそういう事ではない」


人としての弱さを持たぬ、否——時折と感じさせる肌にい付けられているような無機質な怪物性に対して、己を凡人であると自認するカトレアは問わずには居られなかった。


——何故、である事をそのようにこばむのかと。



「何故、今そこにある成果をしっかりと見ずに、先ばかりをうれうのですか。もっと貴方は自分を誇るべきだ」


「怠慢を、傲慢をいましめるのは素晴らしい事かもしれない。貴方がそうでなければ、今回の件は最悪の方向に向かっていた事はいなめませんが——まるで自分を責め立てるように休みなく先々を考え続けている貴方は、見て居られない」


「どんなに貴方が望もうと——我々は、貴方を責める言葉など吐けませんよ」


何事も無いような顔で藻掻き苦しみ続けている男の、不要とも思える意地に、カトレアは一人の人間として切実に訴えかける。恐らくは彼が望んでいるのだろう更なる責め苦を拒絶し、彼女は彼女のものさしで彼を褒め称える。


誇りをもって胸を張るべきだと訴えかけるのだ。


「少しくらい……ほんの少しくらいは、罪の意識から逃れて己が成した偉業を己で褒めても良いではありませんか。貴方は、それ程の働きをしているのです」


それでも、イミトは——


「——……はっ、ホントにアンタは、優しくて情けない女だな。抱きしめられてから膝枕ひざまくらでもして貰いたい気分だよ」


「けどな……は、そんなに軽くないのさ。自分で言うのも何だが、追い掛けてくる罰も当然、そんな簡単に振り解けるような物でもない」


まさに馬耳東風と言った具合にいななく首無し馬の挙動にわらい、己の罪の重さを責める口振りを変えぬまま、枕代わりの両手の位置を動かして片手を太陽にかざして陰陽を眺めるのだ。



「相も変わらず俺ぁ、性根が変わらない……一人じゃ何も出来ない小賢しいガキのままだ」


カトレアの心配を無為に沈めて、眉をしかめさせる程の自虐の極み。

根深い呪いの片鱗に、これまでよりも一層と深い闇を感じて少し——増々と、彼が背負う罪や過去が気になるカトレア。


だが——イミトはそれ以上、彼女に問われたくないのだと唐突に話を変えた。



「それより——アンタこそ、そんなに俺を褒め称えて……肝心な時に、その腰の剣を抜けるのか?」


「もしも俺が——に世界を平和にしようと、世界から見りゃ小さなを犠牲にしようとした時、その剣でを斬れるか?」


論点をずらし、話題の刃先をカトレアの首に向けて忌みじくも問うたのは、カトレアの叔父であるギルティア卿がカトレアへ突き付けた問いにひどく似ていて——



を許して褒める奴を、アンタは憎まずに居られるか?」


 「……」


ギルティア卿の問いよりも悪辣非情な物である。


そして更に、彼は無用に己の領域に踏み込んだ者を追い詰めるように、一度は喉の奥に引っ込めていた疑念を乾いた咳払いを一つ溢して言い放つ。


「なぁ——コホッ……カトレア・バーニディッシュ。もしも——アンタが大好きなツアレストの平和をくずす元凶がツアレスト王国……もといツアレスト王政だったとしたら、その剣の行き先は何処に向かうんだ?」



——逆に何故、そのように人を信じ、疑わずに、おびえずに居られるのかと。


「世界ってのは毒親みたいなもんで、何時だって休む暇なく正論を叩きつけながら問い続けてくるのさ。生きる理由と生き方を」


「俺ぁ馬鹿だからよ、誰よりも必死に考えて平均点を出し続けなきゃ——この素晴らしい世界の加護が得られねぇのさ。晩飯抜きにされちまうのは御免だ」


これまでの意趣返しの如く、彼はそう——絶望に重い体を再び起こして、嫌味溢れる佇まいで呪いの茨が巻かれているぞと茶化しながら彼女に気付かせようと悪辣に振る舞うのである。

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