第84話 未来なき世界。1/4


後日譚ごじつたんという程には足らぬ程の時が過ぎ去りて——


「イミト殿、本当には大丈夫なのですか?」


「問題ねぇよ……魔石をする過程で俺とクレアの魔力をさせてる」


いまだだ騒動の渦中かちゅう——否、後始末にいそしむロナスの街より少し離れた高台に首無し馬のいななきを横耳に聞き流しながらイミトと呼ばれた男は、かたむき始めた太陽で日向ぼっこをたのしみつつも、背もたれの倒れた黒い長椅子に寝そべってウンザリと太陽をけむたがっていて。


『イミト。そろそろ良いかも——兵力も集結した』


「了解——こうして俺達の意志一つで、乱雑に再構成された改造魔物の魔力核を内側から破壊する事も出来る訳で」


耳元に置いてある通信機からの話し掛けてくる声に対し、気怠く返事を返し——そして傍らに居る女騎士の杞憂な問いに応えるように持ち上げた腕の先の手で、パチリと指を鳴らす。



「じきにリエンシエールさん達を含めてロナスの街の兵力が、街を守り切ったように見えるわけだ」


すれば遠く——遠くからでも見える巨大な紫色の肉のかたまりは、鬱血うっけつしたような色合いの肌から黒い血のような液体を噴き出し始める。



「……遠目から見てもおぞましいものですね。敵とはいえ、あのような末路を辿たどるとは」


「腐り切った人間の死体のかたまりみたいだよな。元々、死体を無理やり魔素で動かしてたような奴だったけど」


幾つもの腕、幾つもの脚、幾つもの眼球。それらが肉に潰されながら痙攣けいれんし、周囲に向けて暴れ回り、ロナスの戦力に削られていく光景。それを遠目に確認しつつ、おもむろに交わす会話。



「ともかく——お前らもお疲れさん。セティスも、クレアとデュエラと一緒に戻って来い。誰にも見つからないように気を付けてな」


『了解』


イミトは再びと通信機を手に取り、今回の暗躍の締め括りを務めた仲間をねぎらい、寝そべっていた椅子から上半身を起こして指示を送る。


そうして通信機の淡い光が消えて——



「——軽蔑けいべつしたか? こんなを選んだ事を」


首無し馬の嘶きが間抜けに聞こえる沈黙の空気の中、場に残された男女二人。気分を切り替えた様子のイミトが語り掛けるのは、おぞましいいびつな怪物が街へと近づきながら滅んでいく景色を眺める女騎士、その双眸そうぼうは静かに複雑な想いを彩っていて。


されども問い掛けてきたイミトに僅かに振り向き、彼女はそれを否定するに至るのだ。


「……半人半魔の行く末。脆弱ぜいじゃくさ、危険性。それを私に伝える為に、あのような手法を選んだと思っています」


——建前。

まるで鞘に納められた剣の如く大人しく、丸みを帯びた物言い。

イミトは女騎士カトレアの言動を、そう受け止めたようであった。


「そんな言葉にすりゃ良いだけのものの為に、魂の殺人……一人の人間の魂を強姦して殺すような所業……森の一つを瘴気でけがして環境破壊。ロナスの街にも健康被害が出たな」


故に彼らしく石でも投げ捨てるように言葉を放ち、耐え忍んでいるカトレアを見かねて抑圧からの解放を試みる為に己の所業をつらつらと並べていく。


「確かに褒められるような事ではありません……それでも——結果としてしか死者を出していない。そして——貴方が嬉々として行っていない事も私は知っている」


だがそれでも彼女は平静に背中越しの男の誘いを断り、腰の剣のつばを鳴らしながらイミトへと改めて真摯しんしに振り返り、彼と向き合い始めて。



「——だったら、くれねぇかな。今回の戦いで分かっただろ、カトレアさんの負った傷が治り始めてに戻れるのと同じように、ユカリも無意識とはいえアンタの魔力や俺やクレアの魔力や瘴気を吸収してとしてのを回復しつつある」


根強い芯のある意見。イミトが徒労の溜息を吐く程に揺るがない蒼の瞳に映る己に、彼は目を逸らしつつも、それでも尚と己のを腹を割ってカトレアへと説いていく。


「いつ——が起きて、ああいうになるかも分からない。アンタとユカリを結び付けて安定させているクレアのは繊細なんだ」



 「人間に戻れるなら、直ぐにでも戻った方が良いだろ……魂ごと瘴気に飲まれて、愛する母国の領土や愛する人間を巻き込みかねないのままで居たいか?」


遠くで木霊こだまするうめき声のような悲鳴を上げながら崩れ去っていく怪物と、同じ事象が起きかねない似た因子、素養を胸に秘めた女騎士の未来を案じてイミトは、らしく無さに頭を掻いて。



「そんなに——大して知りもしない、言葉も通じない他人の命や、力が大事か? カトレア・バーニディッシュさんよ」


面倒げな瞳で何処か遠くを見据え、そして人の愚かさを呆れるように息を吐いたイミトである。


されど、それを踏まえた上でもカトレアにも——或いはにも言い分はある。



「……ユカリは、どう言っているのですか。彼女にも説明はしているのですよね」


二つの命、一つの犠牲。己の利益の為だけに失われる物の大きさを憂い、騎士としての——人としての矜持を揺らすカトレア。イミトとは違う価値基準——又は選択の違いに、彼女は目を伏せる。


当然と、選べはしないもあったのだろう。


「——どうだかな。アンタが選んだ後に、教えてやるよ」


それを知りながらに、あおるように小さく浮ぶイミトの嗤い。

好きにしろと口にしつつも、何処か誘導する気配も感じさせて。


「私は——彼女の意思も尊重したい。いえ、どちらにせよ彼女の命を捨てる選択は私には出来ないのですが。アナタの、その口振りから察するに彼女は……——」


 「なんだ?」


その時——、ふとカトレアは思ったのだ。

言葉が通じずとも感じてきた己の身に宿る内なる者の印象と共に——、



「きっと彼女は、強がったのでしょうね。私から離れられて清々せいせいするとか、死んだ方がマシだとか」


 「——同じ様に」



「……」


本来は、同じ危険性を抱える立場であるはずの男がをしているのかを考えてしまったのである。


「アナタは、どうなのですか。デュラハンとのであるイミト・デュラニウスとして、クレア殿と何故——別れないのですか」


それは或いは——核心を突く問いだったのかもしれない。

彼らの、彼らの全て——又は己が抱いた望みを叶える為の糸口。


「アナタ方は独立して存在しているように思える。今すぐにでも別れるのは不可能ではないはずです、少なくとも——ユカリが魔物から人間に戻るよりは」


それが希望か、はたまた絶望に繋がる事すらも覚悟して、カトレアは息を飲みつつ真っ直ぐに彼へと尋ねたのであろう。


すると、彼は答える。


「ははっ、今更だな。俺とクレアは特別だ、確かに体に魔石を埋め込まれている半人半魔とは少し事情が違う。でもな、クレアの本当の身体を取り戻した後で、別れるつもりだよ」


「男女の痴話話に興味津々のお年頃か? お節介オバサン一歩手前だぞ」


せせら笑いの嘲笑を放ちながら、面倒げに講釈を漏らしつつ——最後も酷い悪趣味な冗談を交えて回答を締め括って。

だからこそなのかもしれない。


目の前の男が、他人の怒りを煽る時——その時は往々として【何か】を誤魔化したり、照れ隠しや見栄を隠す為の強がりである事が多いから。



裏に何かしらの企みや重要な意味がある事も多いから。


「——自分は特別などと、いつものアナタなら真っ先に否定しそうな事だと私は思いますが」


だからカトレアは、心眼を開くが如く静かに目豚を閉じながら俯き、辟易とした息を吐く。語れぬ事か、語らぬ事か。はたまた騙れぬ事なのだろう、と。



「本当の話だよ——傲慢でも何でもない。ただの大したことも無い事実さ」


この時——イミトが浮かべた自嘲の嗤いは、そんな信を得られぬ己に向けた少し寂しげな色合いを滲ませつつも、やはり真実は語るまでも無い些末な事と、とても無様を嗤っていた。


それを悟られぬように彼もまた、カトレアと同じ様に瞼を閉じたのであろう。

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